降魔と経営

 「降魔成道」は仏教の原点でもあり、実際に釈尊の生涯を記した大乗経典に書かれている史実です。
釈尊は、成道を前に悪魔から様々な惑わしを受けました。家族への愛着や名声へのこだわり、恐怖を掻き立てるような現象をすべて退けて悟りを開いたのです。
現代は、経営においても悪魔の攻撃をどう防ぐかが必要な時代かも知れません。

 幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「悪魔と戦う場合でも、「自分の位置が、今までと“ずれてきている”のではないか」ということを、よく見る必要があります。
 要するに、悪魔にとっては、私自身を狙えない場合は、“弱いところ”を探すわけで、それが、自分が逃げられない人間関係の部分なのです。例えば、職場には、「自分の立場上、縁を切ることができない」という関係者がいます。そして、そういう人を経由して、悪魔にガンガン攻められたら逃げられないわけです。あるいは、家族であっても同じでしょう。私には父親や母親、兄がいましたが、家族関係で攻められると、やはり逃げられません。そのように、悪魔は「搦め手」から来ます。
 修行をしているほうは、ある程度はねのけるつもりではいても、家族のほうは、そこまで修行をしていないので簡単に入れます。そこを揺さぶれば、一発で落とせるわけです。やはり、ここを狙われるのは非常に厳しかったと思います。」
(『凡事徹底と人生問題の克服』)

「経営者、あるいは創作等をしている者にとっては、あるときまでヒットが出たり、当たりがあったりすることがあっても、それ以降、アイデアが涸れてくることがあります。これは、経営者であれば、倒産の危機を意味するでしょう。
 経営者などの場合、アイデアが連続して出てくるようでなければいけないので、絶えずタネを仕込んでいくわけですが、そのタネのなかに腐ったものが入っていないかどうか、よく見る必要があります。
 経営の判断をするにしても、アイデアを使えば必ず消費されることになるので、つくり続けていく努力をしないかぎり、材料が尽きてなくなっていくのです。もちろん、マンガであろうが、映画であろうが、小説であろうが、あるいは、宗教の説法であろうが、経典であろうが、同じであって、勉強を続けて、「アイデアの引き出し」を常につくり続けていく努力をし、感性を磨き続けないかぎり、必ず、途中で涸れ始めます。」
(『悪魔からの防衛術』)

「魔が己の心のなかに入ってくるときには、たいてい執着があり、「自分は、これだけはどうしても手放したくない」というようなものを持っていることがあります。
 その際に、では、それが自分の手から離れたらどうなるのか、その事態ははたして受け入れられないものなのかどうかを、問うてみてください。このときに、「いつでも、またゼロからスタートする」という気持ちを持っているならば、いち早く執着から逃れ、平静心を取り戻すことができます。例えば、自分が会社の経営をしているとしましょうか。しかし、「赤字の状態が続いているために、給料は払えない。銀行の利子も払えない」といったことで悶々としていると、大変な執着になってきます。
 しかし、こういうときにも、一つの達観が必要なのです。自分の置かれた立場というものを第三者の目で冷静に見てみて、「どのような結論になったとしても、自分はまた生きていける。力強い再出発を切ることができる」と覚悟していると、心は安らいできます。そして、この安らいだ心でもって、冷静に対策を立てていくのです。」
(『信仰と情熱』)

「その人の求め続ける姿勢とも関係がありますが、「祈り」というものもあります。祈った者には応えが来ますが、祈らない者に応えは来ません。
 「求め続けるなかに、霊界からのアドバイスを受ける」ということも当然ありえます。霊界からのアドバイスを受ける方法は、まず、その人が真剣に求めていることです。それから、心に曇りがないことです。無私の心で無心に求めていること、つまり、「世のため人のために、やらなければいけない仕事なのだ」と思い、無心に求めていれば、応えが来ますが、我欲を出して、「もう少し贅沢をしたい」「個人的に、いい格好をしたい」などという思いがある場合には、天上界からのアドバイスは来ません。そういう場合には、逆に悪魔のほうからの“アドバイス”が来るかもしれません。
 あの世にいる経営者でも、菩薩クラスの魂であれば、人助けをしたくて、しかたがないのです。地上で倒産しそうな企業があったり、「発展したい」と思っている経営者がいたりすると、「アドバイスをしたい」と思っているのです。」
(『智慧の経営』)

 魔境に陥らないための智慧は現代の経営者にも必要です。

「貧乏神は現実にいます。私は、「世の中には悪魔や悪霊が存在する」という言い方をしていますが、あの世には、ほかの人を病気にさせたり、事故に遭わせたりして、人々を苦しめることを“職業”にしている霊が現実にいるのです。
 そういう貧乏神の正体は何であるかというと、たいていは、生前、自分で事業経営をし、会社が倒産して、首吊りなどで自殺したり、一家が離散して人生が目茶苦茶になり、非業の最期を遂げたりした人たちです。
 これが取り憑くと、憑かれた会社が潰れたりします。つまり、貧乏神が、生前の知り合いなどに取り憑くと、その人の会社も、貧乏神の会社と同じように潰れたりするのです。
 「事業が何代も続けて潰れる。工場をやったら潰れ、お店をやっても潰れる」という場所があります。風水か何かの話のように聞こえるかもしれませんが、貧乏神が地縛霊になっている所は現実にあるので、気をつけないといけないのです。」
(『繁栄思考』)

「私たちは、通常、唯物論的なこと、あるいは、この世的なことには反対していますが「この世的な論理やこの世的な原因によって、何かつまずきがあり、それが解決されないために、本人が悩んで前進できない」という場合には、やはり、この世的な問題にも消し込みをかけていかなければいけません。
 例えば、年商一億円ぐらいの中小企業の経営者の場合、五億円の借金を抱えていたら、夜はなかなか寝られないでしょう。
 どうにかして、「会社の体質を変え、収益構造を変えて、借金を減らしていく」という具体的な努力が軌道に乗れば、悪魔も退治しやすいですが、「このままでは潰れるしかない」という場合だったら、逃れられない部分もあります。
 霊的なだけでも駄目で、この世的な原因も見抜くことです。例えば今、述べた中小企業の経営者の話で言えば、本人ではなく、奥さんに原因があったり、子供に原因があったりなど、本人が知らないところに原因がある場合もあるし、本人が話さない場合もあります。あるいは、「会社のなかに、実は、問題のある人がいる」とかいうことが、原因になっている場合もあります。そういう原因があるのであれば、努力して探究することも大事です。」
(『エクソシスト概論』)

「私は、「下山の思想」に対する警告をしています。これは一種の“悪魔の思想”のように見えなくもありません。
 私たちは、これを流行らされないように、このベクトルを逆の方向に向けなければいけません。それは難しいことだろうと思いますが、やらなければいけないのです。「下山の思想」は、できないことの言い訳に全部使えます。経営者も、政治家も、教育者も、みな、これを言い訳として使えるのです。
 例えば、「人口が減った」「若者が減った」「世界的に景気が悪い」「金融情勢が全体的に悪い」など、いろいろと言い訳はあるでしょうが、それらをすべて、「下りに向かっていくことを肯定する思想」で合理化すると、人々は自己研鑽をしなくなり、セルフ・ヘルプの精神は死んでいきます。その“引力”に負けずに、突破していかなければいけません。」
(『経営戦略の転換点』)

「ともかく、事業経営となると、「慎重さ」や「緻密さ」、「バランス感覚」が非常に大事になってきます。そして、このへんが欠けると、その欠けている部分で“穴”が開いたところを悪魔に攻められることがあるのです。
 悪魔は、たいていの場合、弱っているところ、要するに「搦め手」から来るのです。
 したがって、まずは、そうした「弱み」や「隙」をつくらないことが大切でしょう。さらに、その次には、強みの部分」を増やしていって、しのげるようになることです。
 悪魔は、現代的なことについてはよく分かりません。したがって、悪魔にやられないためには、前述したように、まずは、会社で言う「採算が取れるものの考え方ができる」ことが大切になります。それから、新聞やニュース等を見ても、いろいろな人が犯罪に遭ったりしているでしょう。あるいは、攻撃されたりしていることもあるわけです。それを他人のことと思わずに、「明日はわが身」と思って見ていかなくてはいけません。“現代的な罠”に嵌まらないようにするための「常識の部分」を少しずつ身につけて知っておくことが、攻撃を防ぐための力になるだろうとは思うのです。」
(『凡事徹底と人生問題の克服』)

 およそ5,000社にも及ぶ赤字企業を立て直したという伝説の経営コンサルタント、一倉定氏。

 社長を苛烈に叱り飛ばす情熱的な指導で知られ、なかでも、「穴熊社長になるな」の教えは有名でした。

 最前線の現場のなかにある罠(リスク)を見逃さないことが重要です。

「ボトルネックというのは、もともとは、水差しなどのボトルの首の部分のことです。ボトルのなかの水が外に出るときは、ネック(首)の太さでしか出ません。大量の水が入っていても、そこを通らないと水が出ないので、一度に出る水の量に限界があるのです。
 組織体でも、どんどん発展して大きくなっていくと、発展の過程のどこかでボトルネックの部分が出てきます。
 「常にそこを通さなければいけない」という部分がネックになります。だれか特定の人のところがネックになったり、仕事のやり方がネックになったりします。
 経営者として非常に大事なことは、「事業というのは、発展する過程でどこかに必ずボトルネックが出てくるものだ」と知ることです。発展を阻害する部分がどこかに出てきて、それが解決されないかぎり先に進まないということがあります。」
(『常勝の法』)

「優れたる人というのは、一生懸命に自分づくりを行った人が多く、自分を磨く努力をし、精進をしていくなかで、他の人から認められるようになり、それ相応の地位に就いたり、権威を持ったり、影響力を持ったり、あるいは、金銭的なパワーを持ったりすることもあります。例えば、実業家であっても、ものすごく大きな力を持っている人であれば、本当に、総理大臣よりも力があるのではないかと思われるような人もいるでしょう。
 ただ、そのように権力が大きくなると、やはり脇が甘くなっていくので、やっていることもだんだん傲慢になっていったり、周りの意見をあまり聞かなくなったりします。そうすると、やはり、そんなところに隙ができ、何らかの正しさの歪みのようなものが出てくることもあるかもしれません。あるいは、会社レベルにおいても、会社の理念のようなものを繰り返し教え込むなかに、ある意味では宗教の悪い部分として言われる“刷り込み”、“洗脳”に近いようなものがあるかもしれません。
 そのようなわけで、なかなか手強いところはあると思っています。」
(『悪魔からの防衛術』)

「例えば、映画にしても、銀行強盗ものをつくって、“金儲けをする手法”を一生懸命教えたりすることもあるでしょう。ところが、「暴力と銀行強盗」をテーマにした映画ばかりつくっていたら、それを観る人もつくる人も、そういう世界と同通してくるはずです。
 要するに、いろいろな犯罪的手口等を研究しすぎたり、実践しすぎたりすれば、地獄への道に通じるし、それに夢中になっている人には、当然ながら、それ相応のものが取り憑いてくるのです。
 マフィアのドンや、暴力団系の経営などをしている人には、そこそこのものが憑いてきていると思います。おそらく、人を使いながら犯罪を起こしていく人、つまり、組織性犯罪等を起こす人には、「大悪魔」とは言わないまでも、「中悪魔」か「小悪魔」ぐらいは憑いているのではないでしょうか。
 ともかく、一般的に言っても、法律的に犯罪とされているものには、あまり近寄らないほうが安全であるのは間違いありません。そういうものは、霊的にも地獄につながりやすいことは確実なのです。」
(『真実の霊能者』)

「いずれにせよ、他人よりも高い地位に上がっている人は、そこまで行きたくても行けない人から、羨望や嫉妬の思いなどで常に見られているだろうと思います。もちろん、こうしたものは誰でも、ある程度は持つものですが、そこに一定の複数性のようなもの、複数の人が持ちやすいような傾向が出てきた場合は、悪魔の狙いやすいポイントになります。
 基本的に、いわゆる「三福の説(惜福・分福・植福の幸福三説)」のようなことを常に考えておいたほうがよいのではないでしょうか。」
(『凡事徹底と人生問題の克服』)

 幸福の科学では「天狗型の成功への戒め」の教えが数多く説かれています。自らの成功ばかり自慢するタイプの経営者には、いわゆる 天狗 が多いようですが、彼らは一旦、魔境に入ると、すってんころりん、高転びする傾向が強いのだとか。諫言を聞く耳を持たず、自分の地位を守ることに汲々とするタイプの経営者には、「謙虚さ」とともに、つねに学びの場に自分を置くことが大切です。

「この世の役職とか、年齢とか、八十年の人生経験があるとか、自分は十代続いたいい家柄だとか、自分の兄弟は偉いとか、親は偉いとか、いろいろなことがあると思うけど、そういうことは一切関係ないのです。
 その人が、そういうものをすべて取り去ったならば、当会の流れが直流で入ってくるようになり、効き目はかなり強くなるでしょう。本人自身が、救いを妨げているケースは極めて多いです。
 「『そうは言っても、私は外国帰りで、コンサルタントをやっているんだ。君たちより、経営については、よっぽどよく知っている』というようなプライドがあるけれども、本当は、自分の会社はうまくいっていない。そして、『政府の政策が悪いために、うまくいっていないのであって、私の責任ではない』と考えていて、そういう心労がもとで、実は、悪魔に入られている」という人もいるかもしれません。そういうプライドも大事ではありますが、いったん取り去り、純粋な信仰に戻れるなら、戻していただきたいと思います。」
(『エクソシスト概論』)

「「仕事で実績をあげたい」「もっとよく言われたい」というのは当たり前のことで、そう思うべきではあるでしょう。ただ、本来であれば組織や会社のためにプラスになるはずのことであっても、そのなかに虚栄心や自己顕示欲のようなものが紛れ込んでくる場合もあるので、そこに悪魔から狙いをつけられることはあります。
 目立ってくればくるほどに、淡々と仕事をしていけるような感じが大事です。そういう心境を持つのはそれほど簡単なことではないと思いますが、他人からちやほやされたり、ほめられたり、「まあまあ、どうぞどうぞ」と言われたりするようなときに淡々としていられるというのも、一定の胆力だと思うのです。
 偉くなったら、謙虚になり、“お飾り”にされないように気をつけなければいけないし、淡々と仕事をこなしていく態度が大事でしょう。それから、自分に厳しくなるところも必要です。」
(『凡事徹底と人生問題の克服』)

「霊能者ではなくても、たとえば経営者や学者のなかには、非常に強くインスピレーションを受けているタイプの人がいます。こういう人は守護霊の通信を間接的に受けているのです。ひらめきというかたちで彼らの声を聞いていることが多いわけです。このような場合にも、ある意味で阿羅漢の一種に達していると言えるかもしれません。
 一般的な「阿羅漢の基準」としては、第一に、心に引っ掛かりがなく、透明感が増すこと、第二に、霊界と同通するか、あるいは、それに近い状態になること、第三に、他人の気持ちが手に取るように分かりはじめること、この三つの基準を挙げることができるでしょう。
 霊的能力を持ちたがる人、あるいは持った人には、どうしても、うぬぼれの気持ちが出てきます。その気持ちのところに魔が忍び込み、本人を転落させるように誘惑することになるのです。これが、いちばん危険な現象です。したがって、阿羅漢の状態に近づいたと思ったら、みずからを謙虚に考える必要があります。みずからを謙虚に捉え直していく必要があります。こうして初めて真実の阿羅漢となれるのです。」
(『幸福の科学とは何か』)

「現実の仕事能力も磨き続けてキャリアをアップしておくことが、実は、霊的な能力において「悪魔の論理」を断ち切ったりするのに役立つのです。
 自分が悪霊祓いをするときに、「なかなかうまくいかないな。いつもいつも悪いやつがやってきて、取り憑いて離れないな」と思ったら、自分の仕事のなかで何か無理をしているところがないか、解決がつかないところや我慢し続けてきついところ、問題が大きく見えすぎているところがないかどうかを見て、それを細分化するなり、時系列で割ってやるなりするとよいわけです。あるいは、「自分の分限として、どの程度までできるのか」というところも判断してみてください。
 こういう工夫をしなかった人は、残念ながら、悪霊・悪魔祓いにおいても、最終的には“沈没させられる”ことがあります。したがって、この世的な能力とも重なりますが、最終的には、「人間としての総合力」が効いてくるのだということを知ってください。」
(『悪魔からの防衛術』)

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