悪魔

 「悪魔」は、残忍・残虐な行為が心の底から好きだったり、自分の権力を実現して人を恐怖で支配するのが目的で、大勢を殺したり、思想で多くを迷わせるなど、影響力の大きかった人たちのなかで結果として大きな悪を遺した人たちがなりやすい。

 大きな影響力を持っているマスコミやジャーナリストのなかで、世のためや正義の実現のためではなく、自分のため、欲望達成のためだけに仕事をしている人たちは小悪魔になる。

 人間を駄目にし、堕落させていく方向に大きな影響力を発揮した有名作家、官僚のなかで、権力欲のために生き、慈悲の心がなかった人も悪魔になる素質を持っている。大勢の人に影響を与える宗教家の中でも、邪教の指導者は悪魔になって めったに成仏することはない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『霊的世界のほんとうの話。』の中で以下のように説かれました。

「悪霊には、普通の人間でも、心が悪かったり、悪い行いをしたりすれば、なることができます。犯罪行為をした場合だけではなく、犯罪行為をしない場合でも、悪い想念や暗い想念を持って生きれば悪霊になります。心が悪く腹黒いことを考えていたり、いつもいさかいが絶えなかったり、人を騙したり、怒ってばかりいたり、人を傷つけたり、悪いことを平気でしたり、このように、主として破壊的な想念や感情で生き、周りに迷惑をかけて苦しめた人たちが、死後、天国に還れずに、地獄という所で苦しみつつ暴れている。これが悪霊の正体なのです。悪魔になると、もう少し、影響力があったり、指導力があったり、悪知恵があったりします。(中略)悪魔の供給源は、やはり、指導的立場にある人たちです。例えば、間違った政治家や独裁者などは非常に悪魔になりやすいのです。ポル・ポトという、カンボジアの国民を二百万人も殺して骸骨にしてしまった人は、完全に悪魔でしょう。ヒトラーやスターリンもそうですが、政治家の立場で人殺しを中心に行った人は悪魔になっています。残忍な行為、残虐な行為が心の底から好きだったり、自分の権力を実現して人を恐怖で支配することが目的で、大勢の人を殺したりした人は、悪魔になりやすいのです。それから、政治系や軍事系ではなく、思想系であっても、多くの人を迷わせた人、人々を思想的に洗脳して狂わせた人は、悪魔になります。影響力の大きかった人たちのなかで、結果として大きな悪を遺した人たちは、悪魔になりやすいのです。また、悪魔にも力の大きさがあります。現代では、マスコミの人やジャーナリストのなかにも、大きな影響力を持っている人がいますが、彼らのなかで、世の中のためや正義の実現のためではなく、自分のため、欲望達成のためだけに仕事をしている人たちは、小悪魔になります。手下が五、六人程度しかいない小さな魔王でしょうが、そのようになる人が多いのです。思想家や書き手として思想を発表している人のなかにも、そういう人がいます。小説家などでも、悪い小説を書いて大勢の人を洗脳している人、人を迷わす小説をたくさん書く人で、そちらの方面の代表格になる人もいるでしょう。この世では地獄文学はそうとう流行っているので、有名な作家でも悪魔になる人はいます。人間を駄目にし、堕落させていく方向に大きな影響力を発揮した人は、やはり、悪魔になる素質を持っています。それから、官僚のなかで、権力欲のために生き、慈悲の心がなかった人も、悪魔になります。宗教家も大勢の人に影響を与えるので、邪教の指導者は、悪魔になったりして、めったに成仏することはありません。間違った教えを説くだけではなく、大勢の人を狂わせています。しかも、この世で狂わせるばかりでなく、あの世の地獄にまで引きずり込み、あの世でも信者と共に根城をつくっています。これも、悪魔、悪鬼そのものです。人の心を狂わせることは大変な罪なのです。」

 悪魔というのは、悪霊よりも悪質で、積極的に悪をなそう、この世に悪を広げようとしている地獄霊のことである。

 幸福の科学は、「仏」をいただいた真なる救世団体である。だからこそ、悪魔はなんとか邪魔をしようと立ちはだかってきて、幸福の科学は常にこの勢力と戦い続けているのです。

 大川隆法総裁は、著書『沈黙の仏陀』の中で以下のように説かれました。

「肉体生活に基づいて、心と肉体の調和が妨げられることによって、魔が立ち現れてくるような現象に見舞われることも真実ですが、いわゆる三次元世界を超えた霊界において、魔と言われる霊的存在がいることも事実なのです。この両方が、実際はほんとうにあるのです。主体性を持って生きている人間としての自分に原因があって、魔を引き込むという現象を、「己心の魔」といいます。己れの心のなかに住んでいる魔です。要するに、自分自身の心と肉体の不調和という、魔に同通する原因が己れ自身の心のなかにあることも真実ですが、それに呼応するかたちで、まるでカンテラに相照らすかのように、外部から、すなわち四次元の霊界(地獄界と言ってもよい)から、迷いを増幅させ、悟りを開こうとしている者を迷わせ、狂わせようとする現実の勢力があることも事実なのです。私はこれを発見しました。また、通常の人間であれば、心が迷ったり苦しんだりしたときに、不成仏の死者の霊、悪霊が取り憑いてきて、その人の身体をもっと悪くさせるとか、あるいは神社仏閣巡りをしていて、狐、狸等の動物霊に憑依されるというような現象はよくありますが、仏道修行をしている人、「悟りを開こう。宗教的指導者になろう」と心がけている者のところには、「悪魔」と言われる、それ相応のものが現われてくるという現象が現実にあります。」

 

悪魔と同通しないために

 悪魔や魔王の本質は、積極的に悪を肯定しているということ。

 幸福の科学では、この悪魔の心と正反対の考え方、つまり、「明るく積極的で建設的な心を持つこと」「愛の心、利他の心を持つこと」「人に対して親切にし、人を許す心を持つこと」を教えている。

 こうした心を持っていると、悪魔や魔王たちとは「波長同通の法則」が働かず、憑かれたりしなくなる。

 大川隆法総裁は、著書『エクソシスト入門 実録・悪魔との対話』の中で以下のように説かれました。

「この世においても、放置すると悪いことをし始める者がいるため、警察が一生懸命に警備をしていますが、あの世においても、天使や菩薩という、ある意味で警察官に当たる者たちの目が届かないところで、悪霊のさらに進化した悪魔や魔王、あるいは大魔王と言われるような者たちが、悪いことをしています。(中略)こうした、悪霊の強力化した存在である、悪魔や魔王の本質とは何かというと、それは、「積極的に悪を肯定している」ということです。彼らは、思想的に悪を肯定し、人を不幸にすることを喜びとしています。そのような気持ちを持っているのです。(中略)悪魔や魔王が地上の人間に取り憑いた場合、その人が口癖のように言い出すことがあります。自分の意識がしっかりしているうちは、すぐ、「死にたい、死にたい」と言い出します。一方、自分の意識があまりしっかりしていない場合には、「死ね、死ね」という声や、「殺してやる」という声が聞こえてくるようになります。だいたい、これは共通しています。(中略)  そして、ふと気がつくと、断崖絶壁の際に立っていたり、首を吊るロープを準備していたり、刃物で自分の体を傷つけていたりするようなことが起きます。今、十代ぐらいの若い人には、リストカットなどをする人が数多くいますが、小悪魔程度の者に憑かれている可能性はあります。(中略)ただ、常識的な頭で考えてみれば、「死ね、死ね」と言ったり、「殺してやる」と言ったりする者が、天上界の存在でないことぐらいは分かるはずです。(中略)一般的な不成仏霊の場合は、自分が救われることを願うのですが、「当分は地獄から出られない」ということが、はっきり分かってきた者になると、今度は、仲間を増やすほうに行き始めるのです。例えば、受験で言えば、自分が合格できないと分かったときに、「不合格者が多いほど、気持ちがすっきりする」というようなものです。「あの人も落ちたか。この人も落ちたか」ということになると、ある程度すっきりするような心が、誰にでもあります。幸福の科学では、これと正反対の考え方を説いています。「明るく積極的で建設的な心を持ちましょう。愛の心、利他の心を持ちましょう。人に対して親切にしましょう。人を許す心を持ちましょう」ということを教えていますが、実は、これらは全部、地獄霊や悪魔の心と正反対のものなのです。こうした心を持っていると、そういう地獄の者たちとは、水と油のように同調しなくなってきます。つまり、「波長同通の法則」が働かないようにするために、正反対のものを打ち出して教え、行動するように勧めているわけです。そういう教えに護られていると、彼ら地獄の者たちとは同通しなくなってくるのです。したがって、心して、「自分の考えが、暗い、ジメジメしたものになっていないかどうか」を考えなければいけません。」

 

悪魔の影響を断ち切る宗教の役割

 キリスト教や仏教でも、悪魔が救世主を惑わすエピソードには事欠かない。

 宗教では、「悪魔」は現実に存在するものであり、人間を不幸にするものと教えている。

 大きな事件を起こすところまではいかなくても、私たちの身近にも悪魔の影響ではないかと感じる出来事はある。たとえば、突然人格が変わって狂ったように暴れ出す人、子供を虐待していたが、突然我に返って自分の行いを悔いる親などは、単に「感情の起伏が激しい」というだけでは説明がつかない。

 このような悪魔との戦いは宗教にとって重要なテーマであり、目に見えない悪しき影響から人々を守ることが、宗教の役割のひとつであり、信頼の源でもあった。とはいえ、最近の宗教はこうした問題に対処できなくなっており、あろうことか、あの世の存在まで疑っている状況にある。

 悪魔の発生源は、人間の本性に原因のひとつがあると説く。各自に与えられた自由性は価値観の対立をも生む。だが、人間から自由を奪ってしまえば、幸福になるチャンスをも失う。

 そうであるならば、それぞれが「神様の願い」を知り、悪魔が嫌う心のあり方、生き方を実践することが大切となる。

 謙虚さや感謝、他者への祝福の心がある。また、盲点となりがちだが、体調管理や仕事能力の向上も、悪魔の影響を受けないために大切なポイントである。