「生涯現役世界」をつくるために

 これから高齢人口が増えてくるので、例えば、しゃべった言葉が自動的に活字になる器械や口で命令するだけで動く車のように、高齢者たちが日常生活や職業を続けていくことを、徹底的に便利にする産業や技術が必要になる。

 これをやれば、政府が言っているような、増税による過大な財政負担で若い人が未来を悲観するような社会になることを避けることができる。

 ぜひ、ものづくりの世界(会社)の人たちは、今まで働くことができた年齢よりも長く働けるようにするためには何ができるか、「生涯現役世界」をつくるために何ができるかを、力を合わせて考えてほしいものです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『未来産業のつくり方』で、ソニーの創立者・盛田昭夫氏の言葉(霊言)を、次のように紹介されています。

「要するに、体力の落ちた高齢者たちでも、楽に仕事ができるような世界にすることだよ。そのための機械類の進化や技術の進化が、まだ十分には求められていないと私は思うね。例えば、こういうふうに話した言葉を、何て言うかな、プリントアウトするような機械自体はあるけれども、まだ商業ベースに乗るレベルまで行っていないよな。年寄りがパソコンを苦労していじっているようでは、七十歳、八十歳になったら、本が書けなくなるじゃないか。それは無理だよね。しかし、しゃべった言葉が自動的に活字になれば、それは楽になるよ。それから、車の運転などでもそうだ。ハンドルを握って、ブレーキやアクセルを踏んで運転しているよね。オートマチックでかなり楽になってはいるだろうけれども、これから先のことを考えたら、もう一段、進まなければいけないと思うんだよ。やはり、口で命令を発するだけで動く車が必要だと思う。ただ、運転中に、いろいろな人からガチャガチャ言われると、大変なことになるから、「誰が運転者なのか」ということだけを確定すれば、その人が言ったとおりに動く。今、カーナビは、行き先を指定したら、行き方が地図などに出るんだろ? 同じように、運転者が行き先を指示したら、あとはそのとおりに運転してくれる。手や足を使わなくても、「はい、ストップ」とか、「速度を落として」とか、「はい、そこを直進してくれ」とか、「前の車を追い越してくれ」とか言うと、すべて上手にやってくれる。こういう車を、やはり、つくらなければいけない。これから、高齢人口がすごく増えてくるので、その高齢者たちが、日常生活や職業を続けていくことを徹底的に便利にすることが大事だ。そういうところに、産業というか、技術をシフトしていくという運動は、絶対、不可欠なことだね。これをやれば、今、政府が言っているような、増税による過大な財政負担で、若い人が未来を悲観するような社会になることを避けることができる。企業の力でそれを避けることができるんだよ。その方向性を目指せば、避けることはできるので、ぜひ、「今まで働くことができた年齢よりも、長く働けるようにするためには、何ができるか」というようなことを、ものづくりの世界の人たちが力を合わせて考えてほしいね。自動車や携帯電話、テレビ、コンピューター系など、ものづくりの会社は、「生涯現役世界」をつくるために何ができるかを考えてほしいんだ。基幹産業として、もちろんロボットの世界はあってもいいと思う。例えば、介護ロボットのところだね。あったら便利だよな。犬を呼ぶように、「おい、ポチ」と言ったら、スッと来るような“ポチロボット”がいたら、やはり便利だよな。その逆もある。それは子供のところだね。「自分で自分のことが全部できない、小さな子供を、どうやって安全に保育できるか」ということだ。それを介助できるロボットがあるといい。ついでに学習機能まで付いていると、もっといいよね」

 「高齢マネジメント」を発明しないと、今後の社会は幸福にならない。経験か知識かをベースにした職業のクリエイション(創造)に成功すれば、高齢者マーケットは開ける。

 1日のうち一定の時間、週のうち1日か2日、あるいは3日に1回ぐらいしか働けないような人に職業をつくり、訓練によって成果をあげる方法を編み出さなければいけない。

 このマネジメント教育をうまく発明できれば、「大きな政府による福祉国家」は不要になる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『ドラッカー霊言による「国家と経営」』で、ドラッカー自身の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

「今の高齢者には、七十歳を超えて、八十歳以上の人であっても、働ける人は、いることはいるので、「そういう人たちを、どのように、うまく使うか」というマネジメントはありうるし、そういう「高齢マネジメント」を発明しないと、今後の社会は幸福にならないんですよ。私は九十五歳ぐらいで亡くなりました。まあ、最後は、さすがに少し人気がなくなって、あまり客が来なくなりましたが、八十代ぐらいのときでしたら、やはり、大学で授業をしても、まだまだ人気はあったし、企業へのアドバイスを求めて、相談に来る人もたくさんいました。このように、私は、八十代でも仕事をしていましたし、九十代のときにも、まあ、以前より減りはしましたけれども、少しは仕事をしていましたので、「九十五歳ぐらいまで現役で働くことは可能である」と考えています。そして、「八十代ぐらいでも、まだ大学の教壇に立てる」ということを実証した。そのもとにあるものは何かというと、やはり、「知識がある」ということです。私は、「知識のベースがあれば、年を取っても仕事は可能である」ということを実証した一人だと思うのです。私の場合は、そういう「知識ベースのマネジメント」かもしれませんが、先に霊言が出た松下幸之助さんなどは、「経験ベースのマネジメント」ですね。経験というものを教訓に変え、それを語り尽くせば、やはり、年齢が高い人、長く生きた人ほど、経験をたくさん持っているので、教えることが増えてきます。経験か知識か、そのどちらかをベースにした職業のクリエイション(創造)に成功すれば、高齢者マーケットは開けますね。先ほど言った、九回ツーアウトのときにだけ出てくるような投手というのは、本当に半端な使い方しかできません。それでも、何球か投げるだけで十分に食べていける人たちなのです。それは、言ってみれば、一日のうち、一定の時間しか働けないような人でしょうか。「一日のうち、一時間か二時間しか働けません」とか、「三時間しか働けません」とか、「週のうち、一日か二日しか働けません」という人もいると思うんですよ。あるいは、「病気がちなので、普段は休んでいなくてはいけないのですが、三日に一回ぐらいなら働けます」などという人はいると思うんですね。こういう人たちにも、やはり、職業をつくってあげて、こういう人たちが訓練によって成果をあげる方法を、編み出さなければいけないんですね。これが未来社会なのです。これを上手にやれば、すなわち、このマネジメント教育をうまく発明できれば、日本の政府がやろうとしている、「大きな政府による福祉国家構想に基づく、高負担・高納税スタイルの全体主義的統一国家型政策」などは、してくれなくても結構なのです。打者一人を打ち取るだけでも食べていける人をつくったら、彼らも、すき焼きにありつけるようになるのですね」

生涯現役社会 へ

「仏法真理」へ戻る