公立学校は「民営化」で立て直せ

教員身分の安定が堕落に

 その答えはハッキリしている。戦後始まった全国一律の公立学校は、1980年代頃から多様化し、高度化する国民の教育ニーズに対応できなくなっていた。1980年代以降の塾の隆盛、校内暴力やいじめの増加がそれを物語っている。ここに来て、ついに行政側が「今の公立学校の限界」を認め始めたということである。教育に関する住民の意識がきわめて高い港区で、全国に先駆けて塾への委託が始まったことは象徴的です。

 時代の変化に対応できない理由は、かつての国鉄を思い出せば分かる。親方日の丸の安定した競争なき身分は、すべからく怠惰と堕落につながりやすいということである。

 この点について、幸福の科学大川隆法総裁は以下のように指摘された。

「公立学校は、『努力・精進をしなくても、身分が安定していて、一生、食べていける』という環境になっています。公立学校の教員は、それだけ公務員としての身分が厚く保護され、恵まれているわけです。そのことが、より質の高い教師を集め、子供たちへの教育が充実する方向にいけばよいのですが、どちらかといえば、やはり堕落の方向へ行きます。実際に、知識教育や受験技術の指導などについて、塾や予備校に丸投げしてしまった結果、教育の空洞化が起きています。そうなると、『教員の身分保障、恵まれた条件は、いったい何のためにあるのか。すでに堕落への道に入りはじめているのではないか』ということが、厳しく点検されなければならないでしょう」

参考

今の公立学校はハイコスト・ローパフォーマンス

 そして、特に子供を持つ親なら絶対に見落してはならない点がある。公立学校の通常授業も港区のような希望者向け特別講座も、決してタダではないということである。それどころか、公立学校は非常な高コストで運営されている。その出どころは、無論私たちの税金である。公立の先生は塾に比べれば全然厳しさが足りません。塾の先生は、成績アップや志望校合格など目に見える成果を求められ、不適格ならクビになる。教えることに関するプロ意識も強い。公立の先生は、公務員の身分保障があるのでどうしても甘くなりますが、もっと魅力ある学校にする努力をしてほしいものです。

 学力低下、不登校、いじめや非行、全国の公立学校のそのような「低品質の教育」に巨額の税金が使われる一方で、多くの家庭が高い月謝を払い、子供を塾に通わせている。今の公立学校は、倒産状態にあるのではないでしょうか。

 時代に合わない社会主義的で生産性の低い部分は見直し、民間の智慧を入れて「教育の自由化」を推し進めることこそ、未来の繁栄を担う人材輩出に向けた「国家百年の計」です。

 ただ、「学校に行かず塾だけでよい」という考えもありますが、世の中にはいろんな子がいるということを知るうえでは、公立学校に行く意味もあると思います。

 ただ、公立の先生方も、もっと自分の学校を魅力ある場所にする努力や生徒を集める努力をしてほしい。保護者や子供の立場で言うなら、単に学費が払えるから私立に行くとか、払えないから公立で我慢するとかでなく、教える中身の良し悪しで公立学校も選べるようになってほしいものです。

 

公立学校「民営化」のスキームいろいろ

 ゆえに、対策もハッキリしている。倒産状態の事業体は一日も早く清算し再建すべし。国鉄同様「民営化」である。最もやってはいけないのは、不採算部門である教育にさらなる公費をつぎ込むことです。

 ただし、民営化といっても、段階論やさまざまな形態はあってよい。すでに始まっている民間人校長など、実社会で経験を積んだ人を管理職や教員として登用し、学校運営や授業内容を世の中のレベルやスピードに合ったものにするやり方もある。文字通り民営化するなら、教育産業などの企業に学校ごと売却すればよい。公立学校売却スキーム(枠組み)の策定も、ゼロベースで発想すれば難しいことではない。市場競争で鍛えられた民間人の経営努力は、新たな価値を生み出す大きな可能性を秘めているのです。

 

全国学力テストの実施と結果の全面的な公開を実現して、学校間の競争を促す

 全国学力テストの結果公表によって、教師間、学校間の切磋琢磨が生まれ、公立学校の教育の質の向上が見込まれます。こうした教育政策を進めることで、子供を塾に通わせることのできない低い所得の家庭の子供でも、質の高い教育を受けられるようになります。

 公表することによって、教える側の教師や学校間の切磋琢磨が生まれ、教育内容が改善されるのであれば、ルール(規制)の方こそ変えるべきでしょう。

 「生まれや親の職業などに関係なく、多くの人々にチャンスの平等が用意され、その人の努力に応じて勉強の成果によって身を立てられる社会は良い社会だ」という価値の共有です。「教育は国家百年の計」であるという言葉をかみしめ、勤勉な子供、教育熱心な教師をつくる。そして、多様な教育ニーズに応え、民間の力を生かし切る教育改革が求められます。

 根本的な問題は教師の質にあります。塾や予備校に「カリスマ講師」がいて、授業が全国に中継されることを考えれば理解できるでしょう。この教師の質を改善しない限り、少人数であっても、学力向上やクラス運営の改善にはつながりません。

少子化対策 へ

「仏法真理」へ戻る