守護霊

 「守護霊」と聞くと、「ご先祖様の霊」であるように考える人もいます。巷の霊能者には、「先祖が守護霊としてついている」とか「昔飼っていた犬があなたの守護霊だ」などと言う人がいますが、これは誤りです。

 守護霊は、その名のとおり、地上に生きている人間を護っている霊であり、地上の人間一人ひとりに付いています。 地上で肉体修行をしている人間が、霊的な感覚を忘れて誤った選択をしないように、悪霊の憑依を受けないように、人生修行がスムーズに進むように、地上の人間を護っている霊存在、それが守護霊です。それでは、守護霊をしているのは、いったい、どのような人たちなのでしょうか。こういう言い方をすると非常に不思議な感じがするかもしれませんが、守護霊というものは、実は、基本的に「自分自身」なのです。人間の魂というものは、肉体に宿っている一つの個性だけの存在ではなく、潜在意識を通じて、もっと大きな意識体とつながっています。「魂の兄弟」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。人間の魂は、ほんとうは複数で一つになっており、「複数の個性を持ちながら、それが同時に一つの個性をつくっている」という、複雑な形態になっているのです。たとえば、みなさんは、「右手をぐるぐる回しながら、同時に左手を握ったり開いたりする」というように、両手を別々に動かすことができるでしょう。それと同じように、霊の場合も、それぞれが別々に行動しながら、一つの個性をかたちづくることができるのです。「一つの個性でありながら、いろいろな霊界に触覚を伸ばして仕事をし、仏神の世界を感じ取っていくことができる」という複雑な形態を霊は持っているわけです。そして、「地上に生れる」ということは、あちこちの霊界に散らばって生活している魂の兄弟のうちの一人が、水槽の水のなかに潜っていくような感じに近いのです。その祭に、「霊界に残っている魂の兄弟の一人が、地上に出た人を守護する」という関係になります。  したがって、守護霊とは、基本的に自分自身であり、自分と同じ個性を持った潜在意識の一部なのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、守護霊について、「本人自身の魂の兄弟の一人が守護霊であり、本人を指導している」という霊的真実を明かしています。

「一般的な人間の魂は、リーダー格の「本体」と、そこから分かれた5体の「分身」という計6体の意識によって「魂の兄弟」というグループを構成しています。人間は霊界と地上の間で「転生輪廻」を繰り返して魂修行をしている存在ですが、実は地上に生まれている魂は、魂全体の一部だけ。霊界に残された部分の方がはるかに大きいのです。海上に見える部分はわずかで、海中部分が圧倒的に大きい氷山の姿をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれません。

 その霊界に残された「魂の兄弟」のうち、特に現代の修行環境に最も適した霊が、地上に生まれている魂の「守護霊」となることが多いのです。ですから、守護霊は自分自身の魂の一部だということができます。」(『神秘学要論』)

 人類が地上に住みはじめた当初は、心が澄んでいて、天上界の霊と直接交信することができた。地獄界もなく、悪霊は存在しなかったので心配なかった。ところが、1億2千万年ぐらい前に地獄界が出来はじめた。地獄霊たちから人類を守るために、光の指導霊たちが、原則として霊界と同通させないようにし、各人に守護霊をつけて守らせることとしました。

 また、地上に出る者の使命が大きく、どうしてもその実現が期待される場合には、その人の人生の最大関心事を専門とする指導霊をつけることとしました。

 大川隆法総裁は、著書『太陽の法』の中で以下のように説かれました。

「約三億数千万年前、エル・カンターレ系高級人類が地上に住みはじめたころには、地上で生活する人間には、守護霊はついておりませんでした。しかし、地上生活をする人たちは、心が澄んでおりましたので、実在界の霊と直接交信することができました。このころには、まだ、地獄界もなく、悪霊は存在しませんでした。したがって、特別に守護霊をつけてまもってやらなくても、なんの心配もなかったのです。ところが、いまから一億二千万年ぐらい前になると、天上界の最下段、四次元幽界のなかに、不調和な念をもった霊たちが、暗い地獄界をつくりはじめました。しかも、彼らは、仏の光のエネルギーが入ってこないために、地上界を混乱におとしいれ、人々に欲望と悪と不調和の想念エネルギーをつくり出させ、それを彼らの生命の糧としはじめたのです。こうしたことは、まったく予想されなかった事態の出現でした。地獄霊たちは、地上界の人間の心に忍び込み、不調和、争い、怒り、ねたみ、愚痴、こうした心を起こさせ、世の中を不信と混乱の渦中におとしいれようと画策しはじめたのです。このため、天上界では、光の指導霊たちが緊急会議をひらき、対策をたてることとなりました。そのとき、アモール、すなわち、現在のイエス・キリストの提案で、つぎの三つのことを決めたのです.

1  悪霊の完全支配をさけるため、今後、地上界の人間には、原則として、霊界と同通させないこととし、物質世界で、よりよき人生を選びとる方向で努力させる。 

2  地上に誕生するとき、各人に守護霊を一名つけ、地獄界からの誘惑から身をまもらせることとする。

3 実在界のことを完全に忘却されてはこまるので、今後、一定の周期ごとに、光の大指導霊を地上に派遣して、宗教を説かせ、あの世の実在世界について、人々に知らしめる。

 この三原則は、それ以後、一億年以上にわたり、まもられております。しかし、地獄界がかなり巨大なものとなったため、一名の守護霊の力だけでは、魂修行をしている人間をまもりきることが、とてもむずかしくなってきました。しかも、宗教家以外の一般の人々は霊界通信が禁止され、したがって、過去世の記憶を思い出すことが不可能になったため、かえって、この世の物質的欲望にのめり込んでゆくようになりました。さらに、光の指導霊が一定の期間おきに地上で宗教を起こしたことの副作用とでもいうべき宗教間の争い、宗派問の争いが起きはじめました。それに乗じて、地獄の悪魔や魔王が、宗教家の心のなかにも忍び込みはじめ、まちがった教えを説かせたため、地上にますます混乱をまき起こしていったのです。原則として、守護霊は、霊界での分光の時に分かれた魂のグループか、本体、分身方式でつくられた六人のグループのうちの一人がなっているのですが、地上に出る者の使命が大きく、どうしてもその実現が期待される場合には、その人の人生の最大関心事を専門とする指導霊をつけることとしました。」

 守護霊は、私たちの生き方を、毎日、見守っていて、一緒に喜んだり悲しんだりしている。

 ただ、今世の魂修行がある以上、あくまでも主体性は地上の人にある。例えば、自動車教習所で、教官が横に座っていても、教官が自らハンドルをとって運転するわけにはいかないのと同じことである。

 大川隆法総裁は、『霊的世界のほんとうの話。』で以下のように説かれました。

「あの世の話をして、「みなさん一人ひとりには、守護霊という存在がついていて、彼らがみなさんを見守っているのですよ」と話したら、信仰心のない人はすぐに言い返してきます。「守護霊がついているのに、どうして俺はこんなに不幸なんだ」「どうして事業に失敗するのだ」「どうしてお金が儲からないのだ」「どうして家族が病気で死んだのだ。おかしいではないか」と言います。「守護霊がいるなら、ちゃんと護ってくれるはずなのに、護ってくれないではないか。だから信じられない」と言う人がいるのです。これは、不幸な選択をしていく人です。どんどん悪いほうに悪いほうに考える人です。私はずっと見てきましたが、守護霊は、ほんとうに、みなさんの生き方を、毎日毎日、見守っていて、一緒に喜んだり悲しんだりしているのです。ただ、原則というものがあって、この世に肉体を持って生活している魂には、その人の今世の魂修行がありますから、あくまでも主体性は地上の人にあるのです。これを完全にピノキオなどの操り人形のように操れるとしたら、この世の人間の魂修行は意味がなくなります。ゼロになります。そのため、それは、してはいけないことになっているのです。これがつらいところです。ほんとうに、バックシート・ドライバーのように後ろに乗っていて、「あっちに行きなさい。こっちに行きなさい」と指図はしているのだけれども、自分がハンドルを握って運転してはいけないのです。それは、例えば自動車教習所では、教官が横に座っていて、危ないときにはブレーキを踏んだりするけれども、教官が自らハンドルをとって運転するわけにはいかないのと同じです。それでは指導にならないわけです。そういうところがあります。これは、この世とあの世では修行場所が違っている以上、やむをえない原則なのです。したがって、これは受け入れざるをえません。ただ、みなさんには、「危機のときには、それを知らせて、いい方向に善導しよう」といつも思っている人(守護霊)がいることは、信じていただきたいと思います。」

 守護霊は全知全能ではなく、その認識レベルは、必ずしも本人の認識レベルを超えていない。彼らは、自分自身の勉強として守護霊をしている。それぞれの守護霊は、本人の利益を護ろうとして、一生懸命に主張し、本人と二人三脚風にやっている。

 守護霊が地獄にいる人の人生修行

 生まれ変わり(転生輪廻)は本当にあって、男女が逆転した生まれ変わりさえある。人間の魂は、霊体としていくつかに分かれた「魂の兄弟」を持った構造となっていて、天上界に残った「魂の兄弟」の一つが、この世に生まれた人間の守護霊を務めている。

 守護霊といっても、地上に生まれた本人の意識レベルと大きな違いはないが、霊界の存在である以上、少なくとも一段高い認識力をもって守護してくれている。であるから、「波長同通の法則」に従って、日頃から、守護霊からのメッセージを受けられるような心の波長で生きるようにするのが、人生の幸福のための第一歩である。

 大川隆法総裁は、『幸福への方法』で以下のように説かれました。

「この世に男性として生まれる人もいれば、女性として生まれる人もいます。ただ、霊的に見れば、男性として、あるいは女性として、ずっと同じ性で地上に生まれているケースも数多くある一方、男性に生まれたり女性に生まれたりして、交互に生まれている人もいます。  そのため、現在は地上で男性として生きているとしても、過去世においては女性だった場合もあるわけです。同様に、女性の過去世が男性である場合もあります。  しかも、自分の過去世というのは、過去の記憶だけなのではなく、霊界において実在している霊存在なのです。  人間はエネルギー体であって、肉体に入っている魂だけが自分なのではありません。ヒトデの腕が何本かあるように、霊体としていくつかに分かれていて、〝頭や手足″を持っている存在なのです。  それを、「魂の兄弟」といいます。  そのうちの一つが、実際に肉体に入って、この世での生活をしています。そして、残った手足の部分、あるいは頭脳の部分があの世に存在しており、守護霊として、この世の人の人生行路に対して、数多くのメッセージを送りつづけているのです。  あの世に生きている人は、この世に生きている人より、やや高いところに昇っているようなものですから、この世の人よりもよく見えます。そこで、この世の人がつまずく前に、信号として、いろいろなメッセージを送ってきているのです。  もちろん、守護霊といっても、本人の意識レベルとそう大きくは変わりませんから、本人自身のもともとの悟りが高くなければ、霊界からもそれほど高度なメッセージが来ているわけではありません。ただ、地上に生きている本人よりは、少なくとも一段高い認識力を持っていることは確かです。  したがって、日ごろ自分を守護している、自分自身の魂の兄弟からのメッセージを受けられるような生き方をすることが、まず大事です。これが人生の幸福のための第一歩である、と考えてよいと思います。  では、どのようにすれば、自分の魂の兄弟からメッセージを受けられるよぅな生き方、守護してもらえるような生き方ができるのかというと、これには簡単な法則があります。  それは波長同通の法則というものです。地上の人の心の波長が、霊界にいる魂の兄弟と同適すればいいのです。」

 

過去世と守護霊の密接な関係

 人間の魂は通常、本体1、分身5の6人1組のグループをつくり、順番に地上に生まれ変わっている。このグループは「魂の兄弟」として互いの人生経験を共有し合っており、魂の兄弟が過去に生きた時の人生経験を「過去世」という。

 通常、地上に生きている人には必ず1人、「守護霊」がつき、地上での人生修行を霊的にサポートする。この守護霊を務めているのが魂の兄弟の中の1人。つまり、守護霊は自分の過去世の一つと考えてよい。変化の激しい現代は、直近で地上に生きた魂の兄弟が守護霊を務めるケースが増えている。

 

守護霊の応援

 守護霊といっても、本人と同じような傾向を持った、何歳か年上の兄や姉のような存在であることが多く、守護霊自身も、地上に生きている私たちの守護の仕事をすることで、あの世で魂修行をしている。

 大川隆法総裁は、『青春の原点』で以下のように説かれました。

「みなさんは、「守護霊という存在は、さぞかし賢くて、何事においても百発百中なのだろう」と思うかもしれません。しかし、守護霊といっても、ほとんどは本人相応のレベルであり、「守護霊は、神のように全部お見通しで、本人だけが悩乱している」ということはありません。守護霊は、この世的に言えば、本人とほとんど同じような傾向を持った、何歳か年上の兄や姉のような存在であることが多いのです。霊的には、もちろん、「悪霊に憑かれて、恋愛で悩む」ということはありますが、悪霊ではなく、守護霊が付いていても、たとえば、「一人の男性を二人の女性が真剣に奪い合っている」という状況になると、両方の守護霊が共に大騒ぎをしながら応援していることがあるわけです。残念ながら、神ならぬ守護霊のレベルでは、そういうことがあり、守護霊は、少しでも本人によかれと思う方向に引っ張っていこうと努力しています。守護霊も全知全能ではなく、「たぶん、このほうが、本人も評価が高くなり、幸福になり、うれしいだろう」と思う方向に引っ張っていこうとするのです。ただ、ライバルにも守護霊がいるので、守護霊同士で互いに火花を散らしています。これだけを開けば、おかしく思うかもしれませんが、実際に、仕事の面でも、そういうことはたくさん起きています。仕事の面でライバル関係になっている場合、双方の守護霊が本人を応援して、けっこう火花を散らしていることがあるのです。その意味で、守護霊には、この世の人を応援しながら、自分たちの腕を競っているような面があります。そのため、この世的に結論が出るか、さらに上位の存在から調整が入るか、このどちらかでなければ、争いが泥沼化することもよくあります。この世もあの世も、それほどスパッと悟りきった世界ではないのです。自己実現に関しては、この世の人間も、あの世の霊人も、簡単には譲らないところがあります。「一歩でも二歩でも上を目指したい」という気持ちは誰にでもありますし、それを「欲」と呼ぶならば、あの世の霊人であっても、人間的属性が残っているかぎり、欲はなくなりません。そういう意味で、永遠の修行が続いている面はあるのです。」

 大川隆法総裁は、著書『青春の原点』』の中で以下のように説かれました。

「私は数多くの守護霊を見てきましたが、守護霊は全知全能ではありません。守護霊は、やはり、仏や神とは違い、あくまでも本人と非常に近い関係にあります。そのため、守護霊は、本人の利益を護ろうとして、一生懸命に主張をするのです。たとえば、会社でAさんとBさんが出世競争をしているとしましょう。そして、両方とも、課長になる資格があり、どちらを課長にするかで会社が人事評定をしているとします。この場合、双方の守護霊は、「私の守護している者こそが課長にふさわしい」と主張して、一生懸命に頑張ります。両方の守護霊が、人事部長の肩をつついて、「うちのほうにしなさい」と言ったりしています。そのように、守護霊も、この世の人と同じように努力しているので、守護霊たちは必ずしも一枚岩ではありません。結婚の場合でも、それは同様です。結婚においては、ある程度、運命としての予定はありますが、ときどき、ビッグチャンスの訪れることがあります。普通なら、なかなか結婚できないような素晴らしい人と、結婚できるチャンスが来て、「もしかして、この人と結婚できるのではないか」と思うと、本人と一緒になって守護霊が大いに頑張ることがあるのです。そういうところを見ると、「守護霊の認識レベルは必ずしも本人の認識レベルを超えてはいない」ということがよく分かります。守護霊は、本人の利益になると思うことを必ずしようとし、本人の不利益になることは避けようとします。そういう意味で、守護霊は、「本人の意識から悪霊の影響を取り去ったら、こうなるだろう」と思われるような考え方をしています。彼らは自分自身の勉強として守護霊をしているのです。したがって、必ずしも決定論ですべてが決まっているわけではないし、あの世でも、やはり、努力をして、お互いに影響を与え合ったり、交渉をしたりしているわけです。たとえば、商売で、取引の相手と値段の交渉をし、勝ったり負けたりすることがあるでしょう。そのときに念力で相手に勝つことがあります。それは、ある程度は本人自身の念の力によるのですが、守護霊が強く押し込んでいる場合もあるのです。「相手の守護霊は弱いから、これは、いける」と見たら、「もう一押しだ。押し切ってしまえ。値切ってしまえ」と、守護霊が一生懸命に押し込んでいることもあるわけです。  そのような感じで、守護霊は本人と二人三脚風にやっているのです。」

 

守護・指導霊の指導

 大川隆法総裁は、『幸福の革命』で以下のように説かれました。

「もちろん、悩みの解決にあたっては、祈りによって、守護霊や指導霊など、他力の力を借りることもよいでしょう。  ただ、一度祈れば、守護・指導霊にはだいたい聞こえているので、応えがなかった場合には、「だめだ」と言われていることになります。  世の中には、祈ってもだめなことがたくさんあります。  たとえば、高嶺の花のような人に思いを寄せ、「あの人と結婚したい」といくら祈っても、だめなものはだめです。守護霊ががんばっても、無理なものは無理です。  そして、祈っても実現しないのならば、そのなかにこそ、自分に合った幸福があるのです。  大多数の悩みは、知識や経験の不足によって生じているのですから、自分にできる範囲内で情報を集めて分析し、他人の経験もできるだけ借りてみることです。祈ってばかりいないで、自分にできる範囲内で努力すべきなのです。」

 

守護・指導霊の導きを得るには

 守護霊にもあの世での生活があり、ふだんはある程度、地上の人間の裁量に任せている。であるから、守護・指導霊による護りが必要な場合には、その内容を明確にお願いすればよい。幸福の科学の会員であれば、「守護・指導霊への祈り」を使うとよい。

 ただし、守護・指導霊に祈るときには、少なくとも威儀を正して自分を見つめようという気持ちがなければならない。

 大川隆法総裁は、著書『霊的世界のほんとうの話。』』の中で以下のように説かれました。

「地上の人間は傲慢になりやすく、「私に守護霊がいるのならば、私が危機にあるときには、すぐ助けに来てくれるはずだ」「指導霊は愛と慈悲のかたまりなのだから、悪霊を追い払いに来てくれるはずだ」などと考えがちです。しかし、過去、三十年近くの間、私がいろいろと体験したところによると、守護霊や指導霊は、普段はあの世で仕事をしていて、この世には要所要所を締めに来ているのです。彼らにはあの世での生活があることを、みなさんは知っていなければいけません。例えば、みなさんが日々の仕事で計算機のキーを押しているときに、守護霊がみなさんと一緒に押しているということはありません。また、指導霊が一日中みなさんを見ているわけでもありません。  守護・指導霊は、公園で子供が走っているのを見ている親のように、みなさんを大まかな範囲で見てはいますが、細かなことについて、「右だ」「左だ」というように、いちいち指示を出しているわけではなく、ある程度、地上の人間の裁量に任せているのです。

 したがって、みなさんが「今の自分には守護霊や指導霊による護りが必要だ」と思う場合には、その内容を明確にお願いすればよいと思います。  例えば、公園の砂場で遊んでいる子供が、「パパ」「ママ」と呼べば、親はすぐに寄ってきます。それと同じで、守護霊や指導霊は、自分が必要とされていると思えばサッと寄ってくるのです。「今、悪霊から護ってほしいのです」「反省をするにあたって、霊域の浄化をしたいのです」「私はこれから祈願をしますが、間違った祈願になったり、悪霊が入って欲望をそそったりすることがないようにしたいのです」 こうした場合には、守護・指導霊に、きちんとお願いしてください。幸福の科学の会員であれば、「守護・指導霊への祈り」を使うとよいでしょう。心で念じたことは、あの世の世界にほとんど一瞬で通じます。この祈りは、ほんの三十秒か一分ほどで終わる祈りですが、祈っていると、自分の守護霊や指導霊が近くに来てくれます。反省や祈りをするときの作法として、まず、「守護・指導霊への祈り」を読誦するとよいでしょう。この祈りは毎日読誦してもかまいません。そうすれば、守護霊や指導霊との一体感がさらに強化されていきます。ただし、守護霊や指導霊に祈るときには、少なくとも、「威儀を正して自分を見つめよう」という気持ちがなければいけません。」

 そして、祈っても実現しないのならば、そのなかにこそ自分に合った幸福がある。祈ってばかりいないで、まずは自分にできる範囲内で努力するのが本道です。

 大川隆法総裁は、著書『幸福の革命』の中で以下のように説かれました。

「もちろん、悩みの解決にあたっては、祈りによって、守護霊や指導霊など、他力の力を借りることもよいでしょう。ただ、一度祈れば、守護・指導霊にはだいたい聞こえているので、応えがなかった場合には、「だめだ」と言われていることになります。世の中には、祈ってもだめなことがたくさんあります。たとえば、高嶺の花のような人に思いを寄せ、「あの人と結婚したい」といくら祈っても、だめなものはだめです。守護霊ががんばっても、無理なものは無理です。そして、祈っても実現しないのならば、そのなかにこそ、自分に合った幸福があるのです。大多数の悩みは、知識や経験の不足によって生じているのですから、自分にできる範囲内で情報を集めて分析し、他人の経験もできるだけ借りてみることです。祈ってばかりいないで、自分にできる範囲内で努力すべきなのです。」

 

「守護霊霊言」と本人の言動は一致するか

 心理学では「表面意識」と「潜在意識」があると言われています。この表面意識と潜在意識の関係は、地上に生きる人間と守護霊の関係と似ています。

 心理学的に言えば、守護霊とは「自らの心の奥に眠る、普段は自覚していない潜在意識」と説明できます。ですから、地上の本人が自覚的に行う言動と一致しないこともあり得ます。

 現在、大川隆法総裁が世に問うている「守護霊霊言」は、総裁の比類なき霊能力によって、本人の「潜在意識」、つまり本音にアクセスしたものです。守護霊の発言と本人の言動の一致度には、かなり個人差があります。

 アメリカのオバマ大統領や、中国の習近平・国家主席は、就任前に収録された守護霊霊言と、就任後の言動がほぼ一致しているケースです。一方、読売新聞・渡邉恒雄会長や、元朝日新聞記者・本多勝一氏は、収録段階では守護霊霊言と本人の発言に大きな乖離が見られました。

 こうした差が生まれる理由を、渡邉会長の守護霊自らが次のように説明しています。

「本人は、共産思想に染まって、戦後、いろんなものを読んだり聞いたりしてて、多少、そのへんに迎合してる部分もあるんだろうと思います」(『ナベツネ先生 天界からの大放言』)

 ただでさえ、潜在意識を自覚することは難しいもの。それに加え、地上の本人の意識がこの世で経験したり学習したりしたことによって、守護霊の意識とずれてくることもあるわけです。

 しかし、魂全体の傾向性は、何らかの形で地上にいる本人の言動に現れてきます。後者の2人も、最近、守護霊霊言と似通った言動を見せ始めているというので、興味深いことです。

「仏法真理」へ戻る