日本は外国との異種結合で発展してきた

(大川隆法総裁 未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ No.221 2012年11月11日 幸福の科学東京正心館にて)

 「日本人は単一民族」という考えが一般的だが、仏教が伝来した飛鳥時代、明治維新など、日本が歴史的な変革を遂げた時代には、いつもそのかたわらに「外国人」の存在があった。

 聖徳太子が十七条憲法を定めた時代には、政権の基盤を支えていたのは多くの豪族であり、彼らはもともと4世紀以降朝鮮半島から渡ってきた「渡来人(移民)」だった。

 平安初期の『新撰姓氏録』に紹介されている約1200氏族のうち約3割を渡来人が占めていたことを今に伝えている。また、大化の改新を起こして歴史を大きく動かした中臣鎌足に学問を教えた僧の旻は、隋に留学経験のある百済系渡来人。政変後、旻は同じく百済系の渡来人である高向玄理とともに政治顧問を務めた。日本に広まった仏教もこうした百済人から日本にもたらされたのだった。

 時は下って明治時代。政府は列強各国から独立を守るため、富国強兵や殖産興業などで近代国家建設を急いだ。その政府を支えたのが「お雇い外国人」たちだった。

 フランスの法学者・ボアソナードは、日本の悲願である不平等条約の撤廃を前提にした近代法を成立させるために法律顧問として招かれた。陸軍大学校の教官として着任したドイツの軍人・メッケルは、フランス式の兵制からプロイセン式へと改め、日本の陸軍改革に重要な役割を果たした。

 ほかにも、「Boys, Be Ambitious! (少年よ、大志を抱け)」で有名な札幌農学校教頭のクラーク博士や美術史家のフェノロサなど、当時の日本を支え、発展に貢献した外国人は枚挙にいとまがない。

 日本の歴史のターニングポイントには、いつも高度な知識や技術を持った外国人たちの存在があった。異文化との接触、衝突によってイノベーションが起こり、新たな時代が開かれてきたのです。

参考

 現在の日本の外国人受け入れ制度は、単純労働を実質的に外国人に頼りながら、中途半端な状態に置き、経済活性化、経済成長にほとんどつなげられていない状態である。成長戦略を言うならば、外国人受け入れの拡大は避けることができない。

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