「人生は一冊の問題集」 3

 自分の環境や性格、肉体、能力の部分で、誰が見ても他の人と極端に違うときには、そこに人生の問題集を解く鍵がある。

 過去の転生でカルマをつくっていることもあるが、それを探ってもきりがない。

 過去世がどうであろうと、人間は、今回の人生を自分に与えられた問題集として捉え、その解答の努力をしなければならない。

 幸福の科学の総裁は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「自分の環境、あるいは性格的、肉体的、能力的な部分で、他の人と極端に違う部分があるときに、それを単に悩みの材料として見て、そこからの出口だけを探してはいけません。  誰が見ても、明らかに悩みの材料と思われるもののなかに、実は、あなたの人生の問題集を解く鍵がある場合もあるのです。(中略)あなたの魂にとっては、「目が不自由である」ということが、何らかの進歩を促す材料なのです。(中略)  足が動かない人、手のない人、目が見えない人、耳が聞こえない人など、現在、身体的な不自由を抱えている人はたくさんいます。そういう人たちのなかには、過去の転生において、何らかの肉体的なカルマをつくっている人もいます。(中略)  私は、リーディング(霊査)をすれば、五千年でも一万年でも、それ以上でもさかのぼって、ある人の過去世を何代前まででも探れるのですが、それを一つひとつ探ったところで、きりがありません。  過去世がどうであろうと、人間は、今回の人生を、自分に与えられた問題集として捉え、「その問題集に、どう答えていくか」ということを考えて、そのために努力しなくてはならないのですね。  問題集は一人ひとり違います。ただ、その人にとって、魂の学習に合った問題集であることだけは事実です。  問題から逃れることばかりを考え、「与えられた問題を解きたくない」と言うのではなく、その問題のなかに潜んでいる意味を発見してほしいのです。  「目が不自由だ」というハンディがあっても、どれだけ、光った人生を生きられるか、それを工夫してほしいと思います。目の自由な人たちが見て、「あの人が、あんなに立派に生きられるのだったら、私も、もっと頑張らなくてはいけない」と思うようになれば、あなたの人生は成功です。(中略)  体が不自由であっても、あの世に還ると、それは治ります。(中略)不自由なのは、この世にいる、ほんの何十年かのあいだだけです。(中略)地上では、そういう“配役”になっていても、そのなかに修行があるのです。(中略)  他の人に迷惑をかけるかもしれませんが、お返しができることもあるはずです。「マイナスの面を考えずにプラスの面を見いだしていく」という努力をしてほしいのです。  肉の目は見えなくても、少なくとも“心の目”は見えるはずです。心の目でもって真理を見ていくことはできるはずです。そして、口が動くなら口で、耳が聞こえるなら耳で、何らかの「プラスの人生」を生み出せるはずです。  それも、あなたに与えられた問題集なのです。どうか、今世において自力で解いてみてください。  その問題集の模範解答は、あの世に還ったときに必ず示されます。なぜ、そういう修行をしたかということが必ず教えられますから、それまでのあいだは、とにかく、一生懸命、自分の問題集を解いていただきたいと思います」