病気があるという観念が病人をつくる

 病気があるという観念が病人をつくっていることも多い。

 人間はもともと健康に生まれついている。肉体は病気をするようにはできていない。こうした強い信念を持っていると、自然に肉体も強くなってくる。

 健康に対する不安が起きたときには、自分のなかにある仏の子の部分を見つける必要がある。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『不動心』で以下のように説かれておられます。

「健康に関する悩みや迷いもあります。「病気になるのではないか」「何か事故を起こすのではないか」という不安です。これも現代では非常に流行っている考え方です。現在、医療保険、健康保険が当然であるかのような風潮になっています。ただ、これが社会福祉の観点からなされるのはよいのですが、「人間が病気にかかるのは当然のことである」というような考え方が前提にあるとすれば、そこには大きな間違いがあります。人間は病気になどあまりかからずに一生を全うできるのです。「病気があるという観念が病人をつくっていることも多い」ということを知らなくてはなりません。「病気になったら病院に行けばよい」「薬を飲んでおけば安心だ」というような考え方は、非常に弱い人にとってはよいのかもしれませんが、一度、薬を取り去ってみる必要もあるのです。人間はもともと健康に生まれついているのであり、肉体はそれほど病気をするようにはできていません。こうした強い信念を持っていると、自然に肉体も強くなってきます。たとえば、胃腸というものは、信頼すると非常に強くなるのですが、信頼せずに胃腸薬を飲んでばかりいると、しだいに弱ってきます。したがって、健康に対する不安が起きたときには、自分のなかにある仏の子の部分を見つける必要があります。人間のからだは、もともと、そう悪くはならないものなのです。医者も薬もないという状況であれば、大部分の病気は自然治癒力によって治っていきます。「病気を治すのは、実際は患者自身の力である」ということを、医者はよく知っています。薬や医療といったものは、それを助けることができるだけです。外科手術にしても、人間のからだにメスを入れて手術をする以上、人間に自然治癒力がなければ、傷口はそのままになってしまいます。傷口がふさがるのは、自然治癒力があるからです。」

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