心の病気(精神障害)

 心の病気(精神障害)とは、「霊的エネルギー循環理論」からするならば、心のエネルギーレベルが極端に低下して大きくバランスを崩し、心そのものが最低限の機能を維持できなくなった状態と言えます。こうした心の破綻状態は、ダムが決壊して溜めていた水が一気に流出し、その後も水を溜められなくなった状況に譬えることができます。患者は「霊的エネルギー循環システム」の破綻によって急激にエネルギーを失い、すぐに回復できずに深刻なエネルギー枯渇状態が続くことになります。

 このときの異常は、脳にもそのまま影響し“脳内物質”の変化となって現れます。この場合は脳内物質の異常が先にあって精神障害が引き起こされるのではなく、“心の破綻”という異常が脳に反映して物質次元の異常が引き起こされると見るべきです。

 心の破綻は、いつまでもそのままの状態に置かれるわけではありません。肉体の損傷に対して自然治癒力が働いて修復に向かうように、心の損傷に対しても「心の自然治癒力」が働き、時間とともに徐々に回復に向かうようになります。壊れたダムは修復され、少しずつエネルギーが蓄えられていくようになります。

 心の病気(精神障害)という深刻なエネルギー枯渇状態は、本人には無気力感・孤独感・虚しさ・絶望感などの苦しみの感情を引き起こすことになります。また極端なマイナス指向・自己中心指向・逃避指向を生み出します。エネルギーの枯渇と心全体の破綻は、1人1人の内容・条件によって、さまざまな症状となって現れます。

 

 現代西洋医学は、近代科学の一分野として発展してきましたが、その本質は“唯物医学”です。西洋医学では、心を脳の産物ととらえ、心が脳(肉体)に影響を与えることを認めようとしません。「心(意識)と肉体(脳)の相互関係」を否定します。

 20世紀の半ばに登場した心身医学は、「心と肉体」「意識と脳」の相互関連性を主張し、それまでの唯物医学に異議を唱えることになりました。1980年代には「精神神経免疫学(PNI)」が誕生し、心(ストレス)と肉体の密接な関係とそのメカニズムを医学的に証明するようになりました。これによって「心身医学」は大きな発展を遂げました。

 中国「気の医学」は、気エネルギーを媒介とする心身関係を主張しています。気の医学の心身関係は、「霊的エネルギー循環システム」における「霊の心」と「肉体」を取り出して、その関係を論じたものです。その意味で気の医学の心身関係は、霊的エネルギー循環システムの一部分と言えます。

 現代の心身医学は「心(意識)と肉体(脳)」の関連性を明らかにしたものの、肝心な「心とは何か?」が分かっていません。

 心をめぐっては、大きく2つの見解に分かれます。唯物的な「脳の産物説」と、「脳からの分離説」です。後者は、従来の宗教が主張してきた“霊魂説”にきわめて近い立場になります。 

 科学では到底受け入れ難いものですが、一部の科学者の中からは“霊魂説”を示唆するような見解が示されるようになっています。

 心身医学では、「心をどのように考えるのか?」について自らの立場を明確にせざるをえない状況が差し迫っています。現代医学の一分野として隷属し続けるのか、あるいは現代医学の唯物性をきっぱりと否定し、宗教や哲学との協調路線を取りつつ新たな医学の分野を確立していくかの分岐点に立たされています。

 「心とは何か?」を明らかにしようとすれば、必然的に「心」と「霊魂」の関係を明らかにしなければならなくなります。しかし、宗教や哲学を含めて現在まで、それについての明瞭な定義は確立されていません。その理由は、人類の中に確たる“人間観”が存在しなかったためです。

 スピリチュアリズムでは、人間には「霊の心」と「肉の心」があるとします。前者は霊的意識、後者は本能的意識ですが、地上人にはこの2つの心(意識)が1つの「心」として感じられるようになっています。

 ここで重要なことは、「地上人には霊的意識のすべてが自覚されるのではない」ということです。深層心理学では、人間の意識は「潜在意識」と「顕在意識」からなることを突き止めています。スピリチュアリズムも同様の見解に立っていますが、その内容は大きく異なります。スピリチュアリズムでは、霊的意識の大部分は「潜在意識」として通常は自覚できないようになっていると考えます。その霊的意識の一部分が脳を媒介として顕在意識化されます。「顕在意識」とは、この一部分の霊的意識と脳による本能的意識を合わせたものです。

 スピリチュアリズムでは、「心」と「霊」を明確に分けて考えます。心とは「霊の表現器官」であり、霊の外皮のようなもの、霊の1つの道具と見なします。

 では、「霊とは何か?」ということになります。神(大霊)の分霊・内在するミニチュアの神・霊的モナド―これがスピリチュアリズムにおける“霊の定義”です。「霊」こそが、人間にとっての真の自我・本体です。

 霊的エネルギー循環理論では、心の成長とは「顕在意識の中の霊的意識の拡大」のことを意味します。顕在意識中の霊的意識と本能的意識の比率は、生まれつきほぼ決定しています。この霊的意識は、育児・教育・環境・人生体験・自己の努力を通じて少しずつ拡大させることができます。

 霊的意識は“利他性”を指向し、本能的意識は“利己性”を指向するため、心の成長とは「心の中の利他性を引き上げること」と言うことができます。

 大半の人々の「心(顕在意識)」は、本能的意識が大きくなり、霊的意識を支配するようになっています(心の肉主霊従化)。そして心全体が“利己性”を指向するようになっています。こうした状態では心の成長はできません。霊からの「霊的エネルギー」の流入が制限されて、心はエネルギー枯渇状態に陥ってしまいます。

 この段階ではまだ決定的な破綻には至っていませんが、すでに軽い心の病気(軽度の精神障害)を発症させています。

 心の肉主霊従状態が続いて、エネルギー不足が深刻化すると、精神的ストレス(怒り・悲しみ・絶望・不安などのマイナスの感情)の一撃によって、心は破綻状況に陥ります。これが「心の病気の発症」です。心の病気になると、さらに重大な霊的エネルギー枯渇状態に陥ることになります。

 心の病気の予防は、「心(顕在意識)を霊主肉従状態にするための努力」と「ストレス対策(ストレスをつくらないようにすること)」が中心となります。また、いったん心の病気が発症してからの治療は、「エネルギーの補充」がその本質となります。

 エネルギーの枯渇とストレスの形成は、その原因をたどると患者本人の「霊的未熟性」と「性格的要因」に行き着きます。

 心の病気に対して「霊的エネルギー」の補充は有効な治療法となります。「心の自然治癒力」の働きを強化・促進します。スピリチュアル・ヒーリングは、霊的エネルギーを補充するための最高の手段です。患者の「霊」を充電し、「霊の心(霊的意識)」を活性化することができる唯一の方法です。

 しかし、それが効果を発揮するかどうかは、ひとえに患者サイドのエネルギーの受け入れ条件によって決まります。

 心の病気の治療は、最終的には患者本人が自らの「霊的未熟性」を克服するレベルにまで至らなければなりません。すなわち霊的成長に向けての自己努力が、心の病気の根本治療となります。その「自己努力」とは具体的には――物質中心的な考え方を「霊中心の考え方」に改め、自己中心的な生き方を「利他的な生き方」にすることです。そして「利他愛の実践・純粋な奉仕活動」を日常生活の中で心がけるということです。

 心の病気(精神障害)の原因として無視できないのが、現代人の「間違った食事」による影響です。間違った食事は、時にドラッグやアルコール並みの強い影響を心に与えます。特に「低血糖症」「脳アレルギー」「必須栄養素の欠乏」「有害金属の脳内蓄積」は、精神障害と同じような症状を引き起こします。

 これまで精神障害の治療では“食事”という物質次元の要因を、ほとんど無視してきました。そのため食事改善や栄養療法で治る症状に対して、的外れな“薬物治療”を行ってきた可能性があります。

 心の病気の原因は多次元にわたることが多いため、治療は「休息」「薬物療法」「心理学的療法」に「スピリチュアル・ヒーリング」などを並行して進めなければなりません。そして最終的には患者本人が、霊的未熟性を克服するための「自己努力」と「利他愛の実践」にまで至らなければなりません。

 心の病気治療には、常にこうしたトータル的アプローチが必要となります。

 

根本的な「心の病気」の治療法

「霊的人生観・霊的価値観の確立」と「利他愛の実践」こそが根本的な精神障害の治療法

 

「心の治療」の複雑さ・難しさ

 心の病気とは、霊的エネルギー不足から生じる「心全体の不調和・アンバランス」のことです。心は深刻な「霊的エネルギー枯渇状態」に陥っています。これに対する治療法としては、不足している心のエネルギー(マインド・エネルギー)を外部から直接補充する方法が考えられます。心身医学や精神医学で行われている“心理療法”は、そうしたものと言えます。

 しかし、異常に陥っている「心」の表面だけを改善し症状を緩和しようとしても、それは心の病気に対する単なる“対症療法”にとどまってしまいます。心理療法のような「心」それだけに向けてのアプローチ(治療法)は、その多くが無駄になります。上位の「霊」に対するアプローチを優先しないかぎり、心の正常化を図ることはできません。ここに「心の治療」の複雑さ・難しさがあります。

 

ストレスを生み出す根本原因は「霊的未熟さ」

 心の病気(精神障害)を引き起こす一番の原因は、その人間の「霊的未熟さ」にあります。霊性が一定のレベルにまで達していれば「魂の窓」は開き、自分で必要な霊的エネルギーを取り入れることができるようになります。

 また、そうした人間は心全体を「霊主肉従」の状態に保ち、物質的・自己中心的な考え方をしません。物質にとらわれない広い考え方をするため、世俗的な価値観に振り回されたり余分な競争に巻き込まれたりせず、疲れることもありません。欲に翻弄されないということ、そして自分中心の生き方・自己愛に縛られた生き方をしないということは、“ストレス”という心の異常を引き起こさないための最善の方法なのです。

 このように考えると、人間の「霊的未熟さ」こそがストレスを生み出す元凶であることが分かります。

 世間一般では、性格的な要因(生真面目・神経質・人目に対する過剰意識・完璧主義・融通性の乏しさなど)が心の病気の原因として取り上げられます。たしかにこうした性格はストレスを生み出しやすくなります。

 しかし、心の土台となる「霊性」が一定のレベルにまで達していれば、性格的な要因によってストレスを溜め込むというようなことはなくなります。性格は主たる要因ではなく、補助的要因と考えるべきです。

 

霊的成長に向けての自己努力こそ最高の心の病気の治療法

 このことは「霊的成長」に向けての努力が、取りも直さず最高の心の病気の治療法になっているということを意味します。「霊的成長」のための努力とは、具体的には――「従来の考え方を根本から変える」「自己愛を乗り越えて利他愛の実践をする」ということです。人生に対する霊的な考え方(価値観・人生観・世界観)を身につけ、それに従って新しいライフスタイルを確立することです。

 心の病気は、最終的には患者本人が意識的に自分の考え方の欠点を克服しようというレベルにまで至らないかぎり癒されることはありません。自分の病気は自分で治すしかないのです。  

 しかし、大半の患者は、病気の発症によって「自己愛性や自己中心性」が表面化し、我儘になってしまいます。また、自分だけの世界に引きこもったり、反対に他人への依頼心が大きくなり、人の言うことを素直に聞けなくなります。そうした状態では到底、自分自身で自己改革の努力をしようという段階には進んでいきません。

 一方、家族や周りの人々は、できるだけ患者を刺激しないようにと、まるで腫れ物に触るように接触します。実際、少しでも説教じみたことを言おうものなら病気が悪化するようなこともあり、何も手出しできません。病気を根本的に克服するためには、どうしても本人の自発的な努力が決め手となりますが、現実にはきわめて難しいのです。ここには「霊的な未熟さ」と「カルマ」という根深い問題が絡んでいます。

 結果的に、大半の患者は、少し回復してはまた病気を再発するというようなことを繰り返したり、だらだらと病気を引きずっていくことになります。家族は、何かの拍子に患者の気持が変わるのを待つことしか手段がなくなります。

 

霊的価値観・霊的人生観の確立

 人生に対する考え方を変えるとは、これまでの物質中心的な価値観を捨てて「霊中心の価値観」に立ち、物にとらわれないような生き方をすることです。質素な生活を送り、最低限の物質で満足し、物欲追求に奔走してエネルギーを無駄遣いしないということです。そして、物質的な富の代わりに、「心の豊かさ・霊的平安」を求めることです。また、地上人生を一時の小さなものと位置づけして、永遠の魂の進化の観点から「霊的幸福」を追求することです。

 そのための指針として、スピリチュアリズムの“霊的教訓”は最適です。心の病気を自分で乗り越えるためには、物質中心的な考え方やライフスタイルを「霊的価値観・霊的人生観」に基づく霊中心の考え方・生活に切り替えることが必要なのです。自分の視野が広がり心が大きくなれば、小さなトラブルや困難に衝撃を受けるようなこともなくなり、精神的ストレスをつくり出さなくなります。「心の病気(精神障害)」を引き起こす精神的ストレスは、もともと本人自身がつくり出す部分が大きいのです。「霊的価値観・霊的人生観」は、ストレスそのものの発生を防ぐことになるのです。

 

利他愛の実践は「魂の窓」を開けてエネルギーを取り入れる

 もう1つの重要な治療法は、「利他愛の実践」です。神によって造られた宇宙と霊的世界を支配しているのは“利他性”という摂理です。天体の運行からミクロの物質の運行、また地球上のすべての生物は「利他性の摂理」の支配を受けています。

 地球上の存在の中で、人間にのみ“自由意志”が与えられています。人間は自らの判断でこの利他性の摂理に一致して霊的成長するように造られています。人間が利他的な生き方を選択するとき、その人間は神の摂理と一致し、霊的成長がなされるようになります。人間が利他的な状態になると「魂の窓」は大きく開き、霊的エネルギーをふんだんに取り入れることができるようになります。

 利他性の反対は利己性であり自己愛です。“利己性”は、外部からエネルギーを奪い取って自らを満たそうと促します。そうなると「魂の窓」は自動的に閉じてしまうようになります。「魂の窓」を開けるには、利他性の摂理にそって、まず先に与えようとしなければなりません。そうすれば自然と「魂の窓」は開き、霊的エネルギーが流れ込んでくるようになるのです。

 

利他愛の実践はストレスの最高の解毒法

 利他愛は、ストレスに対する最強の“解毒剤”です。自分のことより先に周りの人々の幸せのために働く人、自分の利益を犠牲にして他人のために尽くす人は、ストレス(恐れ・心配・悲しみ・怒り・絶望など)とは無縁です。愛されることより愛することを優先する人は、ストレスから解放されています。「人のため」という純粋な奉仕精神を持って利他愛を実践することは、まさに最高のストレス対策であり、心の病気の治療法になるのです。