「分配」すれば「成長」する?

 「分配」すれば「成長」する そのキーワードが「成長と分配の好循環」である。

 

「分配」のしわ寄せも国民生活へ

 しかし、「分配」はいつの時代も、思わぬ副作用を生んできた。

 まず、「同一労働・同一賃金」や「最低賃金の引き上げ」を進めれば、人件費が上がる。すると、企業は雇用に慎重にならざるを得なくなる。こうして失業者が増えれば、それこそ景気が悪くなる。

 また、バラマキをするために徴収される税金も、どこかで消費や投資を減らしている。2015年にマイナス成長が続いたのも、個人消費が弱かったから。消費税率の引き上げが影響しているのは明らかです。

 好循環を止めているのは「分配」の不足ではない。個人消費や企業の活動を阻む税金なのです。

 

富の「分散」から「集中」へ

 経営学者のドラッカー(1909年~2005年)は、『ポスト資本主義社会』でマルクス主義にもとづく福祉国家の終わりについて以下のように述べていた。

 「経済システムとしての共産主義は崩壊した。共産主義は富を創造する代わりに、貧困を創造した」「信仰としてのマルクス主義が崩壊したことは、社会による救済という信仰の終わりを意味した」

 福祉国家は、「社会による救済という信仰」にもとづくもので、それが終わったということになる。各党とも「信仰」をもう捨てるしかない。

 では、そのあとはどうすればいのか。ドラッカーは、『断絶の時代』で以下のように述べている。「福祉国家は、優先度を決めることができない。それは膨大な資源を集中させることができないということであり。したがって何も実行できないことになる」

 優先度を決め膨大な資源を集中させることが、福祉国家の次の政府のあり方ということになる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、政府のお金の使い方について、『Think Big!』で以下のように指摘している。

「資本主義の原理は、基本的には『富の集中』です。それぞれの人がバラバラに十万円ずつ使ってもたいしたことはありませんが、お金を、数億円、数十億円、数百億円と集めたら、大きな仕事ができるようになります。

 共産主義の原理を私はよく批判していますが、共産主義の下での平等主義は、『富を分割し、分散して、すべてを同じ状態にする』というものです。

ただ、そういう『富の分散』は、それ以上のものを生みません。支給したもの以外の価値を生まないのです。しかし、富を集中すると、実は、大きな仕事ができるようになります。そのことを知らなくてはいけません」

 幅広く税金を課し、国家の一元管理の下に、所得の再分配をするという機能に、共産主義(または社会主義)は生き延びている。

 さらに気をつけなければいけない隠れ蓑は、「福祉目的」という言葉を利用した増税である。また、その意味で、年金制度も福祉目的に基づく税金であるし、医療保険制度も同様であって、よくウオッチしていないと、為政者に騙されてしまうことがある。

 大川隆法総裁は、『政治の理想について 幸福実現党宣言②』で次のように説かれました。

「「私有財産の否定」と「生産手段の国有化」が共産主義の原点なのです。ただ、さすがに、「私有財産の完全否定」と、「工場やその他の生産手段を、全部、国有化する」というようなことは、ここ数十年から百年の間の文明実験によって、世間がもう許さなくなってきたので、現在の共産主義の考え方は、かなり変わってきています。残っているものは何かというと、「幅広く税金を課し、所得の再分配をする」という機能です。この機能のなかに共産主義が生き延びています。この機能が共産主義機能であり、共産主義は、こういうかたちで生き延びています。すなわち、「幅広く税金を取って、国家の一元管理の下に、所得を再分配する」という機能を持つものが、共産主義、あるいは、社会主義です。社会主義とは、マルクスが最終ユートピアと考えた共産主義に至る前の過程のことです。所得の再分配は、一見、とてもよいことのように見えますが、「これは隠れた社会主義である」ということを知っていなければいけません。さらに気をつけなければいけない隠れ蓑があります。一般的に、税金をたくさん取って、集めたお金を、ばらまいたり、無駄に使ったりすると、世間からの批判が非常に強くなるので、「福祉目的」という言葉を上手に使い始めています。「福祉目的のために税金が必要だ」という理由で税金を巻き上げていくスタイルが多くなっているのです。しかし、「福祉目的に使ったかどうか」ということは、“どんぶり勘定”なのでよく分かりません。また、新しく設けた税金を福祉目的に使い、今までの税金を他のところで好きなように使えるようになったら、結局、増税と同じことです。これも非常に危険なのです。ある意味では、年金制度も、このような福祉目的に基づく“税金”です。これは明らかに税金なのです。国民が、年金について、「自分が積み立てたお金だから、老後には、それがもらえる」と信じていたところ、何のことはない、国は、年金として徴収した分のお金を、入った時点で使っていたのです。これは、「将来のことは将来のことである。自分たちが退職したのちのことは、そのときの人たちが考えるだろう」というような感覚です。これには多くの人々が驚きました。それから、医療保険制度のなかにも、“税金制度”が隠れて入っている部分がそうとうあると思います。これで取ると、事実上の税金だということが国民には分からないのです。そのため、「所得税や住民税などの税率のほうは低く見せて、年金や医療保険のほうから取る」というかたちも、かなりあったと思います。このように、統制経済と、その巧妙な発展形態である、所得の再分配機能としての「税」のところは、よくウオッチしていないと、為政者に騙されてしまうことがあるのです。」

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