旧約聖書に混在する「崇り神」と「愛の神」

 旧約聖書をつぶさに見ていくと、ユダヤ人の受難の歴史の源流とも言える神の言葉にぶつかります。

 ユダヤ教で天の父とされるヤハウエは、「我は妬みの神」と自称。自分を信じない人間の抹殺を命じます。また、カナンの地の住人を「追い払え」と命じ、ユダヤ民族以外を認めません。こうした、いわば民族主義的な「祟り神」の声を、唯一神の声としてきたことと悲劇の歴史は無関係ではないでしょう。

 ただ、一神教であるはずのユダヤ教ですが、旧約聖書の神の言葉には、まるで”別人”のような教えもあります。

 例えば、「あなたの土地に共に住んでいる者を虐げてはならない」「復讐してはならない」と暴力や虐殺を戒めています。さらに、「隣人を愛しなさい」と愛を説いています。「祟り神」と「愛の神」の両方の教えが混在しているのが旧約聖書なのです。

 旧約聖書の エローヒム と ヤーウェ 

別のような旧約聖書の神の声

「祟り神」の言葉

 主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。(レビ記24─16)

 ヨルダン川を渡ってカナン(パレスチナ)の土地に入る時は、あなたたちの前からその土地の住民を全て追い払い、全ての石像と鋳像を粉砕し、ことごとく破壊せよ。(民数記33─52)

 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。(申命記1─2)

 あなたたちの誰かが、家畜の捧げ物を主に捧げる時は、牛または羊を捧げ物とせよ。(レビ記1─2)

「愛の神」の言葉

 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。(レビ記19─18)

 あなたの土地に共に住んでいる寄留者を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。(レビ記19─34)

 雄牛、子羊、雄山羊の血を私は喜ばない。

 空しい捧げ物を再び持ってくるな。(イザヤ書1─13)

 私は焼き尽くす捧げ物や生贄について、語ったことも命じたこともない。(エレミヤ書7─22)

 

 旧約の創世記の第1章は、「はじめに神は天と地とを創造された」で始まる。そして、言葉によって光や星、水、草木、動物を創り出す。次いで、神は「我々に似せて人を造ろう」と宣言し、実行した。この場面では、世界は明るさに満ち、人間が善きものとして描かれている。

 ところが、第2章になると、一転して暗い影が差してくる。神は土の塵からアダムをつくり、アダムのあばら骨からイブをつくる。そして、禁断の知恵の実を食べた2人に呪いをかけてエデンの園から追放してしまう。人間の原罪が始まる失楽園の物語である。

 『旧約聖書』の神の表記を見ると、第1章では「エローヒム」と書かれ、第2章では「ヤハウェ」と書かれている。これらは神の二つの側面と解釈されているが、まったく別の神のことなのです。

 つまり、エローヒム(エル)は、中東からアフリカで信仰されていた多神教の中の至高神であり、愛の神です。一方、ヤハウェは、イスラエルの民が他の神を信仰するたびに怒り罰する民族神で、裁きの神です。

 エローヒムという名前には、もともと「世界の創造者」という意味がある。また、聖書の中では「慈しみ深い神」「神々の中の神」「我々を造った神」という修飾語や説明が加えられているので、創造神はヤハウェではなく、エローヒムだと考えるべきです。

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