天地創造物語の矛盾

 『旧約聖書』の創世記には二つの天地創造の物語がありますが、その間に矛盾が存在しています。

 聖書は、創世記第1章で「初めに、神は天地を創造された」という天地創造物語で始まりますが、実は、この創造物語が終わったあと、第2章において、「ヤーウェ神が地と天を造られたとき」という始まりで、2つ目の、しかも内容の異なる創造物語がまた語られます。

第一の創造物語

 第三日に草木、 第五日に魚や鳥、第六日にまず 動物、そして最後に人間が造られるという順序になっています。

第二の創造物語

 ここでは人(アダム)が造られた後に草木や動物が造られ、最後に女(エヴァ)が造られるという順序になっています。

 ヤーウェ神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。ヤーウェ神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出 て、土の面をすべて潤した。ヤーウェ神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。ヤーウェ神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれ た。ヤーウェ神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え出でさせ、 また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせられた。ヤーウェ神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。ヤーウェ神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」ヤーウェ神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形造り、人のところへもって来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて生き物 の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。ヤーウェ神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、肋骨の一部を 抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取った肋骨で女を造り上げられた。

 つまり、第一の創造物語では植物と動物が造られた後、人間(男女)が造られます。しかし第二の創造物語では、男(アダム)が造られた後、植物と動物が造られ、そして最後に女(エバ)が造られるのです。

 現代聖書学の研究によると、いくつかの重要なことがわかっています。たとえば、この二つの創造物語の間には、内容の不一致だけでなく、語彙使用の相違、文体の相違なども同時にあらわれていて、もともと別々の著者によって書かれたものであると考えられる強い根拠となっているのです。創世記は重複の多い書ですが、創造物語はその代表の一つです 。重複の理由はそれがもともと別々の著者によって書かれていたものが、後の世に一つの物語にまとめられた、という歴史があるからです。

 第一の物語は祭司資料に属するものであり、西暦前六世紀のユダ王国滅亡前後、祭司階級の著者よって制作されたものである、と推定されています。第二の物語はヤーウェスト資料(J資料)に属するものであり、西暦前十世紀以降、ダビデ・ソロモン王朝(南朝ユダ王国)に関係を持つ者によって制作されたものである、と推定されています。したがって、上述の創造順序の食い違いやその他の例における多くの矛盾は、それが時代をかなり隔てて別々に成立した資料であることから生じているといえるでしょう。

 旧約聖書における神様の矛盾した行動は、「エンリル」と「エンキ」という2柱の神様の対立した言動を、「唯一神ヤハウェ」にまとめたことから生じたものであるということが理解できます。

 創世記の2章4節から、天地創造の出来事について新しい記事が始まります。2章4節から17節には、もう一度、人間が創られたことが記されていますが、1章とは多くの点で違いがあります。1章では、宇宙的な視点で書かれていて非常に厳かな感じがしますが、2章からは場所もエデンの園を中心とした地球の一つの地域に限定されていて、ずっと身近な出来事に思えます。このように天地創造の同じ出来事、特に人間が創られる記事が1章と2章で繰り返されていますが、一番重要な相違点は、神を意味する言葉が違っていることです。1章では、エロヒームという言葉が使われていました。これは、世界全体を支配する神、この世界を創られた神という意味で使われていて、権威と力に満ちた全能の神を表す言葉です。ところが2章4節からは、ヘブル語では「ヤーウェー・エロヒーム」という言葉に変わります。新改訳では「神である主」と訳されています。ここから4章の終わりまで、天地創造の出来事が書かれていますが、一部の例外を除いて常に「ヤーウェー・エロヒーム」が使われています。この「ヤーウェー」という言葉は、ずっと後になって、神様がユダヤ人指導者モーセに知らせた名前で、「私はある」という意味を持っています。そして、この名前は、エロヒームとは違って、イスラエルの民と約束を結んで、常に特別な関係を持っていることを示す名前です。創世記の2章から4章には、特に、神様と神に創られた人間との関係に焦点が当てられています。この2つの名前はキリスト教の神の大きな特徴を表しています。「エロヒーム」は、この天地万物を創られた神様の偉大さと権威を示しています。私たちが信じている神様は小さな神様ではありません。人間の手によって運ばれなければならないような偶像の神ではありません。時間的にも空間的にも無限の神なので形がありません。だから神は見えないのです。もし目に見える神がいるとすれば、その神は決して無限の力を持つ神ではありません。

旧約聖書の ヤーウェ

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