同性愛・同性婚における「正義」

 海外の同性愛事情に目を向けてみると、日本では同性愛者に対して宗教に基づいた差別や憎悪は比較的少ないことに気付く。

 日本では、憲法第24条で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」とあり、同性カップルが法的に結婚することはできないと解されている。しかし、民間レベルで、同性婚を容認していこうという動きもある。

 参考

 幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれておられます。

「いい質問かと思います。愛に関する私の初期の教えの中身は、非常に保守的でした。ただ、私はこれまで、男女の生まれ変わりについて、魂の性質を含めて探究してきています。そして、時に男性の魂が女性の肉体に宿り、女性として生まれること、あるいは逆に、女性の魂が男性の肉体に宿って生まれることがあると分かりました。転生輪廻について、新たな真実を発見したのです。

 私が初期のころに説いた愛についての教えでは、神や天上界の天使、守護霊などによって定められた運命を、ある意味で認めています。

 しかし、転生輪廻の真実を探究する中で、結婚や夫婦間には、それとは別の問題が存在していることを発見しました。それは、魂のアイデンティティの問題です。

 毎回男性として、あるいは女性として生まれている人もいるのですが、おそらく80%か、それ以上の割合で、人間の魂は性別を変えて、夫や妻として違う役を演じているのです。

 それに加えて、新しい事実もあります。同じ時代の同じ地域、あるいは、同じ仕事環境や同等な立場の人の中に、過去世で結婚したことのある人が現れる場合があります。もし、ある男性が、別々の時代、別々の地域で自分の妻だった複数の女性たちと同時期に出会った場合、ある種の混乱が生じます。それで今、非常に難しい結婚問題が起きているのです。

 そして、あなたがおっしゃるように、同性での結婚が可能なのかどうかという問題も起きています。また、仮に男性同士が結婚した場合でも、医学の進歩によって、生物学上は、子供をつくることができるようになる可能性はあります。しかし、同性婚に関する問題については、宗教の立場からの判断基準がありません。同性婚が正当であるかどうかについて、かなり混乱しています。」

 

同性婚における「正義」とは?

 セクシャル・マイノリティーであるLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の中には、いじめに遭ったり、誰にも言えずに悩んでいる人が数多くいる。同性愛や同性婚については、どのように考えていけばよいのでしょうか。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『正義の法』の中でアメリカが抱える同性婚について「差別された一部の人たちにとっては、確かに福音であることは間違いがないと思いますし、この世において少数の人々が必要以上の苦しみを受けないように配慮することは、とても大事なことだと思っています」と述べた上で、「少数者の権利を護ることは大事である一方で、それがメジャーになった場合には、男女がこの地上に生まれたということの意味がなくなり、子孫を残すということの意味がなくなり、文明としては衰退していきます」と指摘した。

 また、総裁はイエス・キリストの霊を招霊し、同性愛についての考え方を聞いている。イエスは、「キリスト教の中の隣人愛に含まれると考えてもよい」「私の考えは『自由』です」「『犯罪的行為だ』などと思っているわけではないのです」と、同性愛を否定しないことを明らかにしたが、「それが(人類)全体の退廃になっていくのなら、それは悪なるものにも転化するでしょう」とも語っている。

 現代は、「国の発展のために、国への忠誠を保つことが国民の義務」という保守的な考え方と、「個人の自由を中心にしながら、各人が幸福に過ごせる社会を作る」という考え方がぶつかり合う時代である。

 今後は、日本においても、グローバル化の進展とともに、自分らしい生き方を求めて同性愛をカミングアウトする人や、同性婚を求めるカップルが増えていくことが予想される。偏見や差別を乗り越え、各人の個性や自由を尊重しながらも、国として持続的な発展を求めていく必要がある。これまでは、アメリカなどの先進国が発展のモデルとなっていたが、世界は今、新しい指針を必要としている。

 

答えを探す過渡期にある

 しかし、ここ数十年は実験期間であると考えています。そして、その後判断が下されるでしょう。今はまさに過渡期です。非常に難しい問題ですが、実験が必要だと思うのです。

 たとえば、仏教には、歴史的に、非常に用心深く、異性や異性間の愛を遠ざけていたので、同性同士の交わりを愛する傾向がありました。それならば罪にならないからです。

 しかし、長期的には難しい問題が出てきます。少数の事例の場合は認められたとしても、大多数が同性愛の世の中になったら、人類はこの世に存在できなくなり、生き残れなくなるからです。そのため、同性婚を人類全体のルールとして広げることはできません。今はちょうど実験の時代なのです。

 結婚自体が現在、非常に難しいテーマです。一夫一婦制は、民主主義的な考え方をとりやすい制度です。それはある意味で機会が平等であり、すべての人に結婚のチャンスがあるということです。

 ただ、時には、異性を嫌い、同性を好む人々が出てきます。

 伝統仏教にも、同性愛の問題がすでに存在していましたが、これは罪の概念から生じています。宗教では時折異性を愛するのは罪だということで、そうした罪から逃れるために同性を愛するようになることがあるのです。それが同性愛的な傾向につながっています。しかし、それは、当時説かれていた教えが万能ではなかったというだけのことかと思います。

 

真実の愛を求めることが全て

 現在、例えばアメリカやイギリスでは同性婚が認められていますが、認めていない国もあります。また、未婚のカップルに子供がいることが罪かどうかというのも、非常に難しい問題だと思います。

 現時点において、それらが善であるか悪であるか、厳密に申し上げることはできません。これが真実です。

 ただ、今は言えないのですが、この先40~50年の間に、天上界から結論、あるいは判断が下されるでしょう。ただ、現在は、自由の時代であり、実験期間であり、変化の時期であると思います。人類にはさまざまな問題に取り組む権利があります。そして、この激動の時代、混乱した不確かな時代に、どのように生きるのが幸福であるのか、どのようにして人類がこの世に存在し続けることができるのかを探究する権利があります。

 その探究は個人に任されていて、その結論は、人生の終わり、この世を去る時に分かるでしょう。結果は、人それぞれ違うだろうと思います。たとえば、同性愛の人が天国に行くこともあれば、地獄に行くこともあると思います。また、未婚で子供がいるカップルも、天国に行くこともあれば、地獄に行くこともあります。それは人によると思います。

 要は、どうか、「真実の愛」を求めていただきたいのです。それが、この時代の新しい課題です。真実の愛とは何か。真実の愛の探究者となってください。

 近い将来、その結果が出るでしょう。その時点で、判断することが可能になります。

 今は変革の時代であり、チャンスの時代であり、自由の時代なのです。ですから、「これは罪であり、こちらは罪ではない」「これは神に祝福されており、こちらは神に祝福されていない」というような、絶対的な、厳密な結論は出ていません。旧約聖書や新約聖書、伝統的なキリスト教においては、さまざまなことが言われています。しかし、それらは人間の知恵から生じていることもあり、神の考えというわけではないのです。

 私たちは今、さまざまなことを経験しています。そして近い将来、新たな真理が決まることになるでしょう。今は、実験中です。ですから、そこに真実の愛があるかどうかが肝心な点だということだけは申し上げておきたいと思います。そして、人生の終わりの時点で、自分の生き方が正しかったかどうか、判断できることでしょう。

 現時点では、「これは正しい」「これは正しくない」と言うことはできません。現時点では非常に難しいので、結論を出すには、もう少し時間がかかります。

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