「孫子・九地篇(第十一章)」に読むビジネスリーダー

 地形(自国と敵国との位置関係)は用兵判断において参考とすべきものである。散地、軽地、争地、交地、衢地、重地、泛地、囲地、死地の九つがある。

 地形を「心の状態」と解釈し、リーダーがざわつく心をいかに落ち着けて事にあたるかということを学べます。

 ここでいう9つは、いずれも気持ちが乱れる状態です。

『地形とは兵の助けなり。故に用兵の法には、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、泛地有り、囲地有り、死地有り。

 諸侯自ら其の地に戦う者を散地と為す。

 人の地に入るも深からざる者を軽地と為す。

 我得るも則ち利、彼れ得るも亦た利なる者を、争地と為す。

 我以て往く可く、彼れ以て来たる可き者を、交地と為す。

 諸侯の地三属し、先に至らば而ち天下の衆を得る者を、衢地と為す。

 人の地に入ること深く、城邑に背くこと多き者を、重地と為す。

 山林沮沢を行き、凡そ行き難きの道なる者を、泛地と為す。

 由りて入る所の者は隘く、従りて帰る所の者は迂にして、彼れ寡にして以て吾が衆を撃つ可き者を、囲地と為す。

 疾く戦えば則ち存し、疾く戦わざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す。 是の故に、散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、泛地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。』(第十一章 九地篇

1:散地(軍の逃げ去る土地

 自国の領内で戦う状況ですから、兵士たちは家にいる家族のことが心配でなりません。戦うどころではなくなる。それが「散地」です。

 役職にかかわらず、誰しも家族やプライベートのことで何か心配があると仕事に身が入らないものです。特にリーダーがこんな風だと、下の者にまで その 気もそぞろ感 が伝染し、組織のまとまりがなくなってしまいます。そういうときには、「戦いを中断して仕切りなおせ」と孫子は言っております。志が一つになるよう態勢を立て直すということです。心配事を引きずったまま仕事を続けても生産性は上がらない。心配事を解決して、すっきりした気持ちになってから仕切り直しにかかるとよいでしょう。

2:軽地(軍の浮き立つ土地)

 「軽地」は敵国内に足を踏み入れた状態。まだ深く入りこんでいないので、兵士たちは今ならまだ逃げ帰れるという思いもあって、軽々しい行動に出るおそれがあります。

 会社の場合、人事異動が頻繁に行われるようだと、社員は「またすぐに異動になる」と思うので、所属意識が薄れます。会議などでも口先で適当なことを言うだけで、目標への追及力が弱まってしまうのです。社員の新しい能力を開発するために異動も必要ですが、あまり頻繁だと一つの仕事に熱が入りません。人事を預かる立場にある者としては、その点に注意が必要です。

 孫子は、「信頼できる協力者を集めて、落ち着いて事に当たれ」と言っております。

3:争地(敵と奪い合う土地)

 戦略的要地となるのが「争地」。どの軍も「ここを押さえたら有利になる」と激しい争奪戦を繰り広げ、兵士たちも躍起になって戦います。これはシェア争いの熾烈な市場と相通じるものがあります。前者一丸となり、シェア獲得に向けて一生懸命になるのはよいのですが、元気はそうそう長続きしません。会社でも、新規に事業を立ち上げたり新しい市場に参入したりするときは、最初のうちは「よし、行くぞ」と威勢がよいのですが、段々に失速してしまうのです。

 そうならないために、孫子は、「勇み足にならぬよう、落ち着いて事態を静観し、競争が一段落してから攻めるのも一つの戦略だ」としています。

 リーダーとしては、社員みんなと一緒になって初速を上げようとするよりも、「出るのは今でなくてもよいのではないか」という目で市場動向を睨み、その上で頑張りどころをしっかり示すことが大切です。

4:交地(往来の便利な土地)

 「交地」は自軍も入りやすい障害のないところです。それだけに、兵士たちは気の休まる暇がありません。

 市場に置き換えれば、次から次へとライバルが現れてくるような状態ですから、常に緊張が強いられます。攻めに注力して、いかに新規顧客を開拓しても、わずかの隙にライバルに奪われてしまいかねないからです。

5:衢(く)地(四通八達の中心地)

 「衢地」は交通の要衝。敵国自体は小さくとも、いつでも周りの大国に助力を求めることができます。そこを攻めるとき、自軍は終始大国の影に怯えることになります。

 独立系の企業にとって、目の前のライバル会社の頭越しに大企業と親しくなればよい。たとえば、下請けの下請けのような地位に甘んじることなく、大企業からの直受けを目指すことを考える。そりが孫子の言う「交を合わせる」こと。よりスケールの大きな仕事ができようになるでしょう。

6:重地(重要な土地)

 敵の領地に深入りし、後方に敵城が控えている状態が「重地」。兵士たちは、動きが取りにくくなり、生きて帰れないのではないかと うろたえます。

 これは、自社の得意でない領域に首を突っ込み、競争に巻き込まれてしまったような状態に似ています。社員は実力不足でアップアップになり、いつ強豪に呑み込まれるかわからないという不安に駆られるでしょう。そのようなときは、「持久戦を覚悟して食料や物資を現地調達しろ」と、孫子は言っております。会社に置き換えると、とにかく目の前のできることをやって、細々とでも事業を続けながら、現状を打開する機会を持つということです。どんな事業領域も、やがて衰退していきます。そうして先細りになっていくなかで、ねばっていれば、ライバルたちのほうが撤退してくれるかもしれません。「粘って粘って一人勝ち」を狙うのも一つの方法です。

7:泛(はん)地(軍を進めにくい土地)

 難所続きで行軍がままならないのが「泛地」。兵士たちは疲弊し、苛立ちを募らせます。

 会社の経営でも、難題に続く難題という状況だと、「こんな状況がいつまで続くのか。永遠に終わらないのではないか」と、気持ちが暗澹としてきます。難題の向こうに広がる夢を思い描けなくなってしまうのです。そんな状況からは早く脱け出さなくてはいけません。孫子が、「速やかに通過しろ」と言っているように、少しでも体力のあるうちに全力疾走で乗り越えるのみです。その際のポイントは、諸問題の根本をえぐり取るつもりで、大胆な策を講じることです。リーダーは、同時に、「ここを抜ければ素晴らしい世界が開ける」と、困難の先に広がる夢のある風景を描いてみせるとよい。困難を前に逡巡している暇も、「一つずつ解決していこう」とのんびり構えている暇もないと腹をくくりましょう。

8:囲地(囲まれた土地)

 「囲地」は文字通り周囲は敵だらけの状態です。こんなところに追い詰められたら、兵士の心は無力感に襲われます。

 例えば、中途採用で優秀な社員をどんどん増やし、これまで中心となってきた古参社員を孤立させてしまうといったことが それに当たります。場合によっては、トップ自身が似たような目に遭うこともあります。また、市場にあっては、長い時間をかけて自社の独壇場としたところへ、うまみを嗅ぎ取った他社がどんどん参入してきて、じりじりとシェアを食われていくような場合です。

 やる気を失ってうずくまっているだけでは何も解決しません。孫子は、「退路を断って一点突破をはかれ」と言っています。

9:死地(死すべき土地)

 「死地」は死と隣り合わせの絶体絶命のピンチを意味します。兵士は身がすくみ、金縛りに遭ったようになってしまいます。

 会社が倒産の危機に立たされると、白旗を振りたい気持ちに駆られるでしょう。しかし、会社は存続させることに意味がある。安易に諦めずに、決死の覚悟でなんとしてでも生き残る道を算段しなければなりません。「どうしてこんなことになったのだろう」などと悠長なことを考えず、ひたすら前を向いて、死に物狂いで迅速に攻めていくしかないのです。

 

セクショナリズムの弊害が生じていないか

 敵から付け入られる隙を与えていないか見直してみる。

 自社内に部門間の壁ができて、セクショナリズムの弊害が生じていないか。中堅・中小企業で、人数も大して多くないのに、部門ごと業務ごとに反目したりいがみ合ったり、ロクに話もしなかったり、ということになっていないだろうか。仕入部門や製造部門、開発部門などと営業部門では、業務上の利害は大きく反する。経理などの管理系と営業系も犬猿の仲だったりすることが多い。お互いに悪意があるわけではなく、それぞれ自分の仕事を忠実に一生懸命やろうと思えば思うほど、部門間の対立が起こりやすくなる。全社の効率を上げるための分業体制が、逆に仇となって効率を落とす結果となってはいないか。部門間の議論や多少の衝突を恐れたり隠したりしてはならない。それを誤魔化しつつ問題の解消を先送りしているから、敵から付け込まれることになる。また、人数の多い部署、部門が幅を利かせ、小所帯の部署が肩身の狭い思いをしているということはないか。人数が多いと、それだけで声が大きくなって何でも優先されるようなことがある。特に時代の変化が激しい時に、従来のメイン業務、主要事業の声が大きくなり、時代の変化に合わせて、新たに設置、挑戦する新規部署、新チームが発する声が通らなくなるというのは避けたい。まだ売上もない、利益も出ていないのに、実績を上げてから言え、などと言ってしまっては、新しいチャレンジはできない。それこそ社内に亀裂を生じさせることになる。

『古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賎相救わず、上下相扶けざらしむ。卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。』第十一章 九地篇

 昔から、戦上手は、敵の前衛と後衛の連携を断ち、大部隊と小部隊が協力し合わないようにし、身分の高い者と低い者が支援し合わないようにし、上官と部下が助け合わないように仕向けて、敵兵が分散していれば集結しないようにし、集合したとしても戦列が整わないように仕向け、戦闘が有利に進められるようにした。こうして、自軍が有利になれば戦い、有利にならなければ戦闘に入らず、またの機会を待ったのである。

 

強大な敵に対しても戦い方がある

 強大な競合企業に対しても、決して対応する方法がないわけではない。相手が強大であるその理由こそが、相手の動きを封じ込めるポイントであり、冷静に相手の急所を突くことが肝要である。

敵軍が大兵力で隊列を整え攻めて来たら、どのようにしてこれを迎え撃てば良いか

 勝てる戦しかしない、有利にならないと戦わない、勝ち目がないなら動くなと説いた孫子に、敢えて問うと物言いが入った。国王です。 

『敢えて問う、敵、衆にして整えて将に来たらんとす。之を待つこと若何。』

 「では、尋ねるが、敵軍が、大兵力で隊列を整え攻めて来たら、どのようにしてこれを迎え撃てば良いだろうか。」

『曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、其の戒めざる所を攻むるなり。』第十一章 九地篇

 「答えるに、まず、敵が重要視しているものを奪えば、こちらの思うように動かすことができるだろう。」

 孫子は、まずその敵が重要視しているものを奪えば、相手は混乱し、後はこちらの意のままに動かせると答えた。それに続けて、戦争の要諦はスピードであり、速攻で、敵の不備を衝き、予測していない方法をとり、警戒していない地点を攻めれば良いのだと説いた。敵がいくら強大だからと言っても、それで焦らず、冷静に敵が強大だからこそ抱えている急所を見つけ出せと説いた。

 現代のビジネスにおいても、仮に強大な競合企業があり、万全の組織、豊富な品揃え、圧倒的な人的パワーで自社の商圏に攻め込んで来たとしよう。何ともしようがない、手の打ちようがないと考えてしまうのも当然のようではあるが、そういう場合でも手が打てると言う。相手が強大であればあるほど生じる弱点がある。それはスピードが遅くなるということである。驕りや慢心による緩慢さかもしれないし、情報伝達の遅れや組織が分断されて壁が出来た故かもしれない。敢えて、相手の強い部分、得意分野にスピード勝負をかけてみるのもよい。スピードとは意思決定のスピードです。社員が走ったり、作業スピードを上げる努力をしても、高が知れている。強大になった相手だからこそ意思決定がどうしても遅くなる。相手が商品開発に強みを持っているなら、商品開発期間、サイクルの短縮で勝負する。仮説検証スピードを速くすればよい。相手が生産能力に自信を持っているとすると、納期短縮で勝負する。相手が何千人という営業マンを抱えて攻めてくるなら、エリア限定で絞込みながら、そこでの営業対応スピードで勝負するという具合である。営業で大切なのがスピード。速きこと風の如く何事も速くやること。顧客は忙しいし、こちらも暇な客を相手にしている暇はない。顧客が3日かかるだろうと思うところを2日でやる。

 次に顧客の話を聴く。静かに素直に聴く。喋り過ぎない。気持ちよく話してもらうために、心地よい傾聴姿勢が必要である。相手のことを理解しよう、どうやったらお役に立てるかという心情が必要です。顧客の話を聴き、相手の事情を理解したら、こちらがお役に立てることを提案する。提案する時には、「お客様のためにお役に立つ」という熱い思いで提案すること。自社の都合、自分の都合を押し付けるのではなく、「お客様にとって良いものだ」という確信がなければならない。売る気があるのか、ないのか良くわからないような、気の抜けた覇気のない事務的な提案で人が動くはずがない。理屈では人は動かない。熱い思いをぶつけよ。しかし、過度な値引きを要求されたり、過剰なサービスを強要されたりする場合には動いてはならない。

 

背水の陣が勇者を生み出す

 逃げ場のない、絶体絶命の状態に置かれたら、誰しも一致団結し決死の覚悟で戦うようになると孫子は説く。そうなれば、特に教えたり指示したりする必要もないと。窮地に追い込まれて、そうせざるを得ないからです。リーダーたる者、時と場合によってはそうした状況に部下を追い込む必要がある。

 仕事は自分のものであり、自社は自分が作っているのだということを教えなければならない。目の前の仕事が自分の仕事であり、その仕事がうまく行くことが自分のためになるのだと確信すれば、自ずとその仕事に身が入る。だが、その仕事が会社のもので、給料をもらうために仕方なくなっているものだと思えば、なるべく手を抜いて楽をして給料をたくさんもらおうと考える人も出てくる。

 そこで、共有してもらいたい考え方が、「全個一如」というものである。全個一如とは、全体の中に部分があり、部分の中に全体があるという関係です。部分である個が集まって全体を作り、その個に全体がまた影響を与えるという状態を表す。それを会社に当てはめ、全体が会社で、それを支える部分が個人であると考えてみると、会社の中には個人がいて、個人の中に会社があることになる。会社の評価と個人の評価はつながっていて、全体と部分では相互フィードバックがあるということである。

 この全個一如という考え方を共有し、納得してくれる社員だけに残ってもらえば、各社員は自ら主体的に動く自己発働社員となる。後は、自分で自律し自発的に動くために、会社や本人が置かれている状況などをフィードバックしてあげることである。自ら考え、自ら動けと言っても、置かれた状況を教えてやらなければ、自律的な判断はできないからです。

 経営者は、社員を成長させ、事業に貢献させるためには、時として逆境に立ち向かわせる状況に置いてやる必要がある。そうすることで、覚悟、闘争心、団結心を育むことができる。 

『客たるの道は、深く入れば則ち専らにして、主人克たず。饒野に掠むれば、三軍も食に足る。謹み養いて労すること勿く、気を併わせ力を積み、兵を運らして計謀し、測る可からざるを為し、之を往く所無きに投ずれば、死すとも且つ北げず。死焉んぞ得ざらんや、士人力を尽くす。 

 兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。』第十一章 九地篇

 敵国に侵攻する場合、敵地に深く入り込むほど自軍は結束して強化され、防衛する側は対抗できなくなる。肥沃な土地を掠奪すれば、全軍の食糧確保も充分となる。そこで、兵士たちに配慮して、休養を与え無駄な労力を使わせないようにし、士気を高めて戦力を蓄え、軍を移動させながら策謀を巡らせ、敵にも味方にもこちらの意図をつかめないようにしておいて、どこにも行き場のない状況に兵を投入すれば、死んでも敗走することはない。これでどうして死にもの狂いの覚悟が得られないことがあるだろうか。士卒はともに決死の覚悟で力を尽くすことになる。

 兵士たちは、あまりにも危険な状況に陥ると、もはや恐れなくなり、行き場がなくなれば覚悟も固まり、深く入り込めば手を取り合い、一致団結し、戦うしかないとなれば、奮戦するものなのである。

 敵地内に深く侵入するほど不利になるばかりです。しかし、敢えてそのような危険な状況に兵士を追い込むことで、軍隊は一致団結し、奮闘するといいます。そこで、孫子は、自軍を窮地に追い込むことで、底力を発揮させろと言っております。

 ビジネスでも、その人の持つ力量内の作業だけをやらせていても成長はありません。より高いハードルを設定することで、より成長するのです。特に最初が肝心です。簡単に達成できるハードルの仕事をやらせては、「こんなものか」という安心感から気が緩み、後々まで後遺症を残すことになります。ビギナーズ・ラックなどで最初に成功したりすると、その成功経験から発想を変えることが出来ず、その後の足かせとなることがあります。

『其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ、疑を去らば、死に至るまで之く所無し。吾が士に余財無きも、貨を悪むには非ざるなり。余命無きも、寿を悪むには非ざるなり。

 令の発せらるるの日、士卒の坐する者は、涕、襟を霑し、臥する者は、涕、頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、諸・劌の勇なり。』(第十一章 九地篇

 「背水の陣」のような状況に置かれ、一致団結して決死の覚悟ができた軍は、特に教えなくても行動を自戒し、指示を出さなくても思うように動き、いさかいを起こさないように約束事を作らなくてもお互いに親しみ、法令を作らなくても信頼できる。怪しげな占いなどを禁じ、疑念を生じさせないようにすれば、死ぬまで逃げ出したりすることはない。兵士たちが余分な財貨を持とうとしないのは、財貨を嫌ってそうするのではない。生き長らえたいと言わなくなるのは、長生きしたくないからではない。

 死を覚悟しているものの、出陣の命令が下った日には、彼らの中で座っている者は、涙がこぼれて襟を濡らし、横になっている者は、涙が頬から顎へと流れるほどであったのです。こうした決死の兵士たちを逃げ場のない窮地に投入すれば、皆が勇者として有名な専諸や曹劌のように勇敢に戦うのである。

 リーダーたる者、時と場合によってはそうした状況に部下を追い込む必要がある。

 なお、背水の陣は、孫子ではなく、史記の淮陰侯列伝に出てくる。漢の韓信が趙と戦った際に、川を背にして退却できないように布陣し、兵たちが決死の覚悟で奮戦したことで不利な状況を活かして勝利したという故事に基づく。韓信は孫子の兵法を用いたと言われている。孫子の時代もそうだが、兵の大部分は、渋々駆り出された農民兵であって戦意が低かった。戦意もなく、いつ逃げ出そうかと考えているような兵を本気にさせるには、逃げ場をなくして、背水の陣を敷き、覚悟を決めさせることが必要だったのです。

 軍隊を縦横無尽に使いこなす将軍のことを、孫子は「卒然」という蛇にたとえています。

『善く兵を用うる者は、譬うれば卒然の如し。卒然とは、恒山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。』(第十一章 九地篇

 巧みに兵を動かす戦上手は、たとえて言うなら卒然のようなものである。卒然とは恒山に棲む蛇のことである。その頭を撃つと尾で反撃してくるし、尾を撃つと頭で反撃してくるし、その真ん中を撃つと頭と尾の両方で反撃してくる。

 孫子の「リーダーが組織を勇士の集団にしていくための知恵」がこの話で示唆されています。

 「頭を打つと尾ではたかれる。尾を打つと頭が襲いかかってくる。ならばと胴を打つと頭と尾の両方で反撃してくる。」

 どこから攻撃しても、手ひどい反撃が返ってくるのですから、何とも攻めようのない蛇です。

 どんなに攻撃されても、すぐに態勢を立て直し、持てる力を最大限使ってしぶとく反撃を繰り返す。そのような執念深い社員の集団であれば、自社は強靭になります。

 

呉越同舟

 ビジネス上でも新しい仕事をやりたいと思っているメンバーがいても、今までと全く異なる業務をするのは不利でしょう。これまでの経験を活かしてその延長線上にある分野から進めるべきです。

 普段仲の悪い社員同士でも、助け合わないと自分が生き残れないとなると助け合うようになる。勇気を出して団結し成果を出させるためには、経営者の指導力と状況判断が必要である。優秀な経営者は、社員が団結せざるを得ない状況をつくることができる。

『兵は卒然の如くならしむ可きか。曰く、可なり。夫れ、呉人と越人の相い悪むも、其の舟を同じうして済り、風に遇うに当たりては、相い救うこと左右の手の如し。是の故に馬を方ぎて輪を埋むるも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉えて一の若くするは、政の道なり。剛柔皆な得るは、地の理なり。故に善く兵を用うる者の、手を攜うること一人を使うが若きは、已むを得ざらしむればなり。』第十一章 九地篇

 呉人と越人は憎み合っているが、たまたま同じ舟に乗り合わせ、暴風にあって舟が危ないとなれば、左右の手のようにお互い助け合う。勇気を出して一致団結させるのは政治的指導力が必要である。強い者も弱い者も力を発揮するためには、地の利を得なければならない。戦上手は、一人を動かすように全軍を動かす。それは、そうせざるを得ないように仕向けるからである。

 兵士たち全員に等しく勇気を奮い起こさせ、一つにまとめるのは、軍を司り統制するやり方による。剛強な者も柔弱な者もそろって役割を果たすのは、その地勢の道理による。兵を動かすのが上手な者が、軍全体を 手をつなぐかのように連動させ、まるで一人の人間を使っているかのようにできるのは、そうせざるを得ないように仕向けていくからなのである。

 

リーダーとして必須の心構え

 経営者は冷静沈着に意思決定を行い、公明正大に行動すれば、求心力を得て、企業を統治することができる。

 リーダーの考えていることが浅薄で、部下から「どうせこんなことを考えているんだろう」などと先読みされてしまうようでは、何とも頼りないし、部下が心服することなどない。少なくとも、経営者たる者が軽口でペラペラと考えていることを喋り、その裏に隠しているつもりの本音、本心を社員から見透かされているようでは話にならない。社長の考えていることがよく分からないこともあるけど、1年後、2年後には社長が言っていたことが正しかったと分かるし、それを信じておけば間違いないと思えるという安心感、信頼感が得られるようにしたいものです。

『将軍の事は、静かにして以て幽く、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、之くこと無からしむ。其の事を易え、其の謀を革め、民をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にし、民をして慮ることを得ざらしむ。帥いて之と期するは、高きに登りて其の梯を去るが如く、帥いて之と深く諸侯の地に入りて其の機を発するは、群羊を駆るが若し。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知ること莫し。三軍の衆を聚めて、之を険に投ずるは、此れ将軍の事と謂う。九地の変、屈伸の利、人情の理は、察せざる可からざるなり。』第十一章 九地篇

 将軍たる者は、表には常に平静を保ちつつ、内面の思考は周囲から窺い知れないほど奥深いもので、何事につけ公正で的確な判断をするから、組織を統治することができる。

 士卒の注意や意識をくらまして逃亡しないようにさせる。作戦をしきりに変更し、策謀を更新することで、兵たちに将軍の真の意図を理解させないようにする。駐屯地を転々と変え、進路も敢えて迂回させることで、兵たちが目的地を推し測ることができないようにする。軍隊を率いて遂行すべき任務を指示する時は、高い所に登らせておいてから、その梯子を取り外すかのように、降りたくても降りられないようにし、軍隊を率いて敵国に深く侵入していざ決戦という時には、従順な羊の群れを駆り立てるかのように動かす。兵たちは駆り立てられて行ったり来たりするが、誰もどこへ向かうのかを知ることもない。全軍の兵力を結集させ、必死に戦うしかない危険な状況に投入することこそ、将軍たる者の仕事である。九種の土地の状況による変化や、状況により軍を屈伸させることの利害、置かれた境遇、状況により変化する人情の道理については、充分に考慮し洞察しなければならない。

 古代中国では、長い間、軍隊を構成する大多数は農民からの徴募兵で、非常に練度と士気が低い存在でした。したがって、マグレガーのX理論・Y理論にある通り、2つの人間観の内、農民主体の徴募兵は「X理論」がよく当てはまる。「人間は本来なまけたがる生き物だ。命令や強制で管理し、目標が達成できなければ懲罰をかければ思うように動かせる」という人間観を持っているということです。しかし、これに少しでも違和感をおぼえる人は、自分と自分の周りにいる人たちが「Y理論」で動く人であると認識していると思われます。

・「X理論」

 生理的欲求や安全欲求という低次の欲求しか持っていない人間をコントロールするには、アメとムチが有効である。

・「Y理論」 高次の自己実現欲求の高い人間をコントロールするには、自己実現を図れるような機会を与える管理が有効である。

 こうした考え方をもっていれば、「人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をするものだ。だから、労働者の自主性を尊重する経営手法を採るべきだ」という思考回路になります。

 自分が統率すべき組織の構成員が、どちらの価値観で動く人たちなのかを正確に知る必要があります。 

『客たるの道は、深ければ則ち専らにして、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師ある者は、絶地なり。四徹する者は、衢地なり。入ること深き者は、重地なり。入ること浅き者は、軽地なり。倍は固くして前の隘き者は、囲地なり。倍は固くして前に敵ある者は、死地なり。往く所なき者は、窮地なり。

 是の故に、散地には吾れ将に其の志を一にせんとす。軽地には吾れ将に之をして僂ましめんとす。争地には吾れ将に留まらざらしめんとす。交地には吾れ将に其の結びを固くせんとす。衢地には吾れ将に恃むところを謹まんとす。重地には吾れ将に其の後を趣さんとす。泛地には吾れ将に其の塗を進めんとす。囲地には吾れ将に其の闕を塞がんとす。死地には吾れ将に之に示すに活きざるを以てせんとす。故に諸侯の情は、邃ければ則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。』

 敵国に侵攻する場合には、深く入り込めば兵士たちは団結するが、浅ければ兵士たちは逃げ散ってしまう。本国を離れ国境を越えて軍を率いる地域は絶地(散地以外の八地を指す)である。四方に通じる十字路は衢地である。奥深く侵入した地域は重地である。浅く侵入しただけであれば軽地である。背後が険しくて前方が狭まっているのは囲地である。背後が三方とも険しくて前方に敵がいるのが死地である。どこにも行き場がないのは窮地である。  こうしたことから、散地では(兵が逃げる恐れがあるので)、自分は兵士たちの心を一つにまとめようとする。

 軽地では(まだこの段階で敵に見つからないように)背をかがめて低い姿勢で見つからないようにさせる。

 争地では自分は(先に占拠した敵が)そこに居座れないようにさせる。

 交地では(急に現れた敵に分断される恐れがあるから)自分は各部隊の連結を強固にさせる。

 衢地では(交通の便を活かして諸国に使いを出して)入念に親交を確かめる。

 重地では(敵城で足止めを食わないように)自分は後続部隊を急がせようとする。

 泛地では(機敏に動けないから)自分は軍を速く進めようとする。

 囲地では(戦意を強固にするために)自分は逃げ道を塞ごうとする。

 死地では(決死の覚悟で戦うしかないのだから)すでに生還の望みは失われたことを思い知らせようとする。

 そこで、諸侯たちの心情としては、侵攻軍がまだ遠い地点にいるならば、防禦体制を整えようとするし、すでに自国深くまで侵攻されて戦うしかないとなれば決戦に臨むし、自国を通り過ぎて行こうとしていると追撃したくなるものである。

『諸侯の謀を知らざる者は、預め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。此の三者、一も智らざれば、王・覇の兵には非ざるなり。

 彼の王・覇の兵、大国を伐たば、則ち其の衆は聚まることを得ず、威を敵に加うれば、則ち其の交は合することを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わざるも、己の私を信べて、威は敵に加わる。故に其の国は抜く可く、城は隳る可きなり。』第十一章 九地篇

 諸侯たちの腹の内が読めないようでは、前もって同盟を結ぶようなことはできず、山林や険しい要害、沼沢地の地形などを把握していないようでは、軍隊を進めることはできず、その土地の地理に精通した案内役を使わないようでは、地形による利を活かすことはできない。これら3つのうち、ひとつでも知らないようでは、王者や覇者の軍ではない。

 かの王者や覇者の軍が、大国を討伐すれば、たとえ大国であってもその兵たちは集結することができず、実際に武威を行使すれば、その国は孤立して他国と同盟を結ぶことができない。

 こうしたわけで、外交交渉を敵と争うこともなく、天下の覇権を積み上げることをしないでも、自分の思い通りに振る舞うことができ、武威を敵に与えられる。だから、その国を陥落させることができるし、城郭も破壊することができる。

 

隙のあるところを知る

 戦の法則は、敵の強い部分を避けて、隙のあるところ=弱いところを攻撃することである。

 経済情勢や技術発展など、企業を取り巻く環境はめまぐるしく変化しており、企業はそれに対応して組織を柔軟に編成し、迅速にオペレーションを行わなければならない。ネットワークを活用して、必要な技術やノウハウなどを外部から調達し、組織化するバーチャルコーポレーションや、メンバーの自主的な学習により、持続的な変化を行う組織的能力を身に付けたラーニングオーガニゼーションなど、新しい企業組織論が登場している。これらは現代における「変化して勝を取る」ための戦略である。

 ビジネス上でも、メンバーの弱い部分を知り、他メンバーをフォローすることで社内での良いポジションを獲得できるでしょう。

 

企業の宝

 仕事を我が事とし、「給料をもらっているから」とか「仕事だから」という義務感、やらされ感で動かない。まさにこういう人財は金では買えない「企業の宝」。自己発働研修を通じて、人材を人財化していきましょう。

 戦闘を行うときに自らの功名を求めたりせず、ただ守るべき民のことを考える。そのような行為が君主の利益にもかなうような将軍は国家の財産である、と孫子は説いています。

 自分の評価のためでもなく、上司から怒られるからでもなく、ひたすら顧客のために何をすべきかを考え、結果として自社にも利益をもたらす社員は企業の宝である。

 社長の指示命令に、現場の管理者、マネージャーが背いても良いという教えになってしまうではないかと、懸念される経営者もいる。だから、孫子は そうした行為に条件をつけたのです。進撃する時にも、己の功名心によって動くのではなく、退却する時にも罰を免れようとするのではなく、ひたすらに国を守り人民の命を守ること考えて動くものであり、そしてその結果として君主の利益にも適うものでなければならない。そうした判断、行動がとれる将軍は国の宝であると説かれた。

 企業規模が小さくなればなるほど、人材の層も薄いから、肩書きが付いた管理者といえども相応の実力が伴わない場合が少なくない。年齢も上だし、経験も長いから・・・、といった理由で役職に就いているような場合も多い。上から言われたことをただ下に伝え、下から突き上げられたことを上に伝えるだけの伝書鳩上司では役に立たない。下から上がってくる情報も、都合のいい情報だけは上に上げ、そうではない情報は握りつぶすという取捨選択をしたりするようでは問題である。

 

正しい評価が威厳を作る

 人は報酬のために動く。それが仕事だと一般に考えられている。だが、実際に人を動かそうと思うと、ただ報酬を与えるだけでは、なかなか思うように動いてくれない。すぐに当たり前になってしまうのである。

『無法の賞を施し、無政の令を懸く。三軍の衆を犯うること一人を使うが若し。之を犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てする勿れ。之を犯うるに害を以てし、告ぐるに利を以てする勿れ。之を亡地に投じて然る後に存し、之を死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く敗を為す。』第十一章 九地篇

 通例、慣例に基づかない、法外な褒賞を与えたり、非常事態において厳命を下し人事の刷新を図る。これによって、全軍の大勢の部下を使いながら、あたかも一人の部下を使っているかのようにできる。軍を動かす時には任務を与えるだけにして、その理由を説明してはならない。軍を動かす時には、不利な状況だけを知らしめて、有利な点を伝えてはならない。軍を滅亡必至の状況に投入してこそ、はじめて生き残るのであり、軍を死ぬしかない状況に陥れてこそ はじめて生き延びるのである。兵士たちは、危機に陥り絶体絶命となってから後に死にもの狂い、破れかぶれの奮闘をするものなのである。

 孫子は、人を動かすためには、通例、慣例に囚われない法外な褒賞を与えたり、人事を行うことがあっても良いと説く。そうすることで、大勢の部下をまるでたった一人の部下を使っているかのように動かすことができるのだと。

 ただ、むやみやたらに報賞を行ったり、処罰したりするのは行き詰まっている証拠である。

 部下を上手に用いるためには、正しい方針に基づき、規律正しく信賞必罰を行わなければならない。むやみやたらに賞罰を与えると、モラルの低下やモチベーションの低下を招き、組織の規律を失うことにつながる。

 

始めは処女、後は脱兎の如く

 経営者、人の上に立つ人は、敵だけでなく、人の嫉妬心を忘れてはならない。「すごいですね」「立派ですね」などと言う言葉に踊らされてはならない。相手は おべんちゃら を言っているだけかもしれない。調子に乗らせて、ベラベラ喋らせようと思っているのかもしれない。

 こちらの意図や作戦を敵に悟られないようにしつつ、相手を油断させておいて、隙が生まれてチャンスとなったら、一気に攻める。それには、軍全体への統制も効いてなければいけないでしょうし、情報の取り扱いにも細心の注意が必要である。それができてこそ、「神業」「巧事」と言える鮮やかな戦いができるというわけである。

 現代のビジネスにおいても、勝てるシナリオや体制が整わないうちは、極力敵を作らないようにして、自らの意図や戦略、計画を相手(競合や市場)に悟られないようにするべきである。いざという時に、脱兎の如くなるための力を蓄えて、好機を待つべきなのです。勝つためには我慢も必要ということなのだが、つい喋ってしまったり、つい焦って始めてしまったり、つい自慢してしまったりして、敵に気付かれ、敵を作り、敵に手を打たれてしまうことがある。乙女のようにしおらしくしておこう。だが、経営者ともなると、なかなか しおらしくしておけない人が多い。しかし、それを表に見せてはいけないと孫子は説く。

 孫子は、処女の如くあれと説いた。そして、後は 脱兎の如く逃げる。すなわち、目的を果たしたら、さっさとその場を立ち去る。それが賢い戦い方である。一定の成果を挙げれば、偉そうにしたいこともある。 

『兵を為すの事は、敵の意に順詳するに在り。敵に幷せて一向し、千里にして将を厥す。此れを巧事と謂う。是の故に政挙がるの日は、関を夷ぎ符を折きて、其の使を通ずること無く、廊廟の上に厲しくして、以て其の事を誅む。敵人闠を開かば、必ず亟かに之に入り、其の愛する所を先にして微かに之と期し、剗墨して敵に随い、以て戦事を決す。

 是の故に始めは処女の如くにして、敵人 戸を開くや、後は脱兎の如くす。敵 拒ぐに及ばず。』(第十一章 九地篇

 戦争を行う上での要諦は、敵の意図を読み、それに順応させて動くところにある。敵が目指すであろう目的地にこちらも向かい、それが千里もの距離を長躯するものであっても、狙い通りに敵将を討つ。これぞ鮮やかな戦い、巧事である。こうして、いざ開戦の命が下される日には、関所を封鎖し、通行証を無効にして、敵国使節との関係を遮断し、廟堂での厳粛な審議を経て、戦争計画の実行を決断するのである。敵の防衛線に隙や緩みが生じたら、必ず迅速に侵入し、敵が重要視している地点を第一目標として先制攻撃すべく、秘密裡に作戦計画を決めて、全軍が沈黙を守って敵の動きに応じて動き、一気に勝敗を決する。このように、初めは乙女のようにおとなしく慎重にしておいて、敵が油断して隙を見せたら、脱兎のように機敏に動け。そうすれば敵は防ぎようがない。

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