リーダーとして人生に必勝するための条件
リーダーとは、どんなところに配置されても、その場で自分が何をなすべきかが自分で分かる人のことである。
人から指示されなければ、自分が何をなすべきかが分からない人は、フォロワー(ついていく人)にすぎない。
部下を持っている場合、自分ではなくてもできる仕事を部下に任せたほうが、自分としても、より高度な成果をあげられることが見抜ける人は、リーダーである。
幸福の科学大川隆法総裁は、『智慧の法』で以下のように説かれました。
「以前、「リーダーの条件」という法話もしましたし、それが経典にもなっておりますが(宗教法人幸福の科学刊・本法話研修参加者限定)、私はそのなかで、「リーダーとは、『自分がやるべきことを知っている人』のことです」「『人から指示をされなければ、自分が何をなすべきかが分からない人』は、リーダーの条件から外れます。そういう人は、フォロワー(ついていく人)であり、部下に相当します」と述べました。
つまり、リーダーとは、ほかの人から言われなくても、今、自分がやるべき仕事は何なのかが分かる人です。
もちろん、社長以外の人には、部門の長であれ、何らかの会社の方針や方向性についての指導はあるでしょう。そうした大きな流れや、業種による方向性は当然あるとは思いますが、いろいろなところに配置されたときでも、「その場に置かれたら、自分が何をなすべきか」ということを自分で分かる人は、リーダーなのです。
さらに、「部下を持っている場合、自分の仕事のなかで、自分ではなくてもできる仕事を部下に任せたほうが、自分としても、より高度な成果をあげられる」ということが見抜ける人は、リーダーでしょう。
リーダーといっても、もちろんトップから、中間レベル、あるいは下のほうのリーダーまで、レベルの差はあるとは思いますが、基本的に、リーダーとは、「言われなくても自分のなすべき仕事が分かる人」のことを言うのです。」(214~215ページ)
リーダーは、「決断し、実行し、責任を取る」という潔さが必要である。
決断のときには、「正義とは何か」を常に追究し、決断したことを堂々と語り、実践する勇気が必要である。
さらに、リーダーは、どれだけ多くの人への責任を感じ、どれだけ多くの人のために責任を取ることができるかが大事である。
総裁は、『国家の気概』で以下のように説かれました。
「リーダーには、とにかく、「決断力」が大事です。決断力がないと、人はついてこないのです。
また、決断のときには、「善悪とは何か」「何が善であり、何が悪であるか」ということ、言い換えれば、「正義とは何か」ということを、常に追究しなくてはいけません。
そして、「真実、これが、未来を開く鍵である。未来を開く方向である」と思ったら、世間やマスコミの論調がどうであろうとも、「正しい」と思うことを、勇気を持って堂々と言うことです。それだけの自信が必要です。
決断し、そして、自分が決断したことを堂々と語り、実践する。そういう勇気が必要です。それが、やはり、リーダーの姿であると思います。
さらに、リーダーは責任を取らなければいけません。「どれだけ、多くの人のために責任を取ることができるか」「どれだけ、多くの人への責任を感じるか」ということが大事です。
そのように、リーダーには、「決断し、実行し、責任を取る」という潔さが必要だと言えます。」
リーダーとして人生に必勝するための条件
リーダーとして人生に勝利するための条件として、まず大事なのは、「先見性」である。
それは分かりやすく言えば、次の時代のメシの種を探す力のことである。
大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように説かれました。
「私の著書『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてありますが、まず、「先見性」が非常に大事です。先見性のあるリーダーがいるところは、やはり強いのです。
先見性とは、決して、「まだ起きていないことを見る」ということではありません。未来の芽は、すでに現在のなかにあります。生えたばかりの小さなフキノトウのようなものですが、未来の芽は、すでに生えているのです。
先見性とは、「その芽が、やがて大きくなるのが見えるか」「すでにある社会の事象のなかで、これから伸びてくるものが見えるか」ということです。そういう意味での先見性が非常に大事です。
これを、もっと分かりやすく言うと、「次の時代の“メシの種”を探せ」ということです。「来年、自社は何で食べていくか」「三年後、五年後、十年後は、何をして食べていくか」を考えることです。
今年の年次計画は立っているはずなので、「今年は、何で食べていこうとしているか」は分かるでしょう。「売り上げや利益が、目標に対して百パーセントまで行くかどうか」については、社内で十分に議論したことでしょう。
そうした三カ月や一年などの短い範囲ではなく、「三年後、五年後、十年後の商売の材料は何か」「今の商売がなくなるとしたら、次に、どのような業態を考えておかなければいけないのか」を考え、メシの種を探すことを、「先見性」と言っているのです。
これを考えている人と考えていない人との差は大きいのです。まったく考えていない人にとっては、予想もしない不幸が、突如、わが社やわが店に襲ってきたように見えます。
ところが、先見性のある人であれば、そうはなりません。
例えば、小さな店の経営者であっても、大学や工場の誘致といった、公共団体の事業計画や、大手スーパーの進出計画などを事前にキャッチすれば、「数年後、どのような街になっていくか」というぐらいのことは予想がつきます。
そして、「そのときに、街の地図は、どうなっているだろうか」「商店街は、どう変わっていくだろうか」ということをしっかり読めれば、あらかじめ手を打てるのです。これが先見性で
す。」
リーダーとして人生に勝利するための条件の二番目は、「胆力」である。
宗教は胆力を鍛える王道の一つ。信仰心を持って、瞑想や禅定などの修行をし、精神力を鍛えていくとよい。
不況期は、宗教修行をするのに非常によい。雌伏のときには胆力を練っていただきたい。
「二番目に挙げたいことは「胆力」です。
胆力というのは古い言葉ですが、「忍耐力」と言い換えれば、少し分かりやすくなるでしょう。胆力とは、人間として耐える力のことです。
今は、もちろん、会社として耐える力が必要ですが、個人としても耐える力が必要です。批判されたり、抵抗に遭ったり、障害物に遭ったりすると、簡単に挫けてしまい、すぐにあきらめるような性格の人が、好況・不況の波があるなかで生き残ることは、やはり難しいのです。
苦しい時代には、胆力、精神力を鍛えることです。あるいは、会社としての志を見直し、鍛え直すことが大事です。
そういう胆力が必要です。胆力を持っていただきたいのです。
胆力のあるリーダーの下では、部下は、信頼してついていくことができます。しかし、打たれ弱いリーダーの下では、下の人も右往左往してしまうのです。
胆力を練る方法はあるかといえば、あります。
胆力の鍛え方はいろいろありますが、宗教は胆力を鍛える王道の一つです。宗教における信仰心教育のなかに、不動の信念をつくる要素があるわけです。信仰心を持って、瞑想や禅定などの修行をし、精神力を鍛えていくのです。
不況期は、宗教修行をするのに非常によい時期です。
もし、これから会社が暇になるようなら、当会の精舎などで精神の鍛錬に励んでいただきたいと思います。そうすれば、また、しかるべきときに、飛躍し、雄飛する時期が来ます。雌伏のときには胆力を練っていただきたいのです。
そういうチャンスを与えられず、調子のよい状態だけが続くと、人は慢心していくのみであり、胆力を養うことはできません。苦しみの機会、自らを反省する機会を与えられることは、ありがたいことなのです。
例えば、業績が低迷している会社の社長であるならば、「わが社をさらに鍛えてくださって、ありがたい」と考えることです。低迷するのは、「社長としての徳が足りない」と世間から言われているのと同じなので、自らを鍛え直す必要があるのです。
精神力を鍛え、もっと大きな負担に耐えられるような自分をつくらなければいけません。社員が十人から二十人になろうと、五十人になろうと、百人になろうと、それを背負っていけるような力が必要です。それだけの中身をつくるために、自分を鍛えることが大事なのです。」
最後は、やはり、「勇気」「チャレンジする精神」が必要である。
チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があること。
この恐怖と闘う方法とは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることである。
「人生に必勝するための条件として、「先見性」と「胆力」を挙げ、「胆力は、特に、宗教的な修行で養えることが多い」ということを述べました。
さらに述べるとするならば、「最後は、やはり、『勇気』『チャレンジする精神』が必要である」ということです。
「壁」というものは、実際にぶつかってみると、破れることが多いのです。
「無理だ、無理だ」と言っている人の意見を聴いていると、本当にそのような気もしてきますが、そういう人に対して、私は、「まあ、やってみなさい」と言いたいのです。やってみたら、意外にできることもあります。
不況になると、どこも言い訳の山になりますが、うまくいかないことの言い訳を、いくら理路整然と説いたところできりがありません。
それよりも、勇気を持って行動する、チャレンジすることが非常に大事です。
チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があることです。過去につくった栄光やプライド、虚名などが、自分をチャレンジから遠ざけているのです。
かつての大恐慌のとき、アメリカ大統領のフランクリン・D・ルーズベルトは、就任演説で、「恐れなければならない唯一のことは、恐れるということ自体である(The only thing we have to fear is fear itself.)」と語り、恐怖と闘うように国民を鼓舞しています。
では、恐怖と闘う方法とは何でしょうか。それは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることです。
自分をいちばん萎縮させ怖がらせているもの、あるいは、自分がいちばん人の目を気に して恐れていることにトライすることです。チャレンジすることです。そうすると、恐怖は消えていくのです。いちばん恐れていることと果敢に闘うことによって、恐怖は克服することができます。「恐怖をこそ恐れよ」というのは本当なのです。
不況期には、いろいろな恐怖があるだろうと思いますが、恐れずにチャレンジしてください。恐怖こそ、克服すべき相手です。
もちろん、恐怖を乗り越えていくためには「信仰心」や「熱意」が必要です。そして、その熱意は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてあるように、使命感から生まれてきます。
したがって、恐怖を乗り越えるためには、自分の志や会社の経営理念のなかに、“魂”を打ち込むことが大事です。
「会社の経営理念に“魂”が入っているか」「自分のビジネス理念に“魂”が宿っているか」「本当に、天下国家、万民のためにやろうとしているか」ということを自らに問うことです。さすれば必ず道は開けていきます。」
リーダーとなる秘訣
リーダーとしての資質とは、安定感があること、それも単にレールの上を走っているような安定感ではなく、「どのような波風に当たろうとも、ぐらぐらしない」という意味での安定感である。
そうした安定感をつくる一つは、過去の人間が、どのようなときにどのような事態に接し、それをどう解決していったかについての叡智を集積することで、一段高い視点から物事を見、現在の事態を解決できることである。
また、人間の精神は、鍛えれば鍛えるほど、力や輝きを増していき、他人の何千倍、何万倍という能力的な発展がありえるのであって、精神的巨人になったならば、いまの自分には大問題であっても、容易に解決できるようになるのである。
大川隆法総裁は、『不動心』で以下のように説かれました。
「人生の苦悩は、ほとんどの場合、安定感を欠くところに原因があるように思います。
みなさんは、自分がこれまでに会った人たちのなかで、どのような人を素晴らしいと思ったでしょうか。どのような人を大人物だと思ったでしょうか。どのような人を偉人だと思ったでしょうか。
常に心がぐらぐらする人を、偉いと思ったことがありますか。怒ったり、泣いたり、喜んだり、一日のうちで気分がころころと変わる人を見て、素晴らしいと思いますか。「あの人のようにはなりたくない」と思うのではないでしょうか。
みなさんが理想の人間だと感じるのは、「あの人のようになりたい。あの人に近づいていきたい」と思えるような人たちでしょう。そうした人たちの共通項は「生き方に安定感がある」ということです。
リーダーとなる秘訣はここにあります。リーダーのリーダーたるゆえん、リーダーとしての資質とは、安定感があることです。その安定感も、単にレールの上を走っているような安定感ではなく、「どのような波風に当たろうとも、ぐらぐらしない」という意味での安定感なのです。
そうした安定感をつくっているものの一つは、すでに述べたように、「叡智を集積している」ということです。すなわち、「過去の人間は、どのようなときに、どのような事態に接し、それをどう解決していったか」ということについての叡智を集積しており、それを当てはめて現在の事態を解決できることです。
その際、「一段高い視点から物事を見ることができる」ということが大事なのです。
毎日、気分が揺れて不安定なのは、結局、「自分が直面している問題と自分とが、がっぷり四つに組んで、どちらが勝つか分からない」という状況にあるからです。「自分が人生の勝利者になるか、それとも敗北者になるか、相撲が終わってみなければ分からない」という状況にあるからこそ、心が揺れるのです。
問題をどう解決するかで悩む前に、問題をひと呑みするほどの大横綱になってしまうのです。そうすれば、小さな荷物を片づけるのは簡単です。普通の人なら背負って十歩と歩けないような重さの荷物でも、プロの力士たちは片手に下げて歩くでしょう。これと同じです。
人間は自分を鍛えていけば、やがて大きな人間となっていけるのです。
肉体の場合は、鍛えるといっても、その程度は限られています。しかし、精神の能力においては、偉人と凡人との差は非常に大きいのです。たとえば、ソクラテスと一般の人とでは、知力に大変な差があります。仏陀の叡智と一般の僧侶との差も、きわめて大きなものです。
人間の精神は、鍛えれば鍛えるほど、力や輝きを増していき、限界がありません。肉体の力には限界がありますが、精神の力においては、他人の何千倍、何万倍という能力的な発展がありえます。
そして、精神界の巨人となったならば、自分がいま手を焼き、「人生の死活問題だ」と思っていることが、いとも与(くみ)しやすいものとなるのです。」