ユダヤとイスラムの聖地「エルサレム」

 エルサレムには、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地があります。エルサレムは、ユダヤ教のイスラエルが「わが国の首都だ!」と主張してきた地であると同時に、イスラム教のパレスチナ自治政府も「我々の首都だ!」と主張してきた地でもあります。

 両宗教がそれぞれの「聖地」として奪い合ってきたエルサレム。その名前に含まれる「サレム」という言葉の語源を辿ると、「平和」「平安」という意味に行き着くとも言われています。中東の「平安京」ともいえる地が国際紛争の中心になっているとは何とも皮肉です。

 

ユダヤの民にとっては4千年前から約束された場所

 歴史が古いユダヤ教の立場から見てみます。

 今から4千年ほど前、後のユダヤ民族は”神の啓示”により、「あなた方に、カナンの地を与える」という趣旨のことを言われました。それが現在イスラエルやパレスチナなどがある地域です。それから、ユダヤの民はこの地に住んでは離れる「落ち着かない歴史」を経験していくことになります。

 彼らは”神”の掲示を受けて、カナンの地に住んでいる先住民を制圧して移住し、暮らしていました。しかし、その後、何らかの理由でエジプトに集団移住します。そこでは奴隷にされてしまいます。そこで立ち上がったのが モーセです。人々を救い出し、元いたカナンの地に帰すのです。

 民族は再びカナンの地に住んでいた人々を制圧し、「イスラエル王国」を建国しました。そして、その中心部にあるエルサレムの地に「エルサレム神殿」を建設し、神を祀ったのです。

 しかし、彼らは、その後も他国に攻められたり集団で奴隷にさせられたりして(バビロン捕囚)はまたこの地に戻ってくるという、苦難の歴史を体験します。

 そして、紀元2世紀、王国はローマ帝国に滅ぼされてしまうのです。人々は世界に散り散りになってしまいました。

 彼らが滅ぼされた時、「エルサレム神殿」も破壊されてしまいました。その時に残った城壁の一部を現在ユダヤ教徒はエルサレムの「嘆きの壁」と呼び、聖地にしているのです。そこで人々は迫害され滅ぼされた悲劇の歴史を嘆くと共に、民族の再興に思いを馳せています。

 世界に散ったユダヤの民のうち、ヨーロッパに渡った人々の多くは、第二次世界大戦の時にナチスによって迫害されてしまいます。迫害されたユダヤ人たちの多くは、かつて民族が国を建てていたこの「約束の地」に移り住み始めます。

 彼らは、大戦後、「再び、自分たちの国をつくりたい」という運動を始めます。そこに「弾圧されたユダヤ人はかわいそうだ」と同情したアメリカが、「イスラエル」を建国させてくれるのです。そして、彼らは、聖地のあるエルサレムを首都とすることを国際社会に訴えているのです。

 イスラエルは、もう二度と国を滅ぼされないよう、アメリカの技術協力なども得て、核武装をするなど、近代的な国家づくりを進めています。

イスラエル建国 イスラエルとパレスチナはどうして戦いをくり返すのか

イスラム教にとっては、勝手にユダヤが土地を奪った?

 イスラム教から見た、エルサレムの歴史を見ていきます。

 イスラム教が生まれたのは、ユダヤの民の王国が滅んでからしばらく後のことです。

 彼らにとってもエルサレムは「聖地」でした。ムハンマドが「昇天」し、神に対面することになったという岩があるためです。イスラム教徒はその上にモスクを建て、「岩のドーム」と呼んでいます。その岩がかつての「イスラエル神殿」の敷地内にあり、ユダヤ人が聖地とする「嘆きの壁」から100メートルくらいしか離れていないことも歴史の皮肉というべきでしょうか。

 イスラム教徒は、最初のころ、この聖地をキリスト教徒の「十字軍」と奪い合い、激しい戦いの後勝ち取っています。

 そして、第二次世界大戦前までこの地域には多くのイスラム教徒が住んでいたのです。

 しかし、大戦後、迫害された世界中のユダヤ人が、イスラム教徒たちの住む地域に大量になだれ込んで来始めます。そして、挙句の果てには、大国アメリカの後ろ盾で勝手にユダヤ人の国「イスラエル」を建設してしまったのです。その時、数十万人ものイスラム教徒が家を追われて難民になったといいます。その恨みは想像を絶するものだったと思われます。

 それに対して、周辺のイスラム教国は反発。自分たちの土地と聖地を取り戻すため、軍事侵攻に踏み切ります。度重なる戦争を経て、イスラム教側はイスラエルの一部に「パレスチナ自治区」を建設しました。

 それからというもの、パレスチナはイスラエルとの間で度重なる紛争をしています。さらには、その後ろ盾になっているアメリカに対しても激しく反発しています。

 

同じ神にして、同じ聖地

 エルサレムは両勢力の根深い対立が渦巻く場所なのです。そこに、アメリカがさらにイスラエル側に加担するようなお墨付きを与えたことで、混乱の激化が予想されています。

 幸福の科学大川隆法総裁は、「エル・カンターレ祭」における講演会において以下のように語られております。

「私の答えを言えば、小さなことだと思っています。ユダヤの人たちが、エルサレムを首都としたい。別に構いません。天上界の高級霊たち、神と呼ばれた歴史上の人たちは、そんなに心が狭くないんです。そんなことで、この世が混乱に陥ることなんか、望んでいないんです。この地上に、聖地とか、そういうものはあるかもしれませんが、それはあくまでも、あの世にあるところの神仏につながっていくための縁にしかすぎないんですよ。そうした手段と目的とを、間違えてはいけないのではないでしょうか」

 そもそも、ユダヤ教の聖典(『旧約聖書』)に出てくる「エローヒム」という神と、イスラム教で言う「アッラー」は同じ神です。これは幸福の科学の霊査でも明らかになっています。エルサレムについては、キリスト教も聖地だと主張していますが、イエスが「天なる父」と呼んだのも、同じ霊存在だったということが分かっています。

 そうしたことを考えれば、お互いを「全く別の宗教」「敵の宗教」と考えて、聖地を奪い合う姿を神は悲しみながら眺めているはずです。

「ユダヤの人たちがエルサレムを首都としたい。別に構いません。神はそんなに心が狭くないのです。そんなことでこの世が混乱に陥ることは、望んでいません。聖地は、あの世にある神仏につながっていくための縁にしかすぎないのです」

 3つの宗教が同じ神を信じているならば、聖地が同じ場所にあっても何の問題もないはずです。イスラエルとパレスチナがエルサレムを共有し、ともに首都とすることもありえます。

 一時的には対立が激しくなると思われますが、3宗教がお互いを理解し合おうと努め、同じ神に祈ることで、長期的には宗教融和の実現は可能です。

 エルサレムが人々が憎しみ合う場所でなく、愛し合う聖地になることを望みたいものです。