最低限度の福祉制度

 生活保護の柱は2つあり、一つは「健康で文化的な最低限度の生活」を具体化する。もう一つは、支援の間に職探しや職業訓練に専念してもらい自立を促すことです。

 しかし、2008年末から2009年初め、マスコミが「格差社会」大合唱の中で、東京・日比谷公園に設置された「年越し派遣村」を大々的に報じたことにより、生活保護をめぐる風景が変わった。十分働けそうな人が申請に訪れても、断りにくくなったという。

 年金しかり生活保護しかり、この国の社会保障はいびつで不公平に満ちている。これだけ生活保護が手厚ければ、働けるとしても働かずに受け続ける人が増え、「年金保険料は払わず、いざとなれば生活保護に逃げ込めばいい」と考える人が増えるのは当然です。

 かつて日本人は「働かざる者食うべからず」で、「生活保護をもらうのは恥ずかしい」という気概を持っていた。その「恥」の感覚を薄れさせ生活保護を受ける人を急増させた、「格差社会」「派遣村」騒ぎの罪は大きい。

 生活保護の受給希望者には多くの場合、その人を扶養する義務を負っている親族がいる。ところが役所はその親族に対し、受給手続きの際に、扶養してくれませんかと要請「してはならない」とのルールがあるという。

 厚生労働省から役所への指導で、「可能であれば扶養をしろ」という命令どころか「扶養してくれませんか?」という要請すらしてはならないと決められており、要請をするとルール違反と見なされる。どこかおかしい。

 今の生活保護の制度はあらゆる点で常識からかけ離れ、人間の道からも外れており、「正直者が馬鹿を見る」形。制度を一度廃止し、「自立や自助努力を前提とした新たな制度」を構築し直すよう国に求める必要がある。

参考

 渡部昇一氏が「国民に保障する最低限度は『飢えず、凍えず、医療は痛みどめまで』にすればいい」と語っている。やるべきは「雇用の拡大」「最低限のセーフティネット」に切り替え不公平感をなくすことである。

 生活保護をこのまま放置して「社会保障費としての増税」を実施すれば、「税金を払わず、税金をもらう(生活保護)」人をさらに激増させ、国を滅ぼすことになる。

 生活保護世帯という貧困層の増加について、既存のメディアは、リーマン・ショック以降の雇用状況が改善しないことや、いわゆる「格差」の固定により貧富の差が広がっていることなどを、原因に挙げることが多い。

 もちろんそうした要素もあるが、実は貧困問題には、もう一つ、マスコミがほとんど報道しない実態がある。生活保護世帯の多くは「夫と離婚した母子家庭」であることが多い。主たる生計者である夫の収入を放棄し、パートの収入だけで子供を養い、学校に行かせるのは難しいという問題である。つまり、現代日本の貧困問題は、「家庭というものの大切さが見失われている。家庭が壊れやすくなっている」という、価値観の崩壊の問題と深く結びついている。この点を隠し、政治や経済システムという外的要因のせいで貧困層が増えているとばかりあおるような報道には、一定の疑いをもって接するべきです。

参考