教育をよくするには

 明治維新は、わずか三千人の気概ある若者がいたことでなし遂げられた。特に今の時代のような大変革期には個人の努力が大切である。

 教育の問題を、学校や文部科学省やシステムの問題にしてしまうのではなく、各人が『学問ノススメ』の精神に戻るべきである。

 教育によって生まれ変わった人たちが次の世代を担っていくという考え方をすべきです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『奇跡の法』で以下のように説かれました。

「たとえば、明治維新のころを考えてみると、ある人の説によれば、明治維新をなしとげたのは三千人ぐらいの志士だったということです。脱藩した人も含めて三千人ぐらいの武士たちが、「自分はいずれ暗殺され、死骸となって道端のどぶに捨てられるかもしれないが、幕藩体制を壊して新しい時代を創るためには、それでもかまわない」という志を持って国家を変え、明治維新を成功させたというのです。当時の日本には、そのような気概を持った人々がいたのであり、システムや制度が明治以降の国家の繁栄を創ったわけではないのです。また、維新の志士たちをつくったものも、教育制度ではありません。当時、私塾というものはありましたが、そこにいたのは、教育熱心で人格の卓越した教師であり、夜も寝ずに勉強し、切磋琢磨して、不眠不休の努力を続けた学生たちなのです。したがって、何事も個人の熱意が原点であることを忘れてはいけません。特に変革期においては、個人の努力が非常に大事です。いまの日本を変革するために必要なことは、やはり個人に光を当てることです。その個人とは、熱心な教育者や思想の唱道者であり、また、その思想を受けて、学びかつ行動する熱心な人々のことです。成功、不成功を単にシステムに起因するものと考えてはいけません。たとえば、教育がうまくいかないのは、熱心な先生が少なくなり、学ぶことに対して志を持っている人が減ってきたことに原因があります。やはり、未来に向かって大胆に提言し、行動する個人が出てくる必要があるのです。そのような人たちが、次のワン・ジェネレーション、つまり三十年間ぐらいにわたって輩出しつづければ、新しい時代がやってくるでしょう。新しい考え方を次々と打ち出していくような人をつくるためには、原点に帰って、「個人の熱意や努力、創意工夫こそが大事である」ということに論を戻さなければいけません。教育に関しては、「文部省が無能である」「学校が役に立たない」など、さまざまな議論がありますが、そのような議論にとらわれることなく、各人が自助努力の世界に入るべきです。福沢諭吉の『学問ノススメ』の精神に戻って、「学問で身を立てよ。学問は、人格を変化させ、向上させ、世の中の富を増やすものなのだ」という考え方を、もう一度、持つべきです。そして、「教育によって新しく生まれ変わった人たちが次の世代を担っていく」という考え方をすべきなのです。」

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