教育無償化

 幼児教育と大学などの高等教育の授業料を無料にすると約5兆円かかる

 子育てに苦労されている家庭には、一見優しいように見える「幼時教育の無償化」であるが、それは無償化の財源を確保するために行われる「消費増税」です。これは景気を悪くし、給料を下げてしまうため、回りまわって厳しい子育て事情を生み出しているのです。

 子育て世代のために消費増税しても、所得減という形で子育て世代の首を絞めることになります。その意味で「減税こそ最大の福祉」なのです。

 教育無償化の行きつく先は何か。質の低下です。教育の質がどんどん低下していきます。そして起こることは何か。ダブルスクールです。学校教育で十分な学びを得られないと、塾に行くしかないのです。

 政府の仕事は、本来は教育費を無償にすることでなく、良い教師と良い教材を揃えることです。

 大学まで無償にして良い教師が育つわけがありません。授業を受ける学生も、勉強の姿勢が杜撰になります。

 自民党が打ち出している政策が、本当に少子化の解決につながるのかは、甚だ疑問です。

 その主なものが、「幼児教育・保育の無償化」「大学教育の無償化」「私立高校まで含めた無償化」です。無償化を進めることで、教育費を心配する親世代の不安を軽減させ、出生率を上げる狙いがあると見られます。

 この無償化、一見、子育て世代には「救いの手」にも見えるかもしれません。しかし、そこには大きな「副作用」があることを知らなければなりません。それが「増税」です。

 自民党は、争点としてはあまり言及しないようにしていますが、無償化の前提として「消費税率を10%にまで上げる」ことを主張しています。しかし、この消費税の増税こそ、子育て世代の給料を減らし、将来への不安を高め、日本の少子化を加速させてきたのです。

 この国は1997年に消費税率を5%に上げてより長らく、長期不況に苦しんできました。その間に何が起きたのか。一家の大黒柱である夫の給料が下がっていき、共働き世帯の数が、2014年までに2割も増えているのです。これで若い世帯は、子育てをする余裕を失い、子供を生んでも、保育園に預けなければいけなくなりました。さらには、「共働き化」が進めば、夫婦合わせての所得が増えるのが自然なのにも関わらず、共働き世帯の所得も、年に74万円も減ってしまいました。こうした中で、「子供を保育所に預け、塾に通わせ、いい学校に入れ、大学を卒業させる」ということが、非常に難しくなってしまった。少子化が進んで当然なわけです。

 「自分の子供は一生懸命稼いで育てる」という姿が、大変ではあるけれども、人間として大事なことなのではないでしょうか。

 「教育費のバラマキ→増税→不況→少子化→教育費のバラマキ」といった”いたちごっこ”を続けてはなりません。

 日本経済新聞社の調査によると、幼児教育の無償化に「賛成」と答えた人は73%、「反対」と答えた人は18%。高等教育の無償化においても、「賛成」の人は44%、「反対」の人は46%と拮抗しています(2017年9月24日付日本経済新聞電子版)。

 「教育無償化の代わりに増税する」というのは、私有財産の侵害です。私有財産が制限されれば、様々な自由が失われます。本来、国民の私有財産を守るのが、政府の仕事なのです。

 政府の仕事の1番目は、国民の生命・財産・安全を守ること。これは国にしかできません。アダム・スミスも、国防は税金を集めてでもやる仕事だと指摘しています。

 政府が「私有財産」を守るためにできる2つ目が、国民が一生、自分で食べていけるような社会システムを作ること。その方法の一つが教育なのです。社会に出ても、基礎知識を学んで自力で生きていく力をつくるために、教育があるわけです。

 

教育無償化の財源として、消費増税を行うとか

 しかし、「悪貨は良貨を駆逐する」ということわざがあるように、無償化すれば、教育の質が悪化するでしょう。

 日本には数多くの大学がありますが、教育力のない大学が温存されます。教育力がある大学が残るように、規制を緩和し、全体の補助金も減らすべきです。

 本来、社会保障の目的は自立を支援することで、お金を配ることではありません。社会保障を充実させて衰退したイギリスを立て直したマーガレット・サッチャー元首相は、「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません」と語っています。

 

教育を充実させることが本来の政府の仕事です 

 教育で一番大事なのは、その中身であり質です。学力の向上や社会の進歩につながらないものであれば、税金を投じる意味が薄れる。さらに言えば、学ぶ意欲がないのに、「どうせタダだし」という安易な気持ちで進学する学生たちが増えれば、他の学生にも悪影響を及ぼす。

 実際、「義務教育」として無償で提供されている公立の小中学校の授業の質は必ずしも高いとはいえず、都市部では塾に通わなければ進学に必要な学力が得られないケースも多い。平等主義で競争原理が働かないため、教育の質を高めようという学校や教師たちの意欲が低いからです。これによって、経済的に余裕のある家庭の子は塾に通えるが、そうでない家庭の子は十分な学力を得られない。これこそ「格差」を生み、子供たちの心身への負担を増やす。

 このような状況にあるのに、高等教育まで無償にした場合、どれだけの付加価値が生まれるのかは疑わしい。

 成績優秀で学ぶ意欲も高いのに、家庭の事情で進学できない学生を税金でサポートするなら理解できるが、すべて無償化となれば、教育の質を低下させる懸念がある。

 日本も大学教育の未来を考えるにあたって、飛び級制度を普及させてはどうでしょうか。

 高等教育の無償化を検討する前に、現状の教育制度を見直す方が先決です。

 

政府がすべきなのは無償化ではなく「多様化」

 待機児童を減らすために政府がすべきなのは、「すべての子どもたちの幼稚園や保育園の費用の無償化」ではなく、そもそも政府が認可を与える仕組みをやめ、企業や団体が届けを出せば、自由に保育所をつくれるように規制緩和することです。

 もちろん、保育をする人や施設、安全面などの情報開示を義務化するなどの対策は必要になる。それをクリアしたうえで、企業の保育所やベビーシッター、地域コミュニティのサポート、NPO法人など、さまざまな預け場所の選択肢が広がれば、待機児童問題の解決にもつながるでしょう。

 本気で教育の所得格差を是正するつもりであれば、日本全体の学校教育の質を高め、教育力を底上げすることから始めなければならない。