資本主義の何が変わり何が変わらないのか

 経営学者ドラッカーは、1960年代から2030年ぐらいまでを「数百年に一度起こる歴史の転換点」で、「新しい資本主義への移行期」と述べていた。

「移行後」については、人、モノ、カネ以上に「高度に専門化された知識」が富を生み出すと予言。時間の使い方や交渉力など価値を生むためのセルフマネジメント能力が求められるとした。

 その意味で、今の資本主義が終わっても、勤勉に働き、創意工夫する資本主義精神は変わらないということでしょう。

 同時に、「企業家が仕事を創り出し、社員の生活が成り立ち、税金を集めた政府が弱者を助ける」という枠組みも変わらない。

「脱成長」なら、極貧の「不自由さ」に甘んじるしかない。ドラッカーが見通す「ポスト資本主義社会」では引き続き、個人や企業がその才覚や知恵を最大限発揮するために、「自由」が大切な価値となる。

 

50年、100年でリターンを求める

 逆に、「新しい資本主義」では何が変わるのでしょうか。大川隆法総裁は同じ法話の中で以下のように明言した。

「未来人類にとって役に立ち、彼らが振り返って、前(の時代)にいる人たちに感謝する仕事をすることが、経済の拡大につながる。これが新しい時代の貨幣の信用の裏付けになると思われます」

 株式会社の起こりは、17世紀初めの東インド会社につながる貿易船とされる。新大陸などへの航海ごとに出資を募り、利益を分け合った後は解散した。会社の寿命は1年程度です。19世紀の産業革命以降は、工場などに10年単位で投資され、何世代にも事業が引き継がれた。

 だが、近年のグローバル資本主義は、17世紀よりも投資期間が短い。投資家の多くが3ヵ月ごとの企業決算を見て、短期的に利益の最大化を目指している。

 大川隆法総裁によれば、「新しい資本主義」は、数ヵ月単位で自分へのリターンを求めるのではなく、50年や100年の単位で未来人類にリターンをもたらすものだということになる。

 子や孫、曾孫の代のために植林し、自分の代ではリターンがない、本来の林業に近い考え方です。これは、バブルの発生・崩壊で数多くの失業を生むグローバル資本主義への一つの「答え」である。

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