「反日」をやめない理由は「建国神話」にある

 日本の国防強化の必要性や歴史問題で譲歩してはいけない理由を、韓国、北朝鮮、中国の「建国の歴史」から考えてみます。

 

アメリカとソ連によって分断された朝鮮半島

 1945年8月15日の日本の敗戦によって、朝鮮半島は連合国の管轄下に置かれました。その後、半島では朝鮮人の手で独自の国家をつくる動きが起きますが、アメリカが許しませんでした。なぜかと言うと、日本が降伏する以前から朝鮮半島の北部にはソ連軍が侵出していたからです。半島全域がソ連の手に落ちることを恐れたアメリカは、ソ連に分割統治を提案。その結果、三十八度線を境に、北部をソ連、南部をアメリカが治めることになりました。

 

草創期の韓国をつくった人々の実態

 1948年8月、半島南部でアメリカの支援を受けて誕生したのが「大韓民国(韓国)」です。中枢を担ったのは中国・上海で設立した「大韓民国臨時政府」の系譜を継ぐ人たちでした。ただ、この臨時政府はとても危険な組織です。中心人物の金九(キム・グ)は、1932年、東京で昭和天皇を暗殺しようとした「桜田門事件」の首謀者です。同年、上海で行われた日本の祝賀行事に爆弾を投げ込み、政府要人を数人殺害し、重光葵・上海公使(当時)の足を失わせた「上海天長節爆弾事件」の首謀者でもあります。大韓民国臨時政府は中国に拠点を置きながら、各地でテロ活動を行っていました。ところが、日本が負けたため、半島に政府をつくらなくてはいけなくなり、臨時政府の人々が新しい韓国という国の中枢を担うことになりました。なお、李承晩を臨時政府の大統領に担いだのが金九です。

 韓国の憲法前文では、この臨時政府が独立運動の中心的役割を果たしたと位置づけていますが、実態は「政府」の体を成していませんでした。統治する「国民」も存在せず、「軍隊」と呼んでいたものも蒋介石率いる中国国民党政府の資金で維持されていたほどです。

 しかし、当時の韓国の人々は、自分たちで独立を勝ち取ったという「建国神話」をつくるために、臨時政府が日本を打ち破ったかのような物語をつくり上げました。この神話を守るために、現代の韓国の人々は臨時政府が掲げてきた「反日」の旗を降ろすことができないのです。

 

草創期の北朝鮮を率いた金日成の実態

 韓国成立から約1ヵ月後の1948年9月、半島北部にてソ連の支援を受けて誕生したのが「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」です。首相には、金日成(キム・イルソン)氏が就きます。金日成氏が首相に就いた理由は、「抗日ゲリラを率いて、日本を敗北に追い込んだ」というものですが、これは眉唾ものです。そもそも目立った「戦果」を挙げていません。「日本軍に大きな打撃を与えた」と新聞に大きく取り上げられましたが、1937年6月の普天堡(ポチョンボ)の戦いも、日本人の料理店店主と警察官の子供が亡くなっただけでした。金日成氏は敗走を重ね、1940年10月にはソ連に逃げ込んでいます。ソ連が朝鮮半島北部を占領した際、手足となる傀儡政権をつくろうとして、その指導者として選ばれたのが金日成氏であったというだけのことです。

 金日成氏が国のトップに立った正当性を「日本軍を打ち破った」という点に置いている以上、北朝鮮も「反日」の旗を降ろすわけにいかないのです。

 

中国を建国した毛沢東の実態

 南北の独立から1年後の1949年10月、「中華人民共和国(中国)」の建国が宣言されました。

 中国を治めたのは毛沢東率いる中国共産党です。共産党も、自分たちが国を治める正当性に「日本軍を打ち破った」ことを挙げております。

 しかし、共産党も敗走に次ぐ敗走を重ねており、実際に日本と戦っていたのは蒋介石率いる中国国民党であり、それを支援していた連合国です。ゲリラ組織だった共産党は、戦後のどさくさにまぎれて「漁夫の利」を得ただけです。

 

北朝鮮、韓国、中国では「反日」が正義

 韓国、北朝鮮、中国では、現在、国を治めている政府が「自分たちが日本軍を打ち破った」という部分に政権の正当性を置き、国民を納得させています。

 米朝会談の後に、北朝鮮、韓国、中国がどのような動きを見せるか、現時点では分かりません。ただ、この3ヵ国では、「建国神話」を維持していくためにも、「反日」を叫び続けることを「正義」としていることを忘れてはいけません。

 日本は、当時の朝鮮統治が欧米の植民地支配とは異なるもので、同じ国として発展を目指していたことや、中国における「南京大虐殺」などがまったくの作り話であることなどを世界に向けて発信しつつ、他国に悪を犯させない国防体制をつくり上げる必要があります。

参考

宗教 

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