看護は天使を目指す修行

大川隆法 未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ No.201

参考

 寝たきりの方は、何ら生産活動ができていないように見えるかもしれません。苦しいだけで、耐えているだけに見えるかもしれません。けれども逆の立場から見ますと、彼らは、あなたがた看護師に菩薩行の場を与えてくださっているところがあるのです。

 向こうからは、あなたがたが仕事をしている姿が見えているのです。当然、病気をしている方から見れば、はっきり言って看護師のレベルも、点を付ければ「1」から「10」まで付くのです。

 みんな、できれば得点の高い看護師さんが多ければ多いほどいいなと思うでしょう。当たりが悪ければ、それは辛いです。ひどい看護師に当たったら、手抜きはするし、注射は痛い。言葉は乱雑だし、何か言ったら「わがままだ」と言われるし、怒られる。子供ぐらいの年齢の看護師にガンガン怒られて、悔しい思いをしている人は、いっぱいいるはずです。

 一定の数、病人が出るのはしかたがない面はあります。奇跡として病気が治って、その奇跡体験によって仏法真理の伝道をする方も、ありがたい立場に立つ方だと思いますが、全部が全部、そうはなりません。

 そのなかで、「相手は相手、自分は自分」と思うのではなくて、助けるほうと助けられるほうは、小さな共同体をつくっていく努力をすべきだと思うのです。その間に、看護師や医者の側は、菩薩行としての活動がどれだけできるか、また、治療や診察を受けて闘病している方は、その間に何を学ぶか、という問題があると思います。

 逆に患者さんの立場に立てば、看護師の当たり外れは、実に大きいです。朝の注射でも、医者がやらなければいけないというような病院もあれば、研修生の看護師が来て、下手な注射を打っては打ち間違えて、腫れ上がったりするようなことだってあります。

 あるいは、朝一番に採血しなければいけないからといって、夜のうちに腕に注射針を打ち込んでいる病院も多いようです。患者は一晩、注射針を刺したままで寝るのです。朝、医者が出勤していない時、看護師では針を刺してはいけないからといって、医者が夜に打ったままで、針だけテープで貼り付けている。けれども、針を打ったまま一晩寝るほうは、たまったものではありません。

 そのレベルの治療は、結構有名な病院でも、まだまだやっているようです。それは人繰りの問題もあるでしょう。医者が早朝に勤務すると人件費も上がるし、大変なんだろうとは思いますけれども、忍耐している患者さんは、いっぱいいらっしゃると思うのです。

 それから、寝たきりの方で、床ずれで苦しんでいる方もいっぱいいると思います。ほかにも、寝たきりであるがゆえに、病気ではないところまで、体が弱ってくる人もいっぱいいるんですね。筋肉が弱ってきて、普通の生活に戻るのが大変なこともあります。

 やはりもっと、きめ細やかさや、知識、経験的な学習が必要なのでしょう。病院や看護師の世界も、学習する組織でなければいけません。自分の経験だけではなく、他の人の経験も含めて、学習する組織として、「こうしたほうが全体が良くなる」ということを、いつも積極的に考えていくことが大事だと思います。

 

病院も菩薩行の場でありユートピアづくりの場

 病人がいるところというのは、典型的な菩薩行の練習の場でもあるのです。一番、簡単で分かりやすい菩薩行の練習の場です。

 皆さんも、天使のような看護師さんに出会いたいですよね。皆さん、そうですよね(会場笑)。できたら入院はしたくないけれど、どうしてもしなければいけないときは、できるだけ、″当たり”の看護師さんをお願いしたいですよね。一人ひとりについて具体的な細かいことは言えませんけれども、それぞれの場が修行の場であり、ユートピアをつくる場なんだ、ということを知ったほうがいいでしょう。

 医療にはまだ、改善の余地があります。病院系統は、経営がすごく下手で、人の使い方やサービスの仕方、苦情の聴き方や処理の仕方など、とても下手なところがあるので、改善の余地はずいぶんあるのではないかと思います。

 ですから、病気をした方の忍耐だけの問題ではないということです。実際に、痛いものは痛いし、ご飯がまずい場合、本当にまずいものは「また、これか」というものも、確かにないわけではありません。

 患者に対して、「これはいけない、あれもいけない」と、なんでもいっぱい”戒律”をつくることもあるのですが、その戒律も、全員に通用するわけではありません。人によっては、戒律を外さなければいけないものもあると思うのです。そのあたりの勉強を続けていくことが大事だろうと思います。 

 

天使のような看護師に会う体験を

 できれば、病気になった方には、天使のような看護師さんに会えるという体験を、人生で一度ぐらいは味わわせてあげたいなあと私は思っています。全世界の看護師さんには、「患者さんが入院されたときに、『天使のような看護師さんに一回は会ってみたい』という願いを叶えてあげてください」というメッセージをお贈りしたいと思います。

 それは、修行によって達成されるものだと信じています。その修行は、もちろん具体的な仕事から始まります。たとえば注射を打つときに、外さないで打つことなどです。「失敗した」などと言って、何度も針を刺されて血まみれになるのはたまりません。唯物論者であろうがなかろうが関係なく、技術的に、外さないということが大事ですし、当然ですが、間違った薬を投与したりしないでいただきたいと思います。

 あとは、親切な心や言葉も非常に大事です。言葉で勇気づけられて回復する人はいっぱいいます。患者さんを勇気づけるためには、助ける側に、それだけの精神的な強さが必要だと私は思いますね。

 宗教が病気治しをしても、全員が全員治るわけではありませんので、やはり病院の力は大きいと私も思っています。できれば病院にも、仏法真理の考え方が普及していくといいなと思っております。

「看護師のみなさん、どうか、天使を目指していただきたい」というのが、私のメッセージです。

 

 看護師が患者に与える影響力は大きい やはり中身が大事だと思います。 看護における作業や活動などはパターン化することができるので、マニュアルによって、ある程度、教えられますが、心の中身については、そう簡単に教えられないところがあります。かたちだけは誰でもまねできますが、接する相手は人間なのです。 特に弱っている方が多いので、看護師の言葉や表情、動きの一つひとつは、相手にものすごく影響を与えます。 看護師の方は、あまり自覚していないかもしれませんが、重体の方や死に瀕している方は、看護師を本当に光の天使のように見ています。「私は死ぬのかな。死なないのかな」ということを読み取ろうとして、ちょっとした言葉を聞き逃さないし、表情や目の動きもじっと見ているのです。 したがって、看護師の卵の方には、心の勉強をしっかりとしていただいたほうがよいでしょう。それは、実際の仕事にも役立つと思います。 医師は“悪いこと”を言う癖がある 当会は、決して、医学を否定しているわけではありませんが、西洋医学に関しては、「唯物論に立脚したテキストしかなく、それ以外のところには触れていない状態である」と言わざるをえません。つまり、「心の力の部分」について判定ができていないのです。 ただ、看護師のほうは、意外に、それほど唯物論的ではないので、心の力を使えるところがあるのです。医者のほうは、責任を取らなくてもよいように、まず悪いことを言う癖が基本的にあります。 これは秀才の癖と似ています。勉強ができるようになると、まず悪いことを考える癖が出てくるのです。 また、医者の場合、「最悪の場合は、こうです」ということを言い、それより少しでもよくなれば、「腕がよい」ということにもなります。 したがって、医者には、どうしても、悪いことを言う癖があるわけです。 一方、看護師のほうは、そこまでは言わないでしょうから、患者さんを励ますようなことを、正語あるいは光の言葉として、掛けてあげるとよいと思います。

 私は、今、人生の後半に入っていますが、これほど元気になってしまいました。「もう少し年齢相応でもいいかな」と思うのですが、何だか若返っています。〝宇宙人のエネルギー”が入ってきて、このようになっているのかもしれません。若いころは、今のようには働けませんでした。これほど働くときつくて倒れてしまったものですが、今は非常に元気になっています。そのように、医学的にはありえないことが、たくさん起きているのです。 前号で述べた私の体験も、ある医学雑誌に、ありえない奇跡として載ったようです。信者のみなさんは、幸福の科学の布教誌などによく登場していますが、私も、匿名・年齢不詳・職業不詳のかたちで医学雑誌に登場したらしいのです。

 使命が終わっていないのに死ぬわけがない 私は、医者から、まず「絶対に死ぬ」と言われ、次に「臓器移植が要る。長くもっても今年中には死ぬ」と言われ、最後は「五年以内に八十パーセント以上の確率で死ぬ」と言われました。医者は、もう言いたい放題であり、本当にいろいろなことを言われましたが、全部はずれました。「心の力」のほうが、よほど強いのです。 使命が終わっていないのに、死ぬわけがありません。使命が終わるまでは、死ぬようなことは絶対にないのです。

看護に必要な心の力、言葉の力

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