「死」とは

 死というのは、魂が肉体という服を脱ぐことである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『生命(いのち)の法』の中で以下のように説かれました。

「「本来の自分は、魂、霊体であり、肉体は、霊体の上に着ている服のようなものである」と捉えるべきなのです。そのように捉えると、生まれたり死んだりすることは、服を着たり脱いだりすることに相当します。「死ぬ」ということは、魂が肉体という服を脱ぐだけのことなのです。 とえば、外に出て働いているときには背広を着ていても、家に帰ってきたら、背広を脱ぎ、くつろいだ、自宅用の服に着替えるでしょう。家に帰ってからも背広を着たままで生活するのでは大変なので、家では服を着替えて休みます。一晩、休んで、力が回復し、目が覚めたら、「ああ、きょうも、新しい一日が始まった。朝ごはんを食べたら出かけよう」と思い、背広に着替えて会社などへ出かけます。こういうことが、転生輪廻における「新しい人生」に当たります。自宅に当たるのが、「実在界」といわれる、あの世の世界です。魂にとっては、こちらがホームグラウンドです。そして、「家に帰る」ということは、「死んで、実在界、あの世の世界、本来の世界に還る」ということに当たります。新しく着替えた服は、あなたの今回の肉体ですし、脱いだ服は、前世、前々世の肉体の部分です。このように服は取り替えていくものなのです。もちろん、長年にわたって愛用していた自分の背広が傷んでくるのは悲しいことです。「こんなに傷んでしまったら、この背広は、もう着られない」「だいぶ汚れてしまったから、背広をクリーニングに出さなければいけない」「だいぶ古くなったから、そろそろ新しい背広を買わなければいけない」など、さまざまな悩みが出てきます。しかし、いくら、その服に執着していたとしても、いつかは必ず脱がなければならなくなります。服を脱ぐときには少し寒く感じるかもしれません。ただ、死を悲しみすぎないことです。「死は、新しい世界に還ることであり、自分の家に帰るようなものなのだ」と考えていただきたいのです。あの世の天使たちは、亡くなった人の魂を、「ご苦労さまでした。外でのお仕事は大変でしたね。さあ、家に帰ってきてください」というような思いで迎えています。また、その人の魂の兄弟たちも呼ばれて待っていて、「何十年も、お疲れさま。今回は大変だったね。どうぞ、服を脱いで、くつろいで、ゆっくり休んでください」というような思いで迎えてくれます。死とは、「年を取って弱った肉体を脱ぎ捨てる」ということなのです。そのように発想の転換をして生きていただきたいと思います。」

 

死の瞬間

 肉体には魂が宿っており、死後はその魂が肉体から離れ、あの世へと旅立っていく。しかし、通常自分が死んだことがなかなか分からず、周囲の状況を変に感じる。人間の後頭部には銀色の細い線で魂と肉体がつながっている「霊子線」があるが、これが切れたときがほんとうの意味での死である。肉体が機能を停止してから通常1日ぐらいはかかるものです。

 大川隆法総裁は、著書『霊的世界のほんとうの話。』の中で以下のように説かれました。

「私たちは、肉体の死によって滅んでしまうわけではありません。肉体には魂が宿っており、死後は、その魂が肉体から離れ、あの世へと旅立っていくわけです。ところが、通常、自分が死んだことが、なかなか分からないのです。もちろん、亡くなって、その日のうちに、さっと肉体から出ていく人もいますが、普通の人は、自分が死んだことが、すぐには分かりません。そこで、しばらくは、病気の延長のようなつもりで、肉体のなかにいるのです。そして、周りの人が、「ご臨終です」とか、いろいろなことを言っているのを、「まだ生きているのに、おかしなことを言うなあ」と思って聞いています。「心臓が止まりました」とか言われるので、自分の胸に手を当ててみると、まだ心臓は動いているのです。これは心臓の霊体がまだ動いているからなのですが、「あれ、おかしいな。心臓が動いているのに『止まった』と言っている。この医者は誤診をしている。『脳波も停止しました』なんて、大変なことを言っているけれども、現に脳が一生懸命に活動しているのに、何を言っているのだ」というように思うのです。このように、通常は、「自分はまだ生きている」と思っていて、死んだことの自覚がありません。しかも最初は肉体そのままの姿でいますから、周囲の状況を変に感じるのです。また、「おかしいな。体が動かないな」ということもあり、不思議な感覚なのです。その日は、お通夜や葬式の準備で、いろいろな人が集まってきたりするのですが、ある程度よく分かっている人だったら、「どうやら死んだかもしれないし、死んでいないかもしれないし」と、しばらくは、もうひとつよく分からない感じがします。一方、自覚がまったくない人は、「まだ生きている」と信じているわけですから、「みんながおかしくなった」と思うのです。そして、いよいよ、お通夜や葬式が始まり、自分の写真が額縁に入れて飾ってあったりするのを見て、「もう勘弁してくれよ。嫌だよ。まだ死にたくないよ」などと言っているのです。その間、魂は肉体を出たり入ったりしています。まだしばらくは家のなかにいて、ときどき、屋根近く、あるいは天井近くまでフワッと浮いていき、下を見て何だか怖くなって、また戻ってみたりとか、そういうことを繰り返しているのです。人間の後頭部には、銀色の細い線で魂と肉体がつながっているところがあります。幸福の科学では、それを「霊子線」と言っています。これが切れないかぎりは、魂が肉体に戻ってくることがありうるのです。しかし、これが切れたときは、もう二度と帰ってくることができません。そのように、ほんとうの意味での死は、肉体が機能を停止したときではなく、通常、それから一日ぐらいはかかるものなのです。」

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