日本の国旗の竿はなぜ白黒? なぜ金の玉?

 2月11日は日本の建国記念の日です。この日は「祝日法」により定められている形にはなっていますが、建国記念日だけは日付が政令で定められている特殊な祝日であり、かつての「紀元節」の日です。

 この祝日に日章旗を玄関口に掲げる家庭も多い。なぜ、日章旗の竿は白黒の縞模様で、てっぺんに金色の玉がついているのでしょうか。それは建国神話に基づきます。

 後に初代天皇となった神武天皇は、九州から今の大阪の難波に上陸し、近畿の有力豪族のナガスネヒコの軍と戦いましたが、退却余儀なくされました。敗因を占った結果、天照大神の子孫でありながら、太陽に向かって戦をしたのが間違いであったと判明しました。そこで太陽を背にした戦いをするべく、難波から紀伊半島沿岸を海路で進み、現在の熊野に上陸。ここから紀伊の山岳地帯を抜けて吉野、そして大和地方に攻め込み、ナガスネヒコを退治し、橿原宮で天皇に即位しました。この日が紀元前660年2月11日でした。場所は現在の奈良県橿原市の橿原神宮です。

 この故事が日本の国旗にも大きな影響を与えています。

 日章旗は太陽をイメージしていることは広く知られていますが、竿の白黒の縞はどこからきているのでしょうか。 

 神武天皇は紀伊の山岳地帯を進む際に道に迷いましたが、八咫烏(やたがらす)が道を示してその一帯を脱出できました。そこに由来するという説が有力です。

 また、竿の先にある金色の玉は、神武天皇が二度目のナガスネヒコとの戦いで苦戦を強いられていた際、雷鳴が突然轟き、神武天皇の弓先に金色に輝く鵄(とび)が止まった故事に基づくそうです。そのまばゆい光でナガスネヒコ軍が動揺し、神武天皇の軍勢が総攻撃に転じて勝利しました。

 神武天皇の戦略や戦術は、後年、ナポレオンのアルプス越えの遠征や、山岳地帯から平野部を突く「キツツキ戦法」など、意表を突く軍事・経済戦略として幅広く応用されています。日本はそうした先駆的な着想で建国されたのです。

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