正しく見える教育無償化は地獄への道

教育無償化は、「教育に対する責任放棄」

 教育無償化をめぐる最大の問題として、「教育レベルが低下する」ことが挙げられます。

 どのような分野でも、お金をかければかけるほど、よりよいサービスを受けられます。それはサービスを提供する側に、「よりよいサービスを提供しよう」という責任感が生まれるためです。それは教育の分野でも同じです。

 今の教育は、日教組(日本教職員組合)が中心となって、指導方針を決定しています。その日教組は、教師を労働者として見ているようなところがあります。そうした状況の中で無償化を進めれば、教育が少しずつ、「教育内容(サービス)が悪くても構わない」という”手抜き”の方向に向かってしまう恐れがあるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『危機に立つ日本』で以下のように説かれました。

「『授業料がタダなら、教育のレベルが低くても許されるので、教師はもっと楽ができる』という安易な方向に流れるおそれがあります。そうすると、無償化のためのお金はまったくの無駄金になります。教育の内容が良いのであれば、それは無駄金ではなく、立派な投資になります。国民が素晴らしくなり、活躍する人材になって、国家が発展するならば、それは良い投資なので反対はしませんが、もし無駄金になるようなら、無償化には反対です」

 もちろん教育への使命感に満ちた教師が多数いることは事実です。しかし、公立・私立高校が実質無償化されれば、教師のやる気や使命感が大きく失われてしまう可能性もあります。

 優秀な生徒であるにもかかわらず、家庭の事情で高度な教育を受けられないという場合は、国や地方自治体は援助の手を差し伸べるべきです。しかし、「どんな家庭も一律で教育費をタダにすれば、子供が増える」という考えを政治家が持っているのであれば、それは教育の尊厳を失わせることになり、教育全体を腐敗させてしまいます。

 また、子供心に「親が一生懸命働いて、学費をつくってくれた」と感じるからこそ、大人になって「親の老後の面倒を見よう」という責任感が生まれます。教育無償化を進めると、「親に恩返しをし、社会に貢献しよう」と考える若者が減ってしまう恐れがあります。

 つまり、今の状況での教育無償化は、一見正しいようで実は正しくない、地獄への道と言えるのです。

 一見、子育て家庭を助けるかのように見える教育無償化ですが、大きな代償が伴います。

 無償化で新たに必要になる年間約1.5兆円の財源は、消費税率10%への引き上げによる増収分を充てることになっています。

 しかし、消費税率を引き上げれば、消費が低迷し、景気が悪化。各世帯の所得も減ります。1997年の消費増税後も、一家の大黒柱である夫の給料が減り、共働き世帯が2割近く増えました。その共働き世帯さえも、手取が平均で70万円近く減っているのです。

 同じように、再び増税をすれば、今回、高等教育の無償化の対象となる、低所得者世帯が増えることになります。いたちごっこになってしまうのです。

 そもそも、教育の充実には、多額の税金をつぎ込んで無償化する以外にも選択肢があります。例えば、「稼げる」教育を目指すこと、「出世払い」制度などがあります。 

参考

少子化対策 へ

「仏法真理」へ戻る