旧約聖書の ヤーウエ

 旧約聖書の中で天地創造を記す「創世記」は、前編と後編に分かれており、前編では神を エローヒム と呼んでいるのに対し、後編では突然「ヤハウェ神」を名乗る者が登場します。

 旧約聖書創世記第二章の中で、「男(アダム)の”あばら骨”から女(イブ)を創った」と主張している「神」は エローヒムではない。それが ヤハウェなのです。

創世記第一章は エローヒムの書

 旧約聖書には ヤハウェという神が出てきますが、ユダヤ教徒でそれを「ヤーウェ」と発音する人はいません。「みだりに名前を口にしてはいけない」という戒律があって、通常は別の名前を代名詞として使っています。その代理の表現を「アドナイ」と発音します。その「アドナイ」が、ギリシャ語に訳されたときに、(「代理表現」なので厳かに見えたのか)、「主」という意味のギリシャ語に訳されてしまいました。したがって、英語に訳された時は”Lord”となり、日本語の聖書では「主」となっているのです。「聖書に登場する「主」の語源が、すべて「ヤーウェ」である」とは言いませんが、少なからず「ヤーウェ」を語源としています。もちろん、根本にある原因は、「至高神エローヒムとその他の神霊の区別がつかなかった モーセの悟りの未熟さ」(『黄金の法』第5章)にあるのですが、それが聖書ではそのような翻訳のスタイルとなって現われてしまったのです。
 「出エジプト記」第5章ですが、モーセが山でエローヒムに会った後、モーセと兄のアロンはパロ(エジプトの王)に会いに行って次のように言います。

 「ヤーウェはこう言っています。”私の民(イスラエルの民)を自由にして、元に戻しなさい”」
 するとパロはこう答えます。「ヤーウェとは誰だ?聞いたことがない」と。つまり、超大国エジプトの王から見ると、「辺境のパレスチナの地の山の神の名など知らない」というわけです。

 このように、「主」を「ヤーウェ」(辺境の地の山の神)に置き換えると、文章の意味が一変してきます。

 第5章以下第12章まで、パロにヤハウェの言うことを聞かせるために、ヤハウェの名の下に行われたことは、「ナイル川の水を血の色に変えたり」、「蛙(カエル)を大量発生させて、地を覆ったり」、「地上の塵(ちり)を大量のブヨに変えて、人間を襲わせたり」、「アブの大群を家々の中に侵入させたり」、「人々の皮膚に、膿(うみ)の出る腫れ物をつくったり」、「農作物の上に雹(ひょう)を降らせたり」、「イナゴの大群に全土を襲わせたり」、「エジプト人の全ての初子(ういご)の命を奪ったり」ということです。

 「これを誰が命じ、実行させたのか」というのは、実際、日本語或いは英語の聖書だけ読むと、全て「主」が命じたことになっているので、それで混乱してしまうわけです。しかし、ヘブライ語の原典までさかのぼって紐解いてみると、「アドナイ」と書いてあって、これはヤハウェの「代名詞」のことなのです。

 「あなた方は、私以外の神を信じてはならない」「あなた方は、偶像を造ってはならない」「あなた方の神であるわたしは、妬む神である」「だから、わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代先まで呪ってやろう(「出エジプト記第20章)という言葉は、ヘブライ語の原典までさかのぼれば、「主」とは言っていますが、すべて ヤハウェの言葉であることがわかります。

 「創世記」第12章にて、元々アブラハムの一族は、メソポタミア(今のイラク方面)の一地方に住んでいたのですが、ヤハウェは、アブラハムに向って、「あなたの生まれ故郷を出て、わたしが指し示す土地へ行きなさい」と命じ、カナン(今のイスラエル)の地に向かわせます。そして、アブラハムが一族と共にカナンの地に入ったとき、再びヤハウェが現れて、「あなたの子孫に、わたしはこの土地を与える」と言いました。これが今の「中東紛争」の起源です。

 第二次世界大戦後、英米の後ろ盾を得て、世界中のユダヤ人が移植してきて、イスラエルの地に建国したとき、この「創世記」第12章のヤハウェの言葉が根拠とされました。「四千年近く前の言葉が根拠にされる」というのもすごい話ですが、イスラエルという国はこれを根拠にして建国されました。その土地には、ユダヤ人もいましたが、アラブ人(パレスチナ人)が沢山住んでいました。したがって、追い出された人もいるわけですが、「神のくださった約束だから」ということで、それが「正当化」されているのです。しかし、その神も「主」とは表現されていますが、ヘブライ語の原典までさかのぼれば「ヤハウェ」です。「エローヒム」ではありません。

 「我以外に神なし」「我は憎むものであり、妬むものである」ヤハウェは妬む神であって、「自分以外の神を崇拝することは許さない」と言っています。

 旧約聖書を見れば、何かといえば激怒して人類皆殺し作戦を発動する神様です。これを「邪悪な宇宙人による、地球支配の歴史」とする見方は、そういうところから来ている。

 ヤハウェという神が初めて現れるのは、紀元前13世紀のエジプトの文献であり、紀元前11~12世紀の文献では、イスラエルと契約を結んだ神として登場しています。時代が下るにつれ、ヤハウェ信仰は次第に非寛容性を帯びてきて、他の神々を排し、いつの間にかユダヤ教の至高神となっていました。エローヒムが広い意味において宇宙・世界の創造に関り、人間に生きる糧を与えた愛の神であるのに対し、ヤハウェは排他性や非寛容性が目立ちます。

 現在の中東の紛争・混乱の根源は、このヤハウェまで辿ることができます。「ヤハウェがイスラエルと契約した人類の至高神である」という考えが、ユダヤ教の選民思想を生み出しており、他の民族(現代ではイスラム教徒)の扱いを顧みない傾向があります。もっとも、この裁きの神の教えはキリスト教やイスラム教にも一部入っており、それが混乱と紛争を増長させています。

 エローヒムは、特定の名前を持った「固有名詞」でもあったのです。旧約聖書は、「エローヒム」という名前を持った神(至高神)の物語であった。ヤハウェを”主”と「誤訳」したために様々な混乱が生じたが、語源までさかのぼって、ヤーウェ起源の「主」を特定すると、世界宗教、普遍的宗教にふさわしくない「神の言動」を選りわけることができ、キリスト教、イスラム教との共通性、一貫性を見出すことができるようになるので、「宗教紛争」を乗り越えることができるのです。

 イスラム教のアラーも、エローヒムのことです。このことは、旧約と新約の神を(アラーとして)認めているイスラム教の穏健派(正統派)にとっては、別に不思議なことでも何でもない。「イエスは救世主でなく、預言者であった」と、彼らは言っているだけで、「イエスに臨んだ神とムハンマドに臨んだ神が同じである」(アラーでありエローヒムである)ことに別に彼らは異存はないのです。

一神教と多神教

ユダヤの神の正体とは

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