この世とあの世を貫く幸福

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『幸福への方法』の中で以下のように説かれました。

「世の中のいわゆる幸福論が、この世の話ばかりをするのに対して、幸福の科学の幸福論は、この世的に幸福であるだけではなく、あの世的視点から見ても幸福である生き方を説いているのです。それを、「この世とあの世を貫く幸福」と呼んでいます。つまり、みなさんに対して、この世で幸福感に満ちた生き方をしていただくことを願うだけではなく、死んであの世に還ってからも、幸福な生活が続くような生き方を提唱して、それを実践していただきたいと願っているのです。もちろん、これ以外の考え方もあります。この世に対して、まったく否定的な見解をとるならば、「この世でいかに悲惨な生き方をしても、あの世において幸福であればそれでいい」という考え方もあると思います。しかし、私は、そうした生き方がいちばんよいとは、必ずしも思っていません。わずか数十年ではありますが、この地上生活のなかにも、私は一定の意味合いを認めています。人間は、まったく無意味なことをくり返すだけではありません。「この世に生まれてくるには、生まれてくるだけの理由がある。この世の数十年の人生のなかにも、それなりの役割や目的がある。人間は、何かを学ぶためにこの世に生まれてきて、そこで学んだものを持って、実在の世界、本来の世界に還る存在なのである」 これが根本的な考え方なのです。したがって、私はこの世を完全に否定しているわけではありません。修行場、教育の場、魂を磨く場として、この世は非常に大切な場であるということを認めています。 この世において、魂が数多くの糧を得て、喜びを感ずることは、非常に幸福な生き方である。そして、その生き方が、あの世での幸福にもつながる」と言っているのです。みなさんは、数十年の人生というと、長いように感じるでしょうが、日数に直してみると、平均して二万数千日です。十万日も二十万日も生きるように思うかもしれませんが、実は二万数千日にすぎないのです。そして、砂時計の砂のように、毎日毎日が一日ずつ落ちていき、二万日から三万日たったときに、この世を去ることになるわけです。短いといえば、非常に短い人生です。 の二万数千日のあいだに、この世において、どれだけのことを経験し、どれだけのことをつかみえるか。これが非常に大事です。その貴重な経験を得るために、人間は人生を送っているわけです。そのために、この世に赤ん坊として生まれ、学校で学び、大人になると、職業に就き、結婚をして家庭を営みます。そして、病になったりしながら歳をとっていき、やがてこの世を去っていくのです。わずか二万数千日。この間を、どれだけ理想的なものにしていき、あの世に還ったときに、魂の向上になっているような生き方をするか。これが非常に大事なことなのです。」

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