iPS細胞の創薬や再生医療への応用
加齢黄斑変性の治療
iPS細胞を用いた再生医療研究の中で最もヒトへの応用が近いとされるものが、加齢黄斑変性に対する再生医療である。日本において高齢化や生活の欧米化等より近年著しく、その患者数を増やしている。この病には、血管の新生を抑える薬を眼に注射する方法や、レーザーを照射し新生血管を閉じる治療などが行われているが、萎縮型の加齢黄斑変性に対する有効な治療法はがなかった。また、レーザーを照射するといった既存の治療の場合、新生血管と接触する網膜の視細胞をも破壊してしまい、光が感知出来なくなる点や、絶対暗点を生じさせるといった問題点もある。このような問題に対し、以前に他人から提供された眼や胎児細胞を使った網膜色素上皮細胞の再建が海外で試されることもあった。しかしながら、この方法では強力な拒絶反応が起きるとされ、実用には及ばなかった。この課題について、本人の細胞から作製する iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を使うことで解決が出来ると考えられている。
なお、網膜色素上皮細胞は一種類の細胞から成る一層のシート状の構造をしており、他の「複雑な組織と比べ作製し易い組織といえる。さらに、「色素」という名前が示すように、黒い色素がついており、他の細胞と区別がし易く、使いやすい細胞といえる。移植する細胞数が少なく、元々腫瘍化しにくい組織なので、安全性も高い。万が一癌化した場合も、レーザー治療などで比較的簡単に対処が出来る。以上の理由により、他の再生医療と比べてリスクの排除がし易いというメリットがある。ただし、未知のリスクは排除しきれないことに加え、シートの移植には通常の眼科手術が必要で、その手術に伴う危険性は存在しうる。更なる課題として、将来、多くの患者が利用する為には、網膜色素上皮細胞の製作時間の短縮、製作費用の削減する工夫が必要とされる。
2013年2月、高橋政代先生をプロジェクトリーダーとする理化学研究所と先端医療振興財団のチームが、世界で初めて iPS細胞を使った目の難病(加齢黄斑変性)の臨床研究の計画書を厚生労働省に提出した。
2016年6月、理化学研究所や京都大学などでつくるグループは、「加齢黄斑変性」という目の病気をもつ患者に対し、他人の iPS細胞から網膜をつくって移植する臨床研究を実施する計画を発表した。計画では、他人に移植しても拒否反応が起きにくい、特殊な免疫を持つ人から iPS細胞をつくる。従来の、患者本人から iPS細胞をつくる方法では細胞ができるまでに半年以上もかかり、費用も数千万円かかっていた。あらかじめ iPS細胞をつくっておく今回の方法で、期間も費用も大幅に抑えられるという。
この計画は、日本に70万人いる加齢黄斑変性の患者にとって大きな希望です。この病気以外のさまざまな病気でも、iPS細胞を使った治療が可能になれば、多くの患者が救われる。
2017年3月、手術を受けた女性の術後1年半の経過を報告し、腫瘍形成や拒絶反応は見られず安全性が確認できたと発表した。
靭帯
2016年4月、バイオベンチャー企業の「再生医療iPSGatewayCenter」と慶應義塾大学医学部のグループが、人体由来の多能性幹細胞や iPS細胞を用いて靭帯を再生する共同研究を開始すると発表。
脳卒中
2011年、Matthew B. Jensen先生らのグループにより、ヒトの iPS細胞を人工的に脳梗塞を起こしたラットに移植することで神経細胞に分化させることに成功した。しかし、梗塞の縮小は見られなかった。その後も研究が進められ、慶應義塾大学により脊髄損傷に引き続き本格的な臨床研究が始められることになった。まず、2015年にラットでの実験を開始し、2020年には人間での臨床治験を始める計画であるという。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
2012年8月、京都大学iPS研究所、筑波大学などが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の iPS細胞から治療薬の候補物質を見つけ出すことに成功したと発表した。
2017年5月、京都大学iPS研究所のチームが患者の皮膚から採取して作成した iPS細胞を用いた実験で、慢性骨髄性白血病の治療薬である「ボスチニブ」がALSの進行を遅らせることを発見したと発表した。SOD1遺伝子の変異のある家族性ALSにも孤発性ALSどちらにも効果を認めた。
進行性骨化性線維異形成症の治療
2017年8月、京都大学の戸口田淳也先生、池谷真先生らの研究グループが、進行性骨化性線維異形成症の治療薬として「ラパマイシン」を iPS細胞を使って見つけ、臨床試験を開始すると発表した。iPS細胞を使った創薬の治験は世界で初めてです。
脊髄損傷の治療
慶応大学の研究グループは2010年7月、脊髄損傷したマウスに iPS細胞胞から作った神経のもとになる細胞を移植して、麻痺していた後ろ足を歩けるまでに回復させた。
2014年3月、慶応大学の中村雅也先生らのグループが、脊髄損傷の患者に対する iPS細胞の臨床研究を2017度に始める計画を発表した。
交通事故やスポーツで起こる脊髄損傷は根本的な治療法がなく、日本では10万人の患者がいると言われている。
視神経細胞作製
2015年2月、国立成育医療研究センターなどからなる研究グループが、ヒトの iPS細胞(人工多能性幹細胞)から神経線維(軸索)を有する視神経細胞の作製に世界で初めて成功したと公表した。成功したのは眼球と脳をつなぐ視神経細胞で、細胞本体から軸索が1〜2cm伸びている特徴を持つ。最初は立体で培養した後に、途中で平面培養に切り替え、約1ヵ月かけて視神経細胞に分化させる手法を確立。その結果、作製された視神経細胞が神経としての機能を持つことを電気反応などで確認した。研究グループは、緑内障に伴う視神経の障害、視神経炎などの治療薬開発、視神経が冒される疾患の病態解明などにつながることが期待されるとしている。
軟骨無形成症
2014年9月、京都大iPS細胞研究所の妻木範行らのグループが、軟骨無形成症とタナトフォリック骨異形成症について、スタチンが有効とみられることが iPS細胞を用いた実験で示されたと発表した。
筋ジストロフィー
2014年11月、京都大学iPS細胞研究所、京都大学 細胞—物質システム統合拠点、科学技術振興機構の三者は、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの患者から作製した iPS細胞において、TALENやCRISPRいった遺伝子改変技術を用いて、病気の原因遺伝子であるジストロフィンを修復することに成功したと発表した。遺伝子を修復した細胞を移植して筋力を回復させる治療につながる成果です。
パーキンソン病の治療
2014年2月、京都大学iPS細胞研究所の高橋淳先生らのグループがドーパミンを分泌する神経細胞を大量に作製する方法に成功した。8月には、2015年に自分の細胞から作製した iPS細胞による臨床研究を開始し、2018年には再生医療を実現させる構想を発表。2018年には、自己由来の iPS細胞による再生医療と、健康な他人由来の細胞について治験をスタートさせる計画を明らかにした。2017年8月、人間の iPS細胞から作ったドーパミン神経細胞をパーキンソン病のサル11頭に移植し経過を観察した結果を発表した。その結果、運動能力の低下や手足の震えなどの症状が軽減し、運動量が増えた。2017年11月、京都大学の井上治久教授らは iPS細胞を活用してアルツハイマー病の患者の細胞を再現し、発症原因とされる物質を減らす3種類の薬の組み合わせを発見した。3種類の薬はパーキンソン病などの薬「ブロモクリプチン」、ぜんそくの薬「クロモリン」、てんかんの薬「トピラマート」の3種の組み合わせが最も効果があり、パーキンソン病の原因と一つとせれるアミロイドベータの蓄積量を30~40%低減させることに成功した。
心筋細胞
2010年8月、慶応大学では福田教授らの研究グループが、iPS細胞胞を使わずにマウスの線維芽細胞から心筋細胞を作ることに成功した。ガン化の危険性が少なく、研究が進めば心筋梗塞などの患者の心臓にカテーテルで遺伝子を送り込み、心筋を再生できる可能性が開けてくる。
iPS細胞から心筋細胞を分化させることはできるが、血管をどのようにそれにはりめぐらせるかが問題であった。2014年、京都大学のグループが、ヒトの iPS細胞から血管を含む心筋細胞のシートをつくり、心筋梗塞のモデルのラットへ移植し、心機能の回復ができたと発表した。
2018年3月、大阪大学が iPS細胞から作製した「心筋シート」を重症心不全患者の心臓に移植する世界初の臨床研究計画を、学内の「特定認定再生医療等委員会」が正式に承認し、同日厚生労働省に実施申請したと発表した。
肥大型心筋症
2014年11月、慶応大医学部の福田恵一先生、湯浅慎介先生らのグループが肥大型心筋症の患者の iPS細胞から心筋細胞を作り、病気を悪化させる体内物質を突き止めた。既存の薬が状態を改善する可能性があることも分かったという。
糖尿病
日本には800万人以上の糖尿病患者がいるとされている。治療法として注目されるのが、血糖値を抑える役割を持つインスリンを作る膵臓β細胞の再生である。この研究を進めている熊本大学の粂昭苑教授は、「血糖値に応じてインスリンを分泌できる細胞を作るのは難しいのですが、近い将来にはこの問題は解決されるという。
癌治療
2015年4月、理化学研究所の古関明彦先制らと千葉大学病院の研究グループが、iPS細胞から癌を攻撃する免疫細胞であるナチュラルキラーT細胞を作製し、主に舌癌の患者に対する臨床試験を2018年をめどに開始すると発表した。
血液疾患
2007年12月、ヤニッシュ先生らのグループにより、ヒトの鎌状赤血球症遺伝子を組み込んだモデルマウスの尾から iPS細胞を樹立した後、相同組換えにより原因遺伝子を野生型へと置き換え、造血幹細胞に分化させた後モデルマウスに移植した。
血小板
2017年8月、大塚製薬工場はじめ日本国内16社がiPS細胞を使い、血小板を量産する技術を世界で初めて確立した。2018年に治験を開始し、2020年の実業化を目指すとしている。
小腸
2010年、iPS細胞胞から腸を作り出すことに、奈良県立医科大学のグループがマウスを使った実験で成功。iPS細胞胞から立体的な臓器ができたのは初めてで、食べ物などを移動させるために収縮する腸に特有の運動をすることも確認された。小腸は拒絶反応が強い臓器で移植が非常に難しいため、拒絶反応のない iPS細胞胞で再生することが期待されている。
精子・卵子
2014年12月、英ケンブリッジ大学などのグループが、ヒトの iPS細胞、ES細胞を使って精子や卵子のもとになる「始原生殖細胞」を安定的につくることに成功したと発表。マウスでは既に京都大学のチームが作製し、正常な精子や卵子を作ることに成功しているが、ケンブリッジ大学のグループは、ヒトの場合マウスと違って「SOX17」という遺伝子が重要な役割を果たすことを突き止め、安定的に製作することに成功した。将来的に不妊の原因解明にも役立つ可能性があるとしている。
臓器作製
肝臓
2013年7月、横浜国立大学のグループがiPS細胞から直径5ミリ程度のミニ人工肝臓を作り、マウスの体内で機能させることに成功。ヒトiPS細胞からヒトの「臓器」ができたのは初めてである。
2015年1月、横浜国立大学の福田淳二先生らのグループが、血管の細胞と iPS細胞を一緒に培養し、血管のような微小な構造を備えた人工肝臓を開発したと発表。
腎臓
2013年10月、熊本大学のグループが、iPS細胞から糸球体と尿細管の両方を伴った3次元の腎臓組織を試験管内で構築することに成功。
2015年10月、京都大学のグループが、iPS細胞からつくった腎臓になる前の細胞をつくり、それを急性腎障害のマウスに移植し、その症状を緩和したと報告。
膵臓
2011年3月、東京大学の宮島篤先生らのチームが、マウス実験レベルながら、ランゲルハンス島の元になる細胞を培養する方法を開発し、iPS細胞をランゲルハンス島にすることに成功した。このランゲルハンス島をマウスに移植することで、血糖値を低く保つことにも成功した。
iPS細胞から、膵臓のもとになる細胞である膵芽細胞、その後膵臓を構成するいろいろな細胞に分化する。まず、膵芽細胞を安定的に効率よくつくりだす方法が模索されている。
2015年には、膵芽細胞をマウスに移植しその細胞がβ細胞に分化して、血糖値に反応してインスリンを分泌することが確認された。
2016年現在の研究は、インスリンがつくれないタイプの糖尿病をターゲットにしている。
3Dプリンターを使った臓器作成
肝臓、腎臓、膵臓など、臓器は各種の細胞が立体的な構造をつくっている。その臓器を構成する細胞をある程度の固さのあるゲルでつつみ、それを 3Dプリンターのインクとして、立体的に構築していくことで臓器をつくる方法も試みられている。
動物を使った臓器の作製
臓器を欠損している動物で、臓器をつくらせる研究も進んでいる。例えば、膵臓ができないように遺伝子操作したマウスの胚に、ラットの iPS細胞を注入する。その胚を育てると、膵臓をもつマウスが生まれた。そのマウスのもつ膵臓の細胞を調べるとラットの iPS細胞由来の細胞のみからできていた。膵臓ができないマウスの発生のうち、膵臓部分を補うようにラットの細胞が膵臓をつくっていた。つまり、マウスの発生を利用して、ラットの膵臓をつくり出せたことになる。
「胚盤胞置換法」と言われるこの方法によって、臓器一つをそのまま再生できる可能性が開けてきた。
もう少し大型の動物での研究も進んでいる。例えば、ブタは人間と臓器の大きさがほぼ同じであるので、ブタの受精卵にヒトの iPS細胞を注入してヒトの臓器を作らせ、移植用に使うという治療方法が可能になる。まだ基礎研究の段階であり、ブタの持つ病原菌に感染する危険性や、その臓器が上手く機能するかなど課題はある。しかし、臓器そのものの再生も視野に入ってきたのは間違いない。