AIは「人間とは何か」という問いに答えを出せない

 今後、AI信仰・科学信仰 は、ますます強くなるでしょう。確かに、AIが人間よりも正しい判断ができるならば、「すべてを知っているAIが決めた通りにすれば、素晴らしい社会ができる。AIを神としてAIに従おう」と考えてもおかしくはない。

 しかし、AIは本当に、すべてを知っていて、必ず正しい判断をするのでしょうか。例えば、人間にとって一番大切でシンプルな「人は死んだらどうなるのか」「人はなぜ生まれ、生き、死ぬのか」「人間とは何なのか」という問いに、AIは答えを出すことはできない。物理的には答えたとしても、それは、過去の宗教から統計的に答えを抽出するだけである。そもそも、死ぬこともなく人間でもないAIの答えを聞いたとして、それに納得できるのか、大いに疑問である。

 こうした問いに答えを出し、霊的な真実を教えることができるのは宗教だけである。宗教の役割とは、目に見える物質世界の法則だけでは説明できない真実を教えることにある。世界の宗教の教えにそうした真実が含まれているからこそ、地球上に信仰者が途絶えたことはない。しかし、神の存在とその教えを信じる宗教の教えは、AIのように合理的ではない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、「信仰は、来世で、あなたがたが住む世界を決める鍵です。この世において、いちばん大切なものは、実は信仰なのです。この世において、いちばん持ちにくいものも信仰であり、いちばん大切なものも信仰なのです。信仰を得ることができたら、ほかのものは、もう要りません」と指摘している。

 人間は人生において、「信仰を持てるか」を試されている。AIを神とする未来が、もし訪れたなら、それは、人類が一番大切なものを失った世界といえるでしょう。

 

近代の唯物論的人間観

 「人間が動物や奴隷でいいのか」と聞かれると、誰もが「そうではない」と答える。「人間はそもそもどういう存在なのか」という「人間の定義」からやり直す必要がある。

 近代以降の人間観は、基本的に唯物論的なものだった。カントら啓蒙思想家が、学問をキリスト教会から切り離し、「宗教からの離脱」を図った。その結果、近代科学が発達し、近代文明が発展した。

 政治については、神の導きではなく、議会内の人間同士の議論から神の考えを推しはかる「神のいる民主主義」が近代イギリスで始まり、アメリカなどにも受け継がれた。しかし一方で、神が切り離され、唯物論のマルクス主義の流れも生み出された。

 経済の分野でもマルクス主義の人間機械論の影響は今も大きい。スタンダードな経済学でも、単なる利害で動く平均的な「経済人」を想定し、人間をロボットのように扱う。

 国際政治では、権謀術数を駆使して国家のサバイバルを目指すマキャベリ的な考え方(リアリズム)の影響が大きい。民主国家が集まり、国際機関をつくれば平和になるというカント的な考え方(リベラリズム)もあるが、どちらもうまく機能していない。

 これら近代啓蒙思想に加え、現代ではハイデガーら実存主義哲学も意外に人々に影響を及ぼしている。「偶然にこの世に投げ出され、何をどうしていいか分からず、不安の中を手探りで生きている」という思想で、あまり救いが感じられない。

 いずれも根底に、人間を神やあの世から切り離し、人間が霊的存在であることを否定的に見る人間観がある。そのため人間をごく弱い存在、平凡な存在と位置づける。近現代の「人間の定義」そのものに、動物化・奴隷化に傾く要素があったと言える。

 

人間は魂修行する存在

 幸福の科学大川隆法総裁は、これからの時代の「人間の定義」についてこう語っている。

「『人間の定義』は、これからますます難しくなっていくと思います。

 その意味で、やはり、勇気を持って、『人間とは、魂と肉体が合体した存在として、この世で、人生修行を送っているものである。前世から、この世に生まれてきて魂が宿り、人生修行をして、あの世に還るものである』と定義することが必要になると思います」(『「人間学概論」講義』より)

 ここで言う人生修行というのは、「あの世があって、人間の本質は魂、霊的存在である。人間はあの世から地上に生まれて来て、魂修行をしている。その過程で人に愛を与えたり、この世をより素晴らしい世界にする(地上ユートピアを創る)ことを求められている」というものだ。

 これは、仏陀が説いていた転生輪廻や布施の精神、衆生救済の教えに近い。イエス・キリストの教えもそう遠いものではない。霊肉に関する教えや、隣人愛、プロテスタントで強く出てきた繁栄思想に対応する。

 イスラム教とも一致する部分はある。イスラムのたくさんの戒律は天国に還るためのもの。貧しい人に分け与える喜捨の教えや、イスラムの共同体を拡大・防衛するジハードの教えもユートピア思想として重要である。

 人間を「魂修行をしている存在」と定義することは、いつの時代も神仏の側は人間社会から「離脱」などしておらず、人類を愛し、導き続けていることを明確にしている。

 この定義の下なら、近代の「宗教からの離脱」を乗り越え、人間の動物化・奴隷化の流れを止められるのではないだろうか。

 未来学者のアルビン・トフラーは著書『富の未来』で、これからの時代は「文化、宗教、倫理などが舞台の中心に戻ってくる」と指摘した。まさにそれが始まっている。

 

人間は未来を変えられる

 ここで言いたいのは、「みな幸福の科学の教えを信じろ」ということではない。これぐらいの「人間の定義」が、これからの学問や社会のあり方の基礎になるのではないかという提案だ。今号の特集で平成の30年間は停滞の時代だったと指摘したが、その中で幸福の科学は成長し続けている。その提案には耳を傾けてしかるべきです。

 「経営の神様」の松下幸之助氏は生前、「新しい人間観」を唱えた。「人間は天命に従うことで万物を支配する力を持つ。天命にもとづいて善悪を判断し、衆知を集めれば、理想的な社会を実現できる」と説いた。

 「魂修行の過程で与える愛に生き、地上ユートピアを創る」という人間の定義は、人間が弱々しく、平凡な存在などではなく、未来を変えられる力強い存在であることを意味する。幸福の科学では、この「人間の定義」の上に学問を再構築しようとしている。例えば、経済学の領域では、平均的な「経済人」を多様性のある「神仏の子」に置き換え、「悟りを求め、愛を与え、地上ユートピアを創る喜び」が経済的な価値を持つとする「理念経済学」をつくり上げようとしている。

 

天上界の智慧を富に

 踏みこんで言えば、これらの学問の核心は、神仏の智慧をもとに今までにないものを生み出し、未来を創り出すことにある。

 多くの現代人にはにわかに信じられないかもしれないが、神仏は地上の人たちがもっと豊かになることを願い、導いている。西洋では、繁栄の神ヘルメスがいるが、世界中を富ませようと駆け巡っているからこそ、近現代の欧米の興隆があった。

 神仏は常に人間に対し、「こうすれば繁栄し、幸福になる」という価値判断を降ろし、それにもとづく「未来の設計図」を示そうとしている。天上界からの導き、インスピレーションから新しいものを創りだし、富に変えるのが、これからの時代の学問であり、経済や政治のあり方だと言ってもよい。

 日本の繁栄に責任を負い続けている日本神道の主宰神・天照大神は霊言の中で、IT技術やAIが発達する時代の生き方について語った。

「人間が人間として、この世に生まれ、生き、死んでいく理由は、『この世に生きている間に、何らかの新しい価値を創造した』ということにあります。

 (中略)機械にはできない仕事に対して挑戦し、人間として、新しい価値を生み出すことを生業とする人々が増えていくことを、心の底より望みます」(『天照大神の神示 この国のあるべき姿』より)

 神秘の世界には神仏の智慧という無限の「資源」が眠っている。それを富に変えられる人は、神仏と同じような「創造する力」を持つ。その仕事ができる宗教家、政治家、クリエーター、企業家、発明家などを育てるための学問が構築されようとしている。

 日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は、老荘思想から独自の素粒子論の発想を得た。発明王エジソンは、何らかの神的存在からのインスピレーションによって数多くの発明をしたと信じていた。

 

AIを魂修行のために

 IT技術もAIも重要ではあるが、それをどう使うかの倫理や方向性が要る。新しい「人間の定義」にもとづいて、地上の魂修行をより充実したものにするために、これらの科学技術は使われるべきです。

 例えば、幸福の科学にこれまで神仏が降ろした未来産業についての智慧や「設計図」は以下のようなものである。

 (1)交通革命やロボットによる移動や生活の時間短縮によって、より濃密な魂修行ができるようになる。(2)宇宙開発、海洋開発、地下開発などによって、人類の活動領域のフロンティアを開く。(3)食糧革命、エネルギー革命によって、人口100億人が共存して魂修行できるようになる。

 GAFAやAIの技術そのものに価値があるわけではなく、今までにない魂修行の環境をつくり出すことが重要です。IT技術やAIを「独裁者」を生み出すために使うのではなく、神仏の人類への愛のために使うということでもある。

 人類を導き続ける神仏の愛や慈悲を受け止める大量の人材が求められている。その人たちが「宗教から離脱」した近現代を終わらせ、中国やGAFAをはるかに超える新文明の繁栄を創り出すでしょう。

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