人口容量

 「人口容量」とは、「その国や社会が養うことのできる人口」のことです。

参考

 人口学に詳しいある専門家によると、人口増加を実現するうえで、「人口容量」という考え方がカギになるそうです。人類の歴史を振り返ると、飛躍的に人口が拡大する時期があり、それは、その文明が受け入れられる人口の上限(人口容量)が引き上げられた時期だという説があります。

 日本列島という変化しない国土のなかで生きられる人間の数は限られています。しかし、日本人は様々な技術や文明を発展させながら、本来のキャパシティーを超える人口規模を実現してきました。これらの文明の力が限界に達すると、それ以上の人口増加は望めなくなるばかりか、人口を減らそうとする作用が働きはじめます。すると、人口減少が起こります。

 この人口容量は、①人間みずからが容量の改良、拡大を図ることができますから、②人間集団と自然環境、社会環境、文化環境などの相互関係によって決まり、③民族や時代によって容量が変化します。

 たとえば、石器文明のころの日本の人口容量はわずか3万人でした。その後、石器と縄文土器とを組み合わせて使う文明が起こったことで、人口は26万人まで伸びました。また、大陸から粗放農業を受け入れたことで、平安~鎌倉時代には人口が700万人まで増え、集約農業が中心の江戸時代に入ると、3250万人まで増加。その後も西欧から科学技術文明を導入することで、人口容量は太平洋戦争前に7200~7500万人に達し、戦後の日本では1億2800万人まで増やすことができたのです。

 こうして文明が順調に発展している間は人口は増加しますが、発展に限界が見え始めると人口も減り始めます。しかし、人間は時代に合ったイノベーションを起こして新しい文明を築き、再び人口を増やすことができます。自ら環境に介入し、人口容量を人為的に増やす力を持っているのは人間だけなのです。

 動物や昆虫だと、容量を自分の力で変化させることはできません。ショウジョウバエを牛乳瓶に入れて繁殖する過程を追うと、1ヵ月程度でビンいっぱいに繁殖しますが、すぐに数が減り始めます。再び増えだすこともありますが、増減を繰り返しても一定の数以上にはなりません。これが動物や昆虫の限界です。

 ところが、人間は、既存の環境に手を加え、人口容量を増やすことができます。たとえ、いったん、人口が減少したとしても、自分たちの力で今以上に発展した社会を築くことができるのです。

 人口減少の流れを推し留めるために、これまで様々な少子化対策が行われてきました。「出産や育児への支援を強化すべきだ」という意見には、確かに正当性があるように思えます。だが、こうした政策だけで実際に人口が増えることはほとんど期待できません。なぜなら、人口が増減する背景には、「人口容量」という、もっと大きな要因が関わっているからです。

 人類の長い歴史を振り返って見ると、人口の増減と文明の進展には明らかに相関性があります。「人口容量」とは、さまざまな文明のなかで生きられる人口の上限を意味しています。この壁にぶつかると、人口は必ず減っていくのです。

 現在の日本では、食糧や資源の自給率が低いため、科学技術を取り入れただけでは7500万人くらいしか生きられません。その上に約5000万人を上乗せできているのは、資源・エネルギーを輸入して高付加価値の製品を作り、それを輸出した収益で食糧や資源を購入するという「加工貿易」システムを生み出しているからです。

 したがって、現在の1億2800万人の「人口容量」を支えている主な要素とは、西欧から導入した「科学技術」企業が中心となって富を増やす「市場経済システム」、そして世界中と取引する「グローバル化」の3つと考えます。

 しかし、人口はすでに減少に向かっています。現在の「人口容量」を支えている、この3要素のいずれもが限界を迎えているからです。

 現在の科学技術を支えているエネルギーは石油に代表される化石燃料ですが、これは今後不足して、価格が高騰するのはほぼ確実です。食糧にしても、かつての中国のように輸出していた国がどんどん減っているので、食物の価格は上がっていくでしょう。

 さらに、これまでの日本は、グローバル化のおかげで工業製品を他の国々に輸出してきましたが、21世紀に入ると、そのグローバル化が、日本経済を縛り始めています。世界中に工業国が増加していますから、さまざまな工業製品は安くなり、それが大量に輸入されて、デフレに苦しむようになっています。

 日本の場合、人口容量を決める これら3条件に縛られています。これを変えることができなければ、しばらくの間、人口は減少していくでしょう。

 「人口容量」の内容を具体的に言うと、「食糧」「居住環境」「所得」「時間と空間の自由度」などで構成される生活の全体、いいかえれば「生活水準」ということができます。

 社会全体の豊かさや自由度がまだまだ伸びている時代であれば、人口を増やしつつ生活水準を保つことが可能だったのですが、もはや伸びない時代になると、家族単位でも、子供を産めばその分だけ一人当たりの生活水準は下がるようになります。そうなると、一人ひとりは意識していなくとも、誰もが自分の生活水準を維持する方向に動きます。子供を産むより、夫婦の生活水準を優先します。これが今大きな流れとなって、日本の人口を減らそうとしています。

 その意味では、一人当たりの生活水準を向上させる少子化対策は、一見有効なように見えます。しかし、社会が停滞している状態で、政府の力で生活水準を上げるのは無理な話です。人口容量が伸びなければ、税収も伸びません。政府が借金を重ねれば、将来の税金が高くなりますから、子供を産む人は逆に減っていきます。実際、他の先進国でも様々な対策を講じていますが、劇的な効果は得られていないのが実情です。安易な解決策ではいけないのです。

 日本の人口減少については、生活基盤の貧弱さが大きな原因となっています。「広くて安い住宅」の供給や、「塾に頼らない公立学校」の復活などを通じて、日本の人口容量を一気に引き上げていただきたいものです。  

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