医療も競争の時代

医療の世界も過当競争の時代に入る

 病院あるいはクリニックとしては、病人がたくさん来てくれると繁盛するように見えるかもしれません。しかし、それは少しエゴイスティックなものの考え方でしょう。それよりも、「そこのクリニックや病院に行けば、病気がよく治る。早く治って、すぐに退院していく」というのが良い宣伝になるのです。

 病院も、これから過当競争の時代に入ってくると思います。たとえば、司法試験改革をして法科大学院をつくり、「毎年三千人ぐらい弁護士をつくる」ということをやり始めたら、弁護士の収入が減り始めています。弁護士が増えても訴訟は増えないものだから、平均年収が二、三百万円ぐらいの弁護士も増えてきつつあり、アルバイトをしているのと変わらないような状態になってきています。法科大学院の卒業生の司法試験の合格率は、当初は「七、八割は合格させる」と言っていたのが、今は四分の一ぐらいにまで減ってきています。

 おそらく、医療のほうも もうすぐ競争が始まると思います。ほかの業界はどこも、ディスカウントしたり、あるいは、腕のよし悪しで値段に差がつくようなことが起きています。こういったギルド制で完全に守られているようなところにも、競争が働くような原理が入ってくると推定されます。

 ですから、「病気がよく治る。早く治る。治療された方が、その後、元気で活躍されていく」というようなクリニックや病院ができれば、最後まで生き残るものになりますし、千客万来です。

 商売の基本としては、「回転率を上げる」のが極めて大事なことです。「一人のお客様がずっと一日中いればよい」というわけではなく、たくさんのお客様に来てもらうことが商売繁盛のコツなのです。評判が評判を呼んで、近所の人や隣町の人までやってくる。これはよいことです。

 病院も、よい病院であったら噂を聞きつけて人がいっぱい来るようになる。忙しいけれど、回転率を上げつつ、上手に経営していくことが大事です。真理企業としての病院、クリニックにも、経営ノウハウは大事です。

 医者が足りない状況に置かれていると、患者も文句は言えないのですが、供給が十分になってくると、今度は差別化を図らないとやっていけなくなるのです。

 参考

恐怖産業ではなく「よき未来をつくろう」という努力

 今の病院の基本的な経営手法は、予備校と変わらない。予備校というのは恐怖産業であって、「君、頑張らないと来年落ちるよ」ということで締め上げて、やらせるようにするのです。

 病院も、まずは悪いことを、バーンと一発言って、「はあ・・・」と言わせてショックを与えてシュンとさせれば、どんな地位や過去があるような人でも皆おとなしく患者になります。そして、まるで幽霊になって出てくるときと同じような一色の服を着せて、平等にしてしまうという感じになっています。

 やはり、人それぞれの性格や考え方を見ながら導いていく医療をつくっていかないといけないのではないかと思います。

 人間には回復する力があるのです。特に、本人自身が希望の光を灯すことと、周りの人がそれを励ますことによってよくなっていくのです。けれども、よいことを言っておいて悪くなったら後で責任を問われるから、まずは余計に悪いことを言っておいて、それよりはちょっとはよくなったようなことにするのです。

 たとえば、1年後に死ぬと予測される人でも、「半年で死ぬかもしれません」と言っておけば、1年後に死んだ時に「半年間、延ばしました」というような言い方ができます。こういうことは受験産業とよく似たあり方ですし、医者になる人が受験勉強をやりすぎたのと関係があるかもしれないと思います。

 「よき未来をつくろう」という努力は、なされたほうがよいと思います。「みんなが元気で長く働けるような社会をつくろう、そのための医学であろう」ということを念じている人は、同業者のなかでは十人に一人もいないと思います。そういうふうに思っていると、意外にお客様が集まってくれて、高付加価値医療をつくることもできるようになってくるだろうと思います。

 なんでも全部同じにする必要はないのであって、腕がよくて治りが早いなら、それなりの報酬が得られても当たり前だと思います。そのへんは、差がつくようになってくるのではないかと思います。

 周りからオーラが出ているタイプの医者や看護師も一部おられます。そういう人が担当につくと、本当に治りが早いのです。たいていの病人は、何らかの悪霊作用がある場合が多いので、そうしたオーラが出ている人に担当してもらうと治りは早い。最後は、どちらで治しているか分からないかもしれませんが、いちおう薬を出しつつ、ほかのもので治すという手もあります。

 

専門的な勉強を続けながら天上界の光を引いてくることが大切

 「治癒率がどのぐらいだったか」といった成果が判定基準になって、病院が選ばれるような時代に、もうすぐなると思います。その意味での厳しさは増してくるだろうと思いますので、精進あるのみです。

「この世の命はどうでもいい」という考えもあるかもしれませんが、生きている間中、できるだけ、輝いて生きられる時間が充実していることを願いたいです。

 医療関係の場合、周りに暗い人がいることが多いので、それを常に照らすためには、毎日、自家発電をすることが大事です。自分だけではなくて、スタッフの方々にもエネルギーを注入していくことが大事です。

 今、宗教の一部の機能を医学が引き受けているのだと思いますし、それは効率がいい面も相当あるとは思います。けれどもやはり、まったくの「無思想」というのでは困ります。「人間機械論」だけで診るのはちょっと問題です。「車の故障を直すのとは、やはり違う」「実質上は、魂と肉体の合体したものが人間である」ということは譲れません。

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