動乱期に天変地異が起こる

 天変地異を「天罰」「警告」などと言うと、「不謹慎だ」「迷信だ」という反発の声が出てくる。しかし、記録に残るほどの甚大な天変地異が、動乱期に重なって集中しております。人心の乱れやそれに伴う政治の混乱に呼応したものだと考えるのが自然です。

 例えば、平安末期や戦国時代、幕末など、時代を画するような戦乱の時代に天変地異が集中している。これらは、旧い枠組みに対する神仏の警告であると同時に、新時代への胎動を促す意志の表れでもある。一見、戦乱のない時代に起きる天変地異でも、後から振り返るとその意味が見えることが多い。  

 平安時代以降の日本でマグニチュード6以上の大地震が起きたときは、必ず国内の政治・文化の中心地で混乱が起きていたという相関関係がある。

 1100年ごろは藤原氏や源平が勢力争いを繰り広げた京阪神に大地震が集中、鎌倉に政権が移る 1200年前後には関東、政権が京都に戻った南北朝から室町時代にかけては再び京阪神に集中。「政権の中心地、特に人の心が乱れる政権交代の時期に地震が多発している」としている。

 鎌倉時代の「元寇」では、モンゴル軍が攻めてきたタイミングで、2回とも台風が通った。1回目の襲来である「文永の役」は、11月半ばのことであり、台風の季節ではない。

 黒船来航から安政の大獄にかけての幕府の崩壊と維新の志士に対する弾圧が行われた時期に「安政三大地震」が起こっています。

 阪神・淡路大震災も東日本大震災も、神仏を否定する実質的な左翼政権の時代に起きている。

 阪神大震災発生時は社会党を中心とする村山政権であり、現在も左翼的な考え方の強い菅民主党が政権の座にあることは、決して偶然ではない。東日本大震災の際には、「震災はこの国への天罰」という発言に批判が集まった。その時と比べると、「天変地異は単なる自然現象ではなく、天の意志の現れだ」という認識が、国民の間で広まり始めていることがうかがえる。

 大規模な天変地異の原因について、幸福の科学大川隆法総裁は著書『逆境の中の希望』の中で以下のように語られました。

「『阪神・淡路大震災』と『東日本大震災』という二大災害は、実質上の左翼政権が立っているときに起きています。そして、その背景には、やはり、仏神、仏や神を軽んずる風潮、唯物論的な風潮があります。(中略)そういう風潮が「勝利した」と宣言しているときに、こういう天変地異が起きているのです

 以下に、日本の歴史の中で、政治の混乱を左側に、数千・数万規模の死者が出た(と推定される)天変地異を右側にして、年代順に並べてみました。(数年にわたる出来事は発生年を記載 犠牲者数はいずれも推定)

1086年 院政の開始  

           1096年 永長地震(東海・東南海) 死者推定1万人
           1099年 康和地震(南海) 大津波が発生 死者は推定                                    1108年 浅間山大噴火 上野国で大きな被害

1156年 保元の乱   
1160年 平治の乱

1180年~85年 源平の合戦  
           1181年 養和の飢饉 死者は京都市中で4万2300人

           1230年 寛喜の飢饉  
           1235年 霧島山噴火 

1274年~81年 蒙古襲来 
           1293年 鎌倉大地震 死者推定2~3万人  

           1459年 長録・寛正の飢饉  
               1461年の最初の2ヵ月間、京都で8万2000人の死者

1467年~1477年 応仁の大乱   
           1471年 桜島大噴火(文明大噴火) 溶岩流出で死者多数
           1471年 桜島大噴火(文明大噴火) 溶岩流出で死者多数  

           1498年 明応地震(東海・東南海) 死者3~4万人

           1586年 天正大地震(美濃) 歴史的に確認できる人物が多数死亡

1592年~1598年 朝鮮出兵 
           1596年 慶長伏見地震(淡路島) 京都だけで死者4万5000人
           1596年 慶長伏見地震(淡路島) 京都だけで死者4万5000人
           1596年 浅間山噴火

1600年 関ヶ原の戦い 
       1605年 慶長大地震(南海トラフ) 大津波が発生 死者推定1~2万人
       1611年 慶長三陸地震(三陸沖) 津波が発生 死者推定2000~5000人

1614年~1615年 大阪の陣

1680年~1709年 5代将軍綱吉の統治 「生類憐みの令」など悪政
          1703年 元禄大地震(房総南端) 大津波が発生 死者1万~数万人
          1703年 元禄大地震(房総南端) 大津波が発生 死者1万~数万人
          1704年 浅間山噴火
          1705年 桜島、霧島山噴火
          1707年 宝永地震(南海トラフ)  死者数万人
          1707年年 宝永大噴火(富士山)

1716年~1843年 江戸の三大改革
          1732年 享保の大飢饉 冷夏などによる凶作 餓死者数万人
          1741年 北海道西南沖地震 津波が発生 死者推定2000人
          1751年 越後・越中地震(高田地震) 死者推定1500人
      1771年 八重山地震 明和の大津波を誘発 死者・行方不明者1万2000人
          1782年 天明の大飢饉 全国的に十万人の餓死者
          1783年 浅間山大噴火  
      1792年 島原大津波 雲仙普賢岳の噴火で発生  死者推定1万5000人
          1833年 天保の大飢饉 江戸では救済施設に数十万人
          1847年 善光寺地震(長野) 死者推定1万3000人

1853年 黒船来航   
          1854年 安政東海地震 死者推定2000人
          1854年 安政南海地震 死者1000~3000人
          1855年 安政江戸地震 死者は町民だけで推定4700人

1867年 大政奉還

          1891年 濃尾地震(岐阜) 死者7273人

1894年~1905年 日清・日露戦争
      1896年 明治三陸地震 巨大津波が発生 死者・行方不明者2万1959人

1922年 ソ連成立   
1923年 日英同盟破棄 
          1923年 関東大震災 死者・行方不明者10万5000人
1924年 アメリカで 排日移民法成立
          1927年 北但馬地震(兵庫県北東部) 死者2925人

1931年 満州事変   
       1933年 昭和三陸地震 大津波が発生 死者・行方不明者
3064人

1941年~45年 太平洋戦争
          1943年 鳥取地震  死者1083人   
          1944年 昭和東南海地震 死者・行方不明者1223人
          1945年 三河地震 死者・行方不明者2306人  
          1946年 昭和南海地震 死者・行方不明者1443人
          1948年 福井地震 死者・行方不明者3796人

                           1991年 雲仙普賢岳噴火 火砕流で死者・行方不明者43人
          1993年 北海道南西沖地震 死者・行方不明者230人(
1994年 村山政権誕生   
          1995年 阪神淡路大震災 死者・行方不明者6437人

2009年 民主党政権が成立  
          2011年 東日本大震災 死者・行方不明者約2万人

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