現代の福祉政策

 現代は優しい社会になっているが、「人間にとっての幸福とは何か」という肝心な観点が抜けている。

 人間というのは、自分で努力して、一歩一歩、成長していく過程に幸福を感じるのであって、これを忘れた幸福観は、非常に消極的でネガティブである。

 現代の福祉政策は幸福論の観点からもう一回考え直したほうがよいと思う。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『「人間にとって幸福とはなにか」 本多静六博士スピリチュアル講義』で、本田静六博士の霊の言葉(「霊言」)を次のように紹介しておられます。

「わしは今、年齢不詳だから、年寄りくさくなってはいかんと思うけども。現代は、優しい社会になっとるとは思うんだけどね。確かに、社会が優しい、国が優しい、市も県も優しい。そういうことをしなきゃ、票が取れないのでなあ。民主主義社会は、まあ、優しい社会になっとると思うよ、実際なあ。それは、いいことなのかもしらんし、人類の進歩なのかもしらんと思うところもあるけども、わしの目から見たら、肝心な観点が抜けてると思うんだよな。「人間にとっての幸福とは何か」っていうところが抜けてると思うんだよ。人間っていうのはねえ、自分で努力して、一歩一歩、現状の悪い“あれ”から、よくなっていって、成長していくところに、この過程に幸福を感じるんだよ。自分がやったので、これが成功した。勉強して成績が上がった。事業でも、工夫してやったら、客がついて売れるようになった。黒字が出た。赤字が黒字になった。人が雇えるようになった。店が大きくなった。まあ、こうしたことが、うれしいことなんだよ。この幸福論を忘れてねえ・・・。現代憲法のいう、いわゆる「文化的最低限度の生活」か?なんか知らんけども、「国や、そんなのが保障してくれることが幸福だ」と、あるいは「病院代を出してくれるのが幸福だ」っていう幸福観は、私は、非常に消極的でネガティブだと思うな。もちろん、最低限はそうなのかもしらんけども、心掛けの問題は、やっぱり根本的にあると思う。だから、幸福論の観点から、もう一回、考え直したほうがいいよ。今、「福祉」って言うと、何でもかんでも、あれなんだけどねえ。敵もなく、もう賛成しかないんだけども。」

 「育児の社会化」や「介護の社会化」は、「家族解体」(=家族のいらない社会)を目論む共産主義思想です。民主党の「子ども手当」や「税と社会保障の一体改革」も、「国家が子どもを養い、老人を養う」(=国民を支配する)という国家社会主義思想の流れを汲んでいます。

 自由主義国家における社会保障は、本人の備えと家族の助け合いを基本とすべきであり、私たち国民が今、そうした意識転換を行わなければ、政府と税金は無限に拡大していくことになるでしょう。

「分配」すれば「成長」する?

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