努力の本当の意味は霊的人生観で裏付けられる

努力の本当の意味は霊的人生観で裏付けられる

 人間は、この世とあの世を転生輪廻し、魂を磨いている存在です。人間の本質は魂だが、肉体に宿っている以上、遺伝子が受け継いだ肉体の特徴は確かにある。ただ、遺伝学が全てと考えることによって、運命論で人生が決まってしまうように捉えては、自助努力しない人間が増えかねない。

 

努力の本当の意味は、この世とあの世を貫く霊的人生観によって裏付けられる

  努力の意味について、幸福の科学大川隆法総裁は、著書『青春の原点』で以下のように語っている。

「運命はあるとしても、それとは別に、やはり、自分でやっていかなければならない部分があります。『自分自身による創意工夫や発見』『自分を律していく心』『自分を強く、たくましく、勇ましく、育てていく心』、こういうものが、大きな成果を生み、みなさんが、来世で、あの世に還っていくときに、大きな光の塊となるための肥やしになるのです」

 遺伝子をベースにできている肉体は、あくまでもパソコンのような機械にすぎず、どういう文章をつくりたいのかという思いや考えは遺伝子からは出てこない。どんな遺伝子を持っていようとも、この肉体は神様からの授かりものと思って、努力し続けていくことが大切です。

 

苦しみを取り除くために必要な「霊的人生観」

 障害、不登校、いじめ、犯罪更生。救済の現場では、公的機関や民間団体がさまざまな形で問題を抱えた人々に対するサポートを行っている。こうしたところで本人や家族の負担が減り、救われた人も多いでしょう。

 だが、そうした救済にかかわる人々が「人間はモノであり、死んだら終わり」という、人間を「機械」のように見る唯物論・無神論の価値観の持ち主であれば、障害を持つ人や、挫折した人、一人ひとりを大切に扱う明確な理由を見つけるのは難しくなってしまう。

 「人間はタンパク質の塊で、サルから進化した動物にすぎない」「一度きりの人生で、死んだら終わり」「人間は自然界の偶然が重なって、たまたまできた存在」。これでは、救済も単なる「作業」に堕してしまう。それは本当の意味における救済にはなり得ない。

 

『何事もないこと』が人生の幸福ではありません

 幸福の科学グループでは、母体の宗教法人の教えをバックボーンにして、各種団体が障害者や不登校児などの支援を行っている。これらの活動の背景にあるのは、この世とあの世を貫く幸福を得るための「霊的人生観」である。

 これは、人間の本質は魂であり、この世は魂を磨く修行の場であり、生まれ変わりをくり返す中で、さまざまな経験をして問題や試練にぶつかるが、それはすべて各人の魂を鍛えるために存在するという真理である。

 つまり、障害を持ったり、不登校やいじめに遭ったり、罪を犯すなどのつらい人生を送っていたとしても、それはすべて「人生の問題集」であり、そうした問題に積極的に立ち向かっていくときに未来は開かれていく。

 大川隆法総裁は、著書『未来の法』で以下のように指摘する。

「『何事もないこと』が人生の幸福ではありません。自らの前に立ち現れてくる、さまざまな事件は、すべて、みなさんの魂を試し、育てるために与えられた試練でもあるのです。『それを、どのように受け止め、どう乗り越えていくか』が試されているわけです」

 

魂の親はあなたがたに敗北を与えたことは一度もない

 戦後の日本では、公的機関や公教育から宗教が排除されて久しい。だが東日本大震災で多くの日本人の死生観に大きな揺らぎを与えられたように、今の日本社会には、正しい宗教的な価値観が必要であり、本当の意味で人を救うための宗教的導きが不可欠です。

 大川隆法総裁は次のような言葉を投げかけている。

「真なる世界において、あなたがたの魂の親は、あなたがたに敗北を与えたことは一度もないのです。あなたがたは常に勝ち続けています。あなたがたは、すべての経験をプラスに転化させています。あなたがたは、すべての経験を魂の糧へと変えています。そして、経験を智慧へと変化させています。あなたがたは、その智慧をまた新たな武器として、未来と、人類の社会のために活躍しようとしているのです」

 

人間はどんな環境にあっても自ら光を放てる存在である

 人生の苦しみや悲しみを取り除く本当の考え方とは、この世を超えた世界における神仏の心を信じ、自分はどんな環境にあっても光を放てる存在であるという事実を信じることです。

 そして、この考え方は、苦しみや悲しみを抱える本人のみならず、それを支える家族や関係者の方々などにとっても重要です。

 体が不自由であったり、心が疲れている人に対し、周囲の人々は時として「慈悲魔」となって世話をやき過ぎ、本人が「思いの力」を発揮して力強く生きようとする芽を摘んでしまう場合もある(もちろん、必要な時に手を差し伸べることは大事だが)。

 その意味でも、本人や家族、そして周囲の人々が霊的人生観を学び、共に魂を磨くことが欠かせない。

 そして、こうした考え方は、救済の現場で奮闘しているすべての人々への福音となる。