資本主義社会

 資本主義、自由主義社会においては、投機や投資における失敗は付き物である。

 多くの会社が新しく起きてくる半面、潰れる会社が出てくるのは当然のことであり、その競争の結果、よりよきサービス、よりよき製品を生み出したものは生き延びる。

 顧客の側は、そのほうが幸福である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『『政治の理想について 幸福実現党宣言②』で次のように説かれました。

「2008年の秋以降、世界の情勢と経済環境、マスコミを中心とした世論、日本の国内の動きをじっと見ていて、感じるものが私にはあります。それは何かというと、「人々の嫉妬心というものが非常に強くなってきている」ということです。要するに、好調だった企業やIT産業、株などで大儲けをしていた“金融長者”たちの没落、世界的に有名な大企業の倒産や大赤字、大リストラなどを見て、バラ色の未来という夢が壊れ、「大変だ」という声がある一方で、世の人々の、「胸のつかえが下りて、すっきりした」というような気持ちも、私には非常に強く伝わってくるのです。そして、なぜか、時代が百年以上も前に戻っていこうとするような強い力を感じます。ソ連邦崩壊によって、いったん一気に弱った左翼勢力、共産主義勢力、社会主義勢力が、今回の世界的な不況を受けて、実は拍手喝采をしているようにも見えるのです。そういう勢力が、「二十年弱ぶりに復活のチャンスが来た。千載一遇のチャンスだ」と見て、今、巻き返しに入ってきているのを私は感じています。しかし、その巻き返しを、本当の力として復活させてはならないと思うのです。資本主義、自由主義においては、投機あるいは投資における失敗は付き物です。そして、数多くの会社が新しく起きてくる半面、潰れる会社が出てくるのは、当然のことであり、ある程度、織り込み済みなのです。絶対に潰れない会社ばかりであれば、新しい会社が出てくることは不可能です。また、国営の大企業しかなければ、新規の会社は起こしようがありません。全部潰され、排除されます。会社が潰れていくことには悲しい面もあります。しかし、それは同時に、新しい会社が起こせるチャンスが生まれてきて、その競争の結果、よりよきサービス、よりよき製品を生み出したものが生き延びることになるのです。そのなかで勝者・敗者は出てきますし、敗者だけを見れば、源平の戦いのように、非常に悲しい物語には聞こえます。しかし、一般の顧客、需要者の側から見れば、同業者が競争し、よりよい品質で、よりよいサービスを、より安く提供するところが生き延びてくれたほうが、実は、多くの人々の幸福になるのです。競争している者同士は、熾烈な戦いのなかで、相手が血も涙もないように見えなくもないのですが、それは、あくまでも内輪の話です。一社独占型や国家経営型の会社ばかりであれば、何らの選択の自由も働かないことになって、顧客へのサービスが完全に棚上げにされてしまうのです。その意味で、自由主義経済においては、景気の変動を逃れることはできないものですし、倒産の自由は、企業設立の自由、発展の自由をも含んでいるのです。したがって、ある一点、ある一期間を捉えて善悪を論断するのは、やはり早計にすぎると思います。」

 

資本主義の未来

 神様の祝福をうけるような経済的成功を目指しなさい。

 この世に生をうけたことの真の意味を悟ることなくして、経済人としての本物の成功はない。

大川隆法総裁は、『「資本主義の未来」 来たるべき時代の「新しい経済学』で次のように説かれました。

「資本主義が成功するためには、倫理的経済活動で蓄積するお金のありがたみを知っている人が、「道を説く」ことが大事だろう。節約・資本の蓄積・有効な投資・利潤・規模拡大のサイクルの形成・多角化とイノベーション・マネジメントの確立と成長・・・等々が望まれる。ただこの際、大切なことは、単に「もうかる」ことではない。起業家が富の形成に成功することが、同時に、社会的な「公共善」の形成に役立たねばならないということだ。易しい言葉で言い換えるとすると、「神様の祝福をうけるような経済的成功を目指しなさい。」ということだ。この世に生をうけたことの真の意味を悟ることなくして、経済人としての本物の成功はないということだ。」

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