イスラエル建国 イスラエルとパレスチナはどうして戦いをくり返すのか

 イスラエル・パレスチナ紛争を理解するには、100年前の第1次世界大戦まで遡る必要があると思います。

 当時、パレスチナ地域はイスラム国家のオスマン・トルコ帝国が支配していました。しかし、この地域の石油を狙うイギリスが画策し、「三枚舌外交」を始めます。まず、オスマン帝国の支配下にあったアラブ人に、「オスマン軍を倒せば独立国家をつくってやる」と反乱を起こさせます。一方で、フランス、ロシアと「オスマン帝国を倒し、この地域を分割統治する」密約を結びます。さらに、戦費を得るため、ユダヤ人財閥に援助を求め、その際「パレスチナにユダヤ人国家をつくる」と宣言したのです(バルフォア宣言)。

 アラブ人の活躍もあって、オスマン帝国は1918年に降伏しますが、イギリスは約束を守らずパレスチナ地域を統治します。

 続いて、第2次大戦が起きると、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人が次々とこの地域に入植を進めます。これに怒ったアラブ人が暴動を起こすと、イギリスはこの問題を国連に投げ出し、パレスチナを去ります。

 1948年、ユダヤ人が「イスラエル建国」を宣言。すると翌日、アラブ7ヵ国が宣戦布告し第1次中東戦争が始まります。その後、戦闘と停戦がくり返されました。

あらゆる宗教は一人の神から始まった

 両国の対立の背景には宗教の違いがあり、根深い問題です。しかし、幸福の科学大川隆法総裁は、中東における宗教対立を究極的に解決する考え方を、著書『人間学の根本問題』の中で示されました。

「『宗派が違う』とか、神様の名前が違う』とかいうような小さな宗教対立で、殺し合いをしたり、戦争をしたり、空爆をしたりするようなことが、今、中東でも、いろいろ起きていますが、『そうした、”ささやか”なぶつかり合いは、できれば終わりにしたい』と思っています。例えば、『イスラエル 対 ガザ地区のハマスは、どちらが正しいのか』とか、そうした戦いもやっています。もちろん、霊存在もたくさんいますので、今も、彼らを指導している者もいれば、過去に指導した者もいて、それらに個性の違いがあった可能性はあります。しかし、『彼らを指導していた者の上にある”オリジナル・ワン”は、一人なのだ。同じなのだ』ということを、私は申し上げたいのです。その”オリジナル・ワン”の『エルの神』(エル・カンターレ)の名の下に、やはり、和解し、調和し、共に暮らしていけるような話し合いをして、平和を築くべきだと思います」

 日本が今後、外交・宗教の両面から中東和平を推進する大きな役割を果たすことに期待したいものです。

 1993年、アラブ人がつくるパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルの間で、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の一部でアラブ人の自治を認めるなどの「オスロ合意」が交わされました。

 ようやく平和が訪れるかのように見えましたが、その後も合意は守られず、現在もイスラエルの入植は続きます。パレスチナ自治区でアラブ人の自治が行われている土地は約40%に過ぎません。

 イスラエルの周りに紛争が多い理由は 4つ挙げられます。

 1点目は、この地がヨーロッパとアジア、アフリカを結ぶ戦略的な要衝であることです。

 2点目は宗教です。

ユダヤ人にとって、エルサレムは4千年にわたって神聖な場所です。首都であり心臓にあたります。エルサレムを他国に渡すのは、例えば、日本が京都を北朝鮮に明け渡すような感覚です。しかし、イスラム教徒は、彼らの聖典コーランにはエルサレムについて書かれていないのに聖地だと主張するのです。ただ、コーランでは、ユダヤ人が「啓典(聖典)の民」とされ尊重されているので解決できるでしょう。

 3点目は国家主義の問題。

アラブ人は、ユダヤ人がこの地に住むことはよしとしていますが、国を持つことは許されないと考えています。

 4点目は文化です。

私たちは西欧文化に属しているので、自由で民主的です。これがイスラム教徒のアラブ諸国にとっては脅威なのです。もし、国民が自由を知ったら国が転覆するかもしれないと感じているわけです。

 パレスチナの地をめぐっては、第1次大戦のずっと前から争いが絶えませんでした。

ユダヤとイスラムの聖地「エルサレム」

そもそもなぜユダヤ人はこの土地にこだわるのでしょうか

 その原点は、ユダヤ教の聖典『旧約聖書』にあります。

 旧約聖書は、「創世記」のアダムとイブの話や、ノアの方舟などの物語が記された「天地創造からの歴史書」です。日本で言えば『古事記』『日本書紀』にあたる。キリスト教とイスラム教も旧約聖書を聖典としていますが、ユダヤ教はこうした後発の宗教を認めない立場です。

 

約束の地「カナン」をめぐる歴史

 旧約聖書に記された「イスラエル」をめぐる物語を紹介します。

 今から4千年ほど前、現在のイラクにあたるバビロニアの遊牧民アブラハムは、神に与えられた約束の地「カナン」、現在のイスラエルにたどり着きます。

 そして、彼の孫ヤコブが神と契約を結び、「イスラエル」と名乗るようになります。ヤコブの息子12人がイスラエル十二氏族の長であり、子孫の一部が「ユダヤ人」とされています。ヤコブ一族がエジプトに移住し、時代が下って子孫が増えると、ユダヤの民はエジプトの王から迫害され、奴隷として扱われます。

 このユダヤ人の中から紀元前13世紀ごろ、モーセが生まれます。モーセは幼いころエジプトの王宮で育てられます。しかし、大人になって自分がユダヤ人であることを知ると、仲間が奴隷として使われていることに心を痛め、先祖が住んでいたカナンの地を目指します。

 モーセは、60万人の成人男子とその家族、家畜を連れて、「出エジプト」を成します。紅海を割ってエジプト軍を退けたり、シナイ山で神との契約である「十戒」を授かりました。モーセは40年間さまよい、旅の途中で亡くなりますが、跡を継いだヨシュアが民を率います。しかし、カナンの地にはすでに多くの民族が住んでいたため、町を襲って陥落させます。

 紀元前11世紀ごろ、ユダヤ人はこの地に「イスラエル王国」をつくり、ダビデ王がエルサレムを首都に定めます。その息子ソロモン王の死後、王国は南北に分裂。やがて北部はアッシリアに滅ぼされ、南部の人々はバビロニアの捕虜になります(バビロン捕囚)。バビロニア滅亡後、彼らはイスラエルに戻りました。

 このように、旧約聖書には、神から与えられた「約束の地」をめぐってユダヤ人が争いをくり返してきた歴史が記されています。

 

イエスの誕生と度重なる迫害

 旧約聖書の時代から数百年後、イスラエルにイエス・キリストが生まれます。しかし、ユダヤの人々は、ユダヤ古来の律法に反した教えを説くイエスを処刑してしまいます。

 その後、キリスト教が広がると、ユダヤ人は「イエスを十字架にかけた」などの理由で迫害され、散り散りになります。移住した先で虐殺されることもありました。一方で、多くのユダヤ人が金融業で成功します。これは、ユダヤ人が土地の所有を禁じられていたことと、キリスト教徒が利息をとることを禁じられていた影響も大きい。

 時代は下り、第2次大戦時には大きな悲劇が襲います。ナチスドイツによる迫害で、ユダヤ人が大量虐殺(ホロコースト)され、数百万人が亡くなりました。そして、大戦後、現在のイスラエル建国に至りました。

 

イスラム教とキリスト教・ユダヤ教の対立

 中東の紛争でまずイメージするのは、イスラム教とキリスト教・ユダヤ教の宗教対立です。

 3つの宗教はみな一神教だから対立するしかないのかというと、そのようなことはない。お互い「兄弟宗教」で、「同じ神を信じている」という認識はある。ユダヤ教の神もキリスト教の天なる父も、イスラムのアッラーも同じ存在だからです。

 問題は、一神教と言いつつ、実は神が複数いる点にある。中東・アフリカで広く信仰を集めた普遍的な神と、ユダヤの民族神が一緒になってしまっている。旧約聖書を読むと、多くの場合、「主」と表記されるヤハウェと、「神」と表記されるエローヒムは明らかに正反対の個性である。ヤハウェは「異民族を滅ぼし尽くせ」と命令する戦闘的な裁きの神。エローヒムは「復讐してはならない。隣人を愛せ」と導く愛の神。キリスト教は旧約聖書も正典なので、ヤハウェの”思想”を受け継いでいる。

 コーランにもヤハウェの影響が強く、異教徒の殲滅をよしとする箇所がある。

 9・11テロやパリ新聞社襲撃事件はこの文脈にある。3つの宗教の対立は、ヤハウェの激しい戦闘性や復讐心に原因があるのです。

 その意味で、3宗教とも宗教改革が要る。裁きの神ヤハウェの影響を取り除き、愛の神エローヒムにどう一本化できるかです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、3つの宗教の創始を天上界から導いた至高神としての自覚を持ち、その秘された本来の名が「エル・カンターレ」であることを明らかにした。復活の愛の神の教えは、世界のイスラム教国にも広がりつつある。

 

幸福の科学は全世界の人々を指導する神を信じる宗教

 ユダヤ教と幸福の科学とが全く関係がないというわけではありません。

 ユダヤ教からは、キリスト教やイスラム教など、他の世界宗教に分かれていった部分があります。あるいは、ギリシャやエジプトの宗教の基本的な考え方など、共通のものもユダヤ教に流れ込んできています。

 ユダヤ人だけを救う神様もいらっしゃるのかもしれませんが、そのようには見ていないのです。

 全世界の人々を指導している神様がいます。その神様はユダヤ人も当然対象に入れていると考えております。

 たとえ、この地上でユダヤ教のユダヤ人とアラブ人のイスラム教徒がけんかしているような状況があろうとも、それはこの世での人間の解釈や理解の違いによって起きている衝突であり、もとなる考え方は、衝突するものではないと考えています。その衝突は、会社と会社の間で、同業者が競争しているようなものに近いと考えて良いのではないかと思っています。

 もし、ユダヤの神のうち排他的な面が非常に強く出ている神様が言うように、「唯一の神」というのが全知全能の神であるならば、世界中がユダヤ教徒になっているはずです。そうなっていないという現実を見れば、全知全能でないことが明らかなのです。

 ただ、ユダヤ教のもとになった教えの中にも、この『太陽の法』の基本思想と同根の部分が最古層に入っています。

 大川隆法総裁が説く新たな宗教的世界観によって、至高神が指導した兄弟宗教であることを互いに認め合い、攻撃的な教えを捨てることで宗教間融和の可能性が開ける。

 一方、唯物論的・世俗的な学者の意見では、各宗教の熱心な信仰者たちを説得できないでしょう。「新しい宗教観に基づく宗教学」が求められております。