人間の本質

 コンピュータが人間に創られたように、人間も、この世を超えたはるかなる世界の偉大な力によって、創られている。

 人間の心は、創造性を持ち、イマジネーション能力も持っている点で、コンピュータとは根本的に異なるのであって、だからこそ人間は「神の子」として神の一部が宿っているとも言われる。

 人間の肉体には同じぐらいの大きさの霊体が宿り、その中枢部分が「心」であって、神仏、高級霊などから一種の光のエネルギーを引いている。つまり、人間の本質は、高級霊界から下りているエネルギーの末端の塊である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『奇跡のガン克服法』で以下のように説かれました。

「医学者や生物学者などは心を頭脳の働きと考えやすいのですが、実際には、心は頭脳の働きとは違います。頭脳はコンピュータ的な役割を果たしていると思われます。ただ、コンピュータは人間に近づいてきつつありますが、コンピュータと人間は、あくまでも一定以上は近づくことができない関係になっています。なぜかというと、コンピュータには「つくり主」がいるからです。コンピュータをつくっているのは人間です。「コンピュータを、どのように機能させるか」というプログラムをつくった人が必ずいるのです。では、人間にとって、コンピュータの「つくり主」に当たるものは何でしょうか。それが、宗教において、神や仏、大宇宙の叡智と言われるものです。いろいろな言われ方をしていますが、「この世を超えた、はるかなる世界にある、偉大なる力」が人間を創ったのです。つまり、「人間がコンピュータをつくったように、人間に対して、大きな力が働いており、目的を持った人生を生きられるように仕向けている」と考えてよいのです。さらに、コンピュータと心の違いは何でしょうか。人間の心は創造性を持っています。それは、創り出す能力です。新しいものを創り出す能力、新しいものを考え出す能力です。また、人間の心は、「創り出す」という力だけではなく、もう一つ別の想像性、すなわち、イマジネーションの能力も、もちろん持っています。コンピュータと心とでは、これが根本的に違うわけです。人間の心は、インプットされたものに反応しているだけではありません。インプットされたものをもとにして、新しいものを創り出していく力を持っているのです。この意味において、「人間は神の子である」「人間は神に似せて創られた」と言われています。人間は、何かを新しく創り出す力、考え出す力を持っています。そういう偉大な存在だからこそ、人間は、「神の子」とも言われ、また、「神そのものの一部が自分のなかに宿っている」とも言われるのです。心について、もっと正確に表現すると、みなさんの肉体に宿っているのは、肉体と同じぐらいの大きさの霊体であり、その中枢部分、他をコントロールしている部分のことを、心と称しています。これは、主として意志や感情を司っている部分です。そして、その心の部分が、実は、天上界にいる神や仏、高級霊などから、霊流という一種の光のエネルギーを引いています。それが、彼らとつながっているものの正体なのです。実を言うと、人間は、霊天上界の高級霊界から下りているエネルギーの末端の塊です。これが人間の本質なのです。その意味において、「人間は、非常に尊い存在である」と言ってよいでしょう。人間は、神仏と同じような要素を、その一部に持っているのです」

 大川隆法総裁は、『本当に心は脳の作用か?』 立花隆の「臨死体験」と「死後の世界観」を探る(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

「九月十四日のNHKスペシャルで「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」が放送されていた。NHKが脳や心、死後の世界に関心を持つことは良いと思うが、いくら仮説を立てようとも結論は一つである。真理は複雑系の思索の中には存在せず、一番単純な結論を好む。本書で紹介した立花隆氏の守護霊の意見は、唯物論の科学者や、朝日系ジャーナリストらとほぼ同じで、何とかして心を脳の作用の一部と考えて、魂について思考停止の状態を維持したいというところである。残念ながら現代の宗教学者や仏教学者にも、エポケー(判断中止)を前提に学問をやっている者が多い。紙の上の活字やデータ分析だけで学問を作り上げようとしているのである。戦後の学問の最大の失敗といってよい。ここを改善しないで「教育改革」などは虚しいと言わざるをえまい」

 立花隆氏の守護霊は、唯物論の科学者らとほぼ同じで、何とかして心を脳の作用の一部と考えようとしていた。

 しかし、いくら仮説を立てようとも、結論は一つである。

紙の上の活字やデータ分析だけで学問を作り上げようとしているのは、戦後の学問の最大の失敗である。

 大川隆法総裁は、形なきエネルギー体である「霊」が人の肉体に宿って、人体状の想念体をつくったとき、それが「魂」と呼ばれ、その中心部分が「心」なのだと教えておられます。

 「人間の本質は霊であり、魂であり、心」です。心のほうこそが人間の本質ですから、これは脳の作用などではありません。

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