本来の「第3の矢」

 農家に生まれなければ農業をやるのが難しい「身分差別」を打ち破る農業参入自由化。多様なサービスを認める医療分野の自由化。非効率な土地・空間利用のため住宅水準が低い都市部の大改造。所得税・法人税の低税率フラット化など。

 これらは、ケインズと並ぶ20世紀の代表的経済学者、ハイエクとシュンペーターの考え方に基づく。ハイエクは、政府が市場に介入すると人間の自由が失われると説いた。シュンペーターは、イノベーションを起こす企業家についての理論を構築した。

 安倍政権は、こうした「第3の矢」に一部取り組もうとしているが、業界団体や官僚組織にことごとく跳ね返されている。

 結局、アベノミクスは、防災のための「国土強靭化」の公共事業のところでストップしてしまっている。インフラの補強では、リニア新幹線などのような爆発的な経済効果を生むわけではない。アベノミクスは「1.5本の矢」止まりというところでしょうか。

 であるならば、サブプライム問題以降、何倍もの量のお金を刷りまくって、不動産投資をひたすら拡大している中国共産党のやり方と極めて近い。残念ながら、やはり自民党は「共産党」と変わらない。

 

戦後の自民党は「共産主義」だった

 幸福実現党が国政を担ったことがあるわけではないので、自民党と単純に比較することは難しい。ただ、自民党が目指すものと、幸福実現党が目指すものとは決定的な違いがあると言えそうです。それは、何が人間の幸福なのかをめぐる違いでしょう。

 戦後の自民党は、「弱い立場の人たちが正しい」という政策を柱にしてきた。

 農業への企業の参入を頑なに排除し、共産中国の毛沢東が始めた人民公社のような農協組織を守り続けてきた。

 公的年金は、厚生労働省の年金課長や年金局長が計算した金額でもって、全国民が老後の生活を成り立たせていこうという不思議な制度です。なぜ一役人が1億数千万人の生活に対して数十年後までも責任を負えるでしょうか。その仕事を成し遂げられたら、人類史上最高の天才として賞賛されることは間違いない。

「国民の大多数は愚かで将来設計ができないから、代わりに考えてあげよう」という、これまた“善意”なのでしょう。

 戦後の自民党が目指してきたのは、全国民を公務員のように税金で面倒見ようという社会です。

 ところが、その結果は、目も当てられないことになった。これから払う予定の年金は合計で約1000兆円も足りず、消費税を今後20%、30%、40%と引き上げてかき集めるしかない。しかも、生まれたばかりの赤ちゃん世代は、生涯通じて年金で約3000万円も損をする。

 この制度を続ければ続けるほど、「貧しさの下の平等」が展開する。やはり自民党は、根底で共産党と同じものを目指している。

 

人はなぜこの世に生まれ、生きるのか

 一見自民党と同じような「3本の矢」を掲げていても、幸福実現党が目指すものは、180度異なる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、「『忍耐の法』講義」で以下のように強調した。

 「今後考えねばならないことは、もう一度、セルフヘルプの精神、自分自身をつくり上げ成長させる精神と、経済繁栄の力を連結させて育てていくことを忘れてはならないということです」

 人はなぜこの世に生まれ、生きるのか。それは、この世とあの世を貫いて、魂として成長するためである。それができるには、どんな境遇からでも、自助努力の精神で道を切り開くことが大切になる。

 「努力すれば、幸福だと言える人生に向かって、自分を変え、社会を変え、未来をも変えていける国をつくりたい」というのが幸福実現党の願いです。

 個人や企業が知恵を絞り汗をかき、どこまでも豊かになっていけるよう、妨げになる制約は取り払い、自由の領域を広げるべきだ、というのが本来の「第3の矢」の趣旨です。

 国民の“面倒を見る”のは、厚生労働省の役人の方々や大臣ではなく、成功した事業家、企業家であるべきだということになる。

 

自民党はアベノミクスに耐えられなくなる

 共産党との絡みで言えば、幸福実現党は、「マルクスの『共産党宣言』を永遠に葬り去る」ことを目指している。

「共産党」を葬るわけではない。『共産党宣言』に盛られた考え方に基づく国家運営を葬り去ることを意味する。

 マルクスは1848年に出した同宣言の中で、「共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止という一つの言葉に要約することができる」と書いた。そこに至るための手段として10項目を挙げているが、かなりの部分が戦後の日本で実行されてきた。

 例えば、「強度の累進課税」は全面的に導入された。所得税・住民税合わせると最高税率は1970年代で93%、1980年代で80%弱。「がんばって働くほど損をする」という恐ろしい税制です。

「相続権の廃止」は相続税100%を意味するが、最高税率75%が戦後の長い期間続いた。私有財産を奪い尽くす考え方が確実に入っている。

 「国立銀行によって信用を国家の手に集中する」という項目もある。日本郵政の貯金・保険事業は、世界最大の金融機関。郵政民営化はなされたが、その後、見直され、大きく後退した。

 「農業と工業の経営を結合し、都市と農村の対立を次第に取り除く」という項目も、都市民の税金を農家保護に注ぎ込むことで実行した。

 医療・年金・介護などの社会保障については、シュンペーターが著書『資本主義・社会主義・民主主義』で、社会主義に移る兆候を列挙した。それは、「すべての形態の社会保障」のほか、「所得再配分を目指した税制」「労働市場に対する統制」などです。どれも自民党政治の現実を表している。

 自民党には実は、共産主義、社会主義の考え方がしっかりと根づいてきた。安倍政権は“原点”に戻ろうとしているだけでしょう。

 幸福実現党が「共産党宣言を葬り去る」というのは、戦後の自民党政治の何割かをごっそり入れ替えることを意味している。その点から考えると、安倍自民党は幸福実現党の経済政策を下敷きにしたアベノミクスの“破壊力”にだんだん耐えられなくなるでしょう。

 

本来の「第3の矢」は教育・啓蒙

 本来の「第3の矢」の政策を推し進めることは、『共産党宣言』を葬ることにつながる。だが、実行するのは、そう簡単なことではない。

 マルクス思想の影響は、日本の教育、マスコミ、官庁、政党、そして国民一人の心の中に及んでいる。そのため、日本には成功者やお金持ちを尊敬するどころか、「機会があれば引きずり降ろしたい」という嫉妬深い風潮がある。

 この国民的な意識を変えることが、本来の「第3の矢」のターゲットです。

 となると、これは経済政策でもあるが、啓蒙や教育によって一人ひとりがどう思い、行動するようになるかという問題でもある。

 その啓蒙・教育の仕事をやり抜こうとしたのが、イギリスのサッチャー首相(在任1979~1990年)です。

「私の仕事は、イギリスが共産主義に向かうのを防ぐことです(My job is to stop Britain going red.)」

 就任前からそう決意していたサッチャー氏がやったのは、マルクスが19世紀のロンドンで見たのとそう変わらないイギリスの階級社会を終わらせることだった。

 そのために、貧しい階層の人たちも国営企業の民営化で株式を持ったり、公営住宅の払下げで持ち家を所有できるようにした。つまり、労働者ではなく、「資本家」を数多くつくろうとした。企業の利益と社員の給料が連動するシステムの導入も試み、労働者を「企業家」の意識に変えようとした。

 一部の人たちの特権となっていた証券業や不動産取引、バス事業などについて参入を大幅に自由化し、階級社会の土台を突き崩した。

 

「魂の変革」を教えたサッチャー首相

 サッチャー首相は「心と魂の変革」と訴え、マルクス思想に染まった国民の意識を変えることを目指した。

 マルクス思想の特徴は、(1)「自分は搾取されている」という被害妄想、(2)「だからお金持ちから奪い取っていい」という嫉妬心の正当化、(3)この世で報われることを絶対視する唯物論の3つでしょう。

 サッチャー氏はこの考え方に染まったイギリス国民に対し、自助努力の道を訴えるとともに、宗教心の大切さを教えた。

「お金持ちを貧乏にしても、それで貧乏な人がお金持ちになれるわけではありません(The poor will not become rich, even if The rich are made poor.)」

「お金は天から降ってきません。自分でこの世で稼がなければなりません(Pennies don’t fall from heaven, they have to be earned here on earth.)」

「経済は手段にすぎません。目的は心と魂を変革することです(Economics are the method; the object is to change the heart and soul.)」

 サッチャー改革は、本来の「第3の矢」に極めて近い。

 ただ、それが実を結び、イギリス経済が本格的に復活したのは首相を退任した1990年から数年経ってからだった。国民がやる気になり、会社を立ち上げ、十分稼げるようになるまで、10年以上はかかったためです。

 

 首相在任中は、福祉予算削減や民営化のために直接的に不利益を受けた人たちの反発が強く、常に批判の嵐の中にあった。政治家としては、労多く、報われるところが少なかった仕事かもしれない。