人材教育が大切

 お上によって救われようとするのではなく、個人や会社が自分たちの力で成功と繁栄、ユートピア建設を目指すことが大切である。

 不況期は必要なものとそうでないものとが選別され、鍛えられる時期である。

 好況・不況にかかわらず、常に最高のものを目指し、努力しているような会社が不況期には真価を発揮する。したがって、不況期においては「人材教育」が大切である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように説かれました。

「“お上”によって救われようとするのはあきらめることです。お上によって救われる世界は、江戸時代やそれ以前の日本がそうです。しかし、お上は間違ったことをやることが多いので、改革はたいてい失敗するのです。お上の改革によって救われたり、幸福になろうとしたりすることは、もうあきらめたほうがよいでしょう。
 個人で頑張るか、自分の自由裁量の利く会社などで頑張り、自分たちのなかで、成功と繁栄、ユートピア建設を目指すことが大切です。
 この世のあらゆる職業がなくなるようなことは、ありえません。今、存在しているすべての業種が消えることは、ありえないのです。必要なものは必ず残ります。
 不況期は、必要なものと、そうでないものとの選別がなされ、鍛えられる時期です。その意味では、非常に“面白い”時期なのです。
 好況期には、下手な経営をしていても、ある程度うまくいきます。しかし、景気が悪くなると、不要なところはバタバタと潰れていきます。それは厳しいことですが、ありがたいことでもあります。
 人生のうちで何度かは、そういう厳しい目に遭いたいものです。個人としても、企業としても、焼きが入らないと、やはり本物にはならないからです。
 特に私が感じることは、「景気がよいときには、瞬発力のある『短距離ランナー』が有利であるが、不況期には、持久力のある『長距離ランナー』のほうが勝ちやすい」ということです。
 すなわち、不況期には、「今、手元にある商品を売れるかどうか」「今、このお客様に売り込めるかどうか」という直接的な努力とは別に、「個人として、継続的な努力を営々と積み重ねてきたかどうか」「会社として、好況・不況にかかわりなく、常に最善のものをつくり出し、お客様に提供しようと努力し続けてきたかどうか」ということが問われるのです。
 不況だから改善するのではなく、好況でも改善を続けている会社。好況・不況にかかわらず、常に最高のものを目指し、努力している会社。そういう間接的な努力を長く続けている会社が、不況期には真価を発揮してきます。
 同じようなことは会社のなかにおいても言えます。実は、経営層から見ると、不況期は、人材を、「本当に要る人材かどうか」という“ふるい”に掛けて選別し、鍛え直すチャンスです。これは、企業の調子が良いとできないのです。
 したがって、不況期における、いちばん正しい考え方は「人材教育」です。これが、いちばん効果があるのです。「不況期は人材教育の時期である」と考えたほうがよいでしょう。
 今は、商売自体に力を入れても、なかなか、そう簡単にはうまくいかないので、どの会社においても、人材教育を心掛けることが大切です。
 リーダーであるならば、自分の部下たちをしっかり教育することです。不況は必ず何年かで抜けるので、人材をよく鍛え込んでおけば、再び景気が軌道に乗ってきたときに、その人材が活躍し始めるのです。」

 

人材教育は経営者の仕事

 大川隆法総裁は、『経営者に贈る』で人材の教育は経営者の仕事であると指摘しました。

「あなたが経営者である以上、絶対に逃れられないのが人事の責任です。

 もちろん、人事部長人事課長、人事研修の責任者などを置くことは可能です。しかしながら、「人材を、どのように採用し、どのように教育するか。どのように抜擢、登用し、配置するか。どのような組織構造をつくり上げるか」ということは、まさに あなた一人にかかっているのです。」(P-20)

 また、次のような指摘もある。

「新規のことや重要なことについては、まずは自分もタッチするけれども、それも だんだんに下に下ろしていって、部下、幹部を育てていかなくてはなりません。

 また、経営チームをつくっていくことも非常に大事です。「人材を育てることも、トップにとって重要な仕事なのだ」ということを知っておいてください。」(『経営者に贈る』P-55~56)

 

部下を教育

 自分は根本の人生観において他の人への教育効果、指導効果を信じているか。信じることができる人は、ゼネラリストとして、あるいは経営者として成功していくことができる。

 しかし、どうしても信じることができない方は、自分の特性を生かしてスペシャリスト(専門職)としての成功を目指していけばよい。

 どちらだけが正しくて、どちらかが間違っているというのではなく、どちらにしても成功は可能であろう。

 その発展途上の私たち人間に注がれた仏のまなざしは、ほんとうに暖かい。私たちが個性を育んで成長し発展していくことを、仏はよしとしておられるのです。

 大川隆法総裁は、『幸福の革命』で以下のように説かれました。

「ほんとうに成功していくための、いちばんの勘どころは何かといえば、やはり人です。人材です。
 「人を生かす」ということが、結局は成功の秘訣なのです。
 これさえ押さえれば、お金などその他の問題は片付いていくのです。
 「人を生かしきるか、あるいは殺してしまうか」、これにかかっています。
 したがって、まず、いま自分の協力者として現われている人たちから最大限の力を引き出すことが必要になります。
 その際、「人は教育によって必ずよくなり、進歩する」と、教育の効果を信じることが大切です。これは信仰にも似た思いかもしれません。
 「早いか遅いかの違いはあるが、教えて導けば人は必ずよくなり、素晴らしい結果を生み出すようになる。こちらが努力すれば、相手も必ずよくなっていく」ということを信じられるかどうかが、真に成功できるか否かの分かれ道です。
 人にはそれぞれ才能があり、実力の差があります。しかし、根本の人生観において、教育効果、指導効果というものを信じられるかどうかが、その人の人生を分けることになります。
 それを信じることができないのならば、その人は指導者になる素質が低いのです。
 そうした人は、専門的な仕事のなかで自分の特性を磨いていくことです。自分の特性を生かしてスペシャリストとして生き、ゼネラリストになろうとはしないことです。
 一方、「教育や指導によって、人は必ずよくなるものだ」ということを信じられる人は、ゼネラリストとしての道を歩むことです。
 自分がどちらのタイプかを見きわめることもまた、大いなる成功への道だと思います。
 たとえ教育効果が信じられないタイプだとしても、専門職を目指す生き方を選ぶことによって、成功する道があるのですから、どちらにしても成功は可能なのです。」

 上司が部下を使って仕事をするときには、指導者的愛とエゴのための自己実現とがある。その違いは「動機」にある。

 ほんとうに相手をよくしていこうとしているのか、それとも手柄をすべて自分に帰するためにやっているのかが問われる。

 総裁は、『感化力』で以下のように説かれました。

「気をつけなければならないのは、「みずからの姿のなかにエゴイスティック(利己的)なものがないかどうか」ということです。
 上司が部下を使って仕事をすることが、会社のためにも部下のためにもなるのであればよいのですが、そうではなく、上司が手柄を独り占めしたくて、部下に「こうしなさい」と言っている場合は、問題があります。
 実は、部下や他の人をうまく使って仕事をし、手柄をすべて自分のものにしてしまう人が、世の中には、ずいぶん多いのです。
 もちろん、上司や師など、立場が上で認識力の優れた人が、高いところから下の人を導くのは大事なことです。
 そういう人の導きがなければ、下の人は、どうすればよいか分かりません。
 たとえば、新入社員の場合、将来は社長になるような器の人であっても、新入社員の段階では課長や部長の仕事はできません。
 立場が下の人に対しては、上の人が方向づけをすることが大切なのです。
 このような指導者的愛と、自我、エゴのための自己実現とは、はっきりと区別する必要があります。
 指導者的愛で他の人に方向づけをするのは、悪いことではありません。なぜなら、それは、相手を伸ばしていこうとしている行為だからです。
 ところが、単に「自分は、こうしたい」という利己的な理由だけで、他の人たちをねじ曲げていこうとするのは、間違っているのです。
 指導者的愛とエゴのための自己実現とは、結局、動機の部分に違いがあります。
 ほんとうに相手をよくしていこうとしているのか。それとも、手柄をすべて自分に帰するためにやっているのか。この違いです。
 たとえば、あなたが知人などを使って、ある仕事を行うとします。
 その場合、実際に仕事をする人たちには何の意味もないのに、あなたが、その点をまったく考えることなく、単に「これをしなさい」と言って、その人たちを使い、仕事の結果が、あなたの自己満足になるだけであるならば、やはり問題です。
 一方、その仕事をする人たちが、何か大きなものを手に入れ、仕事を通じて数多くの人に貢献できるのであれば、筋が通っており、あなたの行為は愛になるのです。
 指導者的愛によって人を導き、相手に変化を要請している場合と、自己の都合や利益のために人を利用している場合とを、はっきり峻別しなくてはなりません。
 そのためには、「自分のためだけに仕事をしてはいないか。周りの人たちのことを考えているか」ということを常に点検する必要があります。
 そのような点検の結果、問題がないのであれば、その仕事は大いにやるべきです。部下や協力者たちに大いに仕事をしてもらえばよいのです。」

 

部下の育て方

 上司とは部下に仕事を与える存在。上司が仕事を与えなければ部下は伸びない。自分が頑張るだけではなく、部下に仕事を与え、育てることが大切である。

 また、上司は部下を導く存在でもある。どうすれば部下が自分で判断できるようになるか、どうすれば部下がうまく育つかを考えなくてはならない。

 部下の問題を自分がすべて解決しようとするのではなく、その人にとって大事なヒントを与えれば それで充分である。

 大川隆法総裁は、『感化力』で以下のように説かれました。

「スランプに陥りやすいのは、「何もかも自分でやろう」という気持ちの強い人です。完全主義の人ほどスランプになりやすいのです。
 そういう人は、「自分がしなければならない仕事、自分にしかできない仕事をしているのか。それとも、他の人の仕事を奪っているだけなのか」ということを、よくチェックする必要があります。
 完全主義者は、「自分でなければできない」と思い込み、力んでいることが多いのですが、実際には、「人を使うのが下手なだけ」「他人の仕事を奪っているだけ」「知恵がないだけ」という場合がよくあります。
 たとえば、会社の課長のなかには、自分がいないと仕事が絶対に回らないようにしている人がよくいます。そのため、その人が休みを取ると、課員は何をすればよいのか分からず、「課長が出てくるまで、お待ちください」と言って電話番をしています。こういう課長は他の人の仕事をかなり奪っているのです。
 自分が頑張るのは当然のことですが、それだけではなく、自分がいなくても、ある程度は仕事が回るようにしておかなくてはなりません。そうしたバックアップ・システムをつくっておくことは、自分のためでもあれば、他の人のためでもあり、また、会社全体のためでもあるのです。
 世の中には、駕籠をつくる人だけではなく、駕籠を担ぐ人もいれば、駕籠に乗る人もいるのですから、役割分担が非常に大事です。いろいろな人に、それぞれ仕事を受け持ってもらわなくてはなりません。
 したがって、自分が頑張るだけではなく、他の人にも仕事を与え、その人を育てることが大切なのです。
 上司とは、部下に仕事を与える存在です。上司が仕事を与えなければ、部下は伸びません。仕事を与えることは、その人を苦しめることではなく、育てることなのです。
 また、上司は部下を導く存在でもあります。上司は、「どうすれば部下が自分で判断できるようになるか。どうすれば部下がうまく育つか」ということを考えなくてはならないのです。
 たとえば、部下から相談を受けたときには、その人に対して、「こうしなさい」「ああしなさい」と言うだけではなく、「この点をどう思うか」「この本には、こう書いてあるが、それについて、どう思うか」などと問うことも大切です。
 そうすると、その人は、「うーん、そうだな」と考えはじめます。そのあと、「この本をよく読んで、もう一回、考えてみなさい」などとアドバイスすればよいのです。
 「相手の問題を、自分がすべて解決しなければならない」と思ってはいけません。その人にとって大事なヒントを与えてあげれば、それで充分なのです。
 相手の悩みに付き合うのではなく、その人がみずから立ち上がれるように導くことが大切です。それは、自分の仕事を軽減すると共に、その人をレベルアップさせることにもなりますし、ひいては、両方がスランプに陥ることを防ぐことにもつながるのです。」

 自分を律する能力が高く、よく仕事ができる人ほど、他の人に対しても同じ厳しさを求めがちである。しかし、それでは多くの人はついてこれない。

 耐えたり、忍んだり、受け入れたり、人の間違いに目をつぶったりする能力、忍耐力、包容力、罪を許す力も人生の成功ためには大切である。

 総裁は、『希望の法』で以下のように説かれました。

「長い人生において成功を続けていくためには、ある程度、自分を律していく気持ちがなければいけません。一時的に、さまざまな手段を用いて勝ったり成功したりすることはあるとしても、長い目で見て成功するためには、自分を律する気持ちを持って、謙虚に自分を磨いていくことが大事なのです。
 ただ、自分を律する気持ちを持っていると、他人に対しても、同じように厳しくなりがちなので、どこかで、寛容の心、包容力を養っていかなければなりません。
 たとえば、政治家で、能力的には高いのに、なかなか偉くならない人がいます。それは、能力の高さが他の人に対する厳しさになっているために、人がついてこないからなのです。会社の社長の場合も、同じようなことはあるでしょう。
 その反対に、西郷隆盛は「正月の餅のようだ」と言われていました。「置いておくと、すぐに隣の餅とペッタリくっついてしまう」というわけです。要するに、「近寄ってきた人がペタべタとくっつく」ということです。西郷隆盛は、そういう〝粘り気〟のある人だったと言われていますが、それも能力の一つであり、人間には、そういうところも必要なのです。
 忍耐力や包容力、罪を許す力も大きな力です。これは試験では決して測れない能力なのです。これが、正月の餅のように人間と人間を結びつけ、協力者を増やしていく力になります。人に対して厳しすぎると、人が離れていくだけになるので、ある程度、包容力を持って人を受け入れていく必要があります。そういう能力もまた、〝リング外〟の力として働くことがあるのです。
 自分の能力一本で成功しようとすると、どこかで挫折が来ます。「理外の理」というものがあるので、理論だけで考えてはいけません。人間には、理論以外の「情」の部分があるので、耐えたり、忍んだり、受け入れたり、人の間違いに目をつぶったり、きついことを言われても受け流したりする能力も大きな力なのです。
 成功への道は一通りではなく無限にあります。尾根道から尾根道への一本道だけではありません。いろいろな成功の仕方があります。人間の実力にも、さまざまな面があるので、いろいろなところで自分の実力を鍛え、少しずつ少しずつ上がっていくことが大事です。」

 才能のある部下や同僚、上司がいたら、その才能を愛する傾向を持つこと。

 これは、努力して獲得するべき努力目標であるが、ユートピア建設のためというだけでなく、自分自身のためでもある。

 他の人の素晴らしい部分を認めることによって、「自分のなかにも そうした素晴らしいものをつくりたい」という思いが生じ、それはやがて大きく育っていき、自らの大成功にもつながっていく。

 総裁は、『幸福の革命』で以下のように説かれました。

「人を育て、人に育てられながら、ほんとうに出世していくためには、「他の人の才能を愛する」ということも必要です。大器となるためには、大成功者となるためには、他の人の才能を愛するという傾向性が不可欠なのです。
 これは努力目標だと思ってください。こうした傾向性は、努力して獲得するものなのです。
 大成していくためには、上に対しても下に対しても才能ある者を愛するという傾向性を持つことが大切です。
 これができない場合には、出世しようとすると、「気にくわない者は粛清していく」という考え方になります。これは全体主義の流れと同じです。「自分の意に反する者は消していく」ということ以外に道はなくなるのです。
 しかし、それでは、ほんとうの意味での大調和、ユートピアを建設できるはずがありません。
 どうか、才能を愛するという傾向を持ってください。
 他の人の才能を愛することは、他の人のためだけにあるのではありません。他の人の優れたところを愛することは、自分のなかにも、そうしたものが芽生えつつあることを意味します。
 他の人の素晴らしい部分を認めることによって、「自分のなかにも、そうした素晴らしいものをつくりたい」という思いが生じ、それはやがて大きく育っていくのです。
 この点を心していただきたいと思います。」

 

責任感のある人材を育てようとする際のポイント

 プライドが強い人は責任感も強い場合があるのですが、プライドが強くて責任感がないタイプの人は、もはや手に負えないところがあります。

 「プライド的には、自分を宇宙空間まで打ち上げていきたいほどのものがあるけれども、責任だけは、できるだけ少ないほどよい。アリ一匹でも重い」という感じの人もいるのです。

 ただ、このタイプは、何となく嫌われる雰囲気が出てくる場合もあれば、明確に嫌われる場合もあります。「生まれつきの役人気質」と言えば、そういうところもあるのかもしれませんけれども、気をつけなければいけないところでしょう。

 出世を目指さないタイプの人の場合、意外に家庭的なこともあるので、家ではよい父親だったり、よい母親だったりすることもあります。一方で、会社への忠誠心だけでやっていると、なかなか家に帰ってこない人もいるので、子供から見れば、「ひどい親だ」と思うこともあるでしょうし、部下から見ても、責任感があるように見えるか、見えないかということに関しては、やや疑問があるところでしょう。

 ただ、とりあえず、上の立場でも下の立場でも言えることは、やはり、「器を大きくしよう」という気持ちは、いつも持っていたほうがよいということです。(2018.1.11法話「大人になるということ」質疑応答より)

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