スピリチュアルケア

 スピリチュアルケア とは、人々のスピリチュアルペインを和らげるケアを指す。

 近代ホスピス運動の歴史のなかで、末期がん患者の抱える痛みには、「身体的な痛み」のほかに、不安や孤独感、うつ状態などの「精神的痛み」、仕事上や経済的な不安、家族への心配などの「社会的な痛み」のほかに、4つ目の痛み、すなわち、スピリチュアルペインがあるとされます。これはます。、WHO(世界保健機関)の緩和ケア(身体と心の両面の痛みを和らげるケア)の定義でも採用されている。

 この スピリチュアルペイン とは、「私だけがなぜこんな病気になるのか?」という不公平感や「私の人生は何も価値がなかった」という無価値感、また、「この苦しみをどうしたらよいのか」という困惑感など、魂の奥底から生じる痛みのことである。また、あの世や宗教を信じていても、「神仏は私を見捨てられた」「罰が当たったのかもしれない」などと感じることも含まれる。

 参考

 スピリチュアルケア は、この痛みを対象として、主として欧米において、キリスト教など特定の宗教・信仰に限定されないケアを指すものとして生まれた。ただ、患者が希望すれば、深い宗教的な話に移ることもある。その際、仏教的視点で行なわれるものを『仏教的スピリチュアルケア』と呼ぶ。

 交通事故や過労死などで自分や愛する人が傷つく場合、「なぜ私が?」「なぜ今?」という深い苦しみが生じます。

 科学的には、「運転手の前方不注意」「働きすぎ」など、原因は説明できます。しかし、それは何の慰めにもなりません。この「人生の意味が見つからない」という苦しみが スピリチュアルペイン と言えます。この痛みに答えるには、科学も医学もほとんど無力で、宗教や哲学が必要です。

 

仏教的スピリチュアルケア不振の原因

 しかし、現在の日本の仏教界ではスピリチュアルケアは盛んとは言えない。現在約180ある緩和ケア病棟(ホスピス)のうち、仏教系のもの(ビハーラ)は2つしかない。キリスト教系の10分の1以下である。

 ビハーラの一つ、長岡西病院(新潟県)でビハーラ僧としての経験もある四天王寺大学人文社会学部の谷山洋三准教授は、「仏教界でスピリチュアルケアに取り組んでいる人は決して多くありません。実は仏教者がそれに関心を持つことにはハードルがあるのです」と話す。

 緩和ケアの世界では、もともと70年代後半からスピリチュアルケアの訳語として「宗教的ケア」の語が使われていた。しかし80年代後半から90年代前半まで「霊的ケア」の語に変わり、90年代半ばからカタカナで「スピリチュアルケア」の語が使われるようになったという経緯がある。

 「日本の仏教はたいてい『霊』を否定しています。これは『無我』を『無霊魂』と解釈することから来ています。私はインド仏教を学んだので、その解釈は歪んでいると思っていますが、とにかく日本の仏教は『霊』という言葉を使わない。すると、『スピリチュアルケア』の語に接したときには、どうしても『霊』の語が出てきますから、『こんなものは仏教に関係ない』という印象を持ってしまいがちになるのです」(谷山准教授)

 

伝統仏教に欠けているもの

 元看護学校教師で、仏教大学の仏教看護コースで9年間、僧侶や仏教的観点から看護を学びたい学生を対象に非常勤講師も務めた荻田千榮氏はこう語る。

 「若い僧侶たちは『葬式仏教』と言われることが嫌で、『これからの仏教の役割は生きている人に法を説くことである』と新しい仏教を作ろうとしていました。

 そこで仏教看護コースが新設され、私が臨床実習を担当することになりましたが、副住職もしている40歳前後の学生は、末期がんの患者さんに『私はもう治らないんでしょうか。死んだらどうなるんでしょうか』と聞かれて返事ができず、私のところに聞きに来ました。私は『それはあなたの専門じゃないんですか』と言ったら、『そんなことしたことない』って。彼らは、今の仏教では、死の苦しみから人を救うのは難しいことを体験したわけです」

 前出の谷山准教授もこう指摘する。「よく『葬式仏教』と揶揄されますが、仏教が葬式を担うのは、日本の宗教的な土壌から言えばやむをえない。問題は、儀礼だけを行なって、中身が乏しい点にあるのです」

 

今問われているものは仏教者の信仰

 あの世の存在を信じない仏教者がスピリチュアルケアをすることは、はたしてできるのか。

 「単なる“おしゃべり”“対話”という意味では一定の効果はあるでしょう。しかしスピリチュアルケアは、相手の内面の奥深くに関わるものですから、ケアする側は、相手より深い死生観、人生観を持ち、相手がふと発した言葉をキャッチして洞察、分析しなくてはなりません。そのためには、現場でのトレーニングに加えて、『瞑想』や『座学』も大事です」と指摘する。

 障害や病気、事故など、世間で言う災難は忌むべきものと思いがちなのが人間ですが、『実際は、自分の前に現れる苦悩や困難は、魂を磨くための材料なんだ』と思えたとき、その人はまた一歩魂が向上するのです。

 その意味では、この世の知で作られ、あの世を否定する学問仏教には救いはないでしょう。救われるのは、やはり信仰です。僧侶があの世を信じて葬式や法事をしているのか。それとも単なる職業としてやっているのか。今問われているのは、仏教者の信仰だと思います。

 

 宗教を信じあの世の世界を知ることは、人間の最大の苦しみの一つである死の苦しみから逃れる方法でもある。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『生命の法』で明確に「人間の生命は生き通しである」と説かれている。

 「生死の問題、霊的生命があるかどうかの問題は、避けて通ることも、ごまかすこともできない。真実の人生観に立脚して、象の如く、ドッシリと構えて進んでゆくことが大切である」(同書まえがきより)

 現在仏教徒は日本の人口の4分の3を占め、国内のお寺の数は7万を超えるとされる。日本仏教が「葬式仏教」「観光仏教」と揶揄される状況を脱し、本来の教えと救済力を取り戻すことができるか否か。それは、まずは霊的世界、永遠の生命をどれだけ認められるかにかかっていると言える。

 

転生輪廻を考える仏教では2つの答え方があります

 一つは「原因説」。「以前、自分がそれに相当する害をこの世に及ぼしたから、因果が巡ってきた」という考えです。科学的には証明不能でしょうが、解釈によっては謙虚に自分の言動を控えることにもなり、加害者への許しの気持ちも出てきます。

 もう一つは「目的説」。「ここから何を学びとらなければいけないのか」と考える方法です。

 スピリチュアルケアとは、考え方を変えることによって、意識や心の癒しを目指すケアと言えます。

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