脳死は人の死?

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「現代の医学では、脳死ということで、「人間は、脳波が止まったときに死ぬ」と言われています(脳の全体的な、回復不可能な機能停止)。肉体的には確かにそうかもしれませんが、実際には、人間は、肉体のなかに魂が宿っているかたちになっていて、魂が肉体から抜ける段階が、ほんとうの死なのです。魂が抜けないと、死とは言えません。魂が肉体のなかに入っているうちは、まだ、ちょうど、眠っている状態に近く、魂が肉体から抜けて初めて、ほんとうの意味の死になるのです。(中略)肉体と魂とのあいだには「霊子線」というものがあり、この霊子線の切れたときが、ほんとうの意味での死です。これが完全に切れていない場合は、まだ死んでいないのです。霊子線が切れていないと、肉体の意識が魂に伝わります。これが切れると、肉体に何をされても、魂のほうは、まったく感じなくなるのですが、これが切れていないときに、肉体をいじられると、魂のほうは、それを感じます。死んだように見えていても、それを感じるのです。したがって、脳の機能が止まったときに、肝臓や腎臓などを取られた場合、どうなるかというと、それは、「生きている人が、おなかにナイフを突っ込まれ、内臓を切り取られる」ということと同じになるのです。あなたは、それに耐えられるでしょうか。「かまわない」と言うならば、それでもよいし、「嫌だ」と言えば、それまでです。どちらでもよいのですが、結論を言うと、「痛い」ということです。痛みを感じるのです。霊子線が切れていない以上、魂は肉体の痛みを感じるわけです。脳の機能が止まった段階で、医者が、安心して、あなたの臓器を取ったら、あなたは、ものすごく痛いのです。痛くて、しばらく驚愕します。それは事実です。ただ、「自分は死にゆく者だ」という自覚ができて、「この痛みに耐えて、ほかの人のためになるなら、それでよい」と思うのであれば、それも結構かと思います。内臓の取り出しは、ほんとうは、死後一日たってから、やってほしいのですが、それだと、内臓が古くなってしまい、移植を受けた人が助かりません。古い内臓では、移植を受けた人が、すぐ死んでしまうので、内臓は、新しくて取りたてのものが欲しいのです。実際は、そういうことです。その場合、取られるほうは痛いので、それだけは覚悟してください」