教育の無償化

 出産や子育て費用の高さも、「もう一人」を躊躇する要因になっている。諸外国に倣い、例えば、3人目からの出産・教育費を税金で持つだけでも、家計負担は軽減できる。

 出生数を年間265万人迄増やすには、多くの夫婦が子供を3人まで持てるような制度をつくると共に、人工妊娠中絶の抑制というアプローチができるかもしれない。現在、人工妊娠中絶件数は、公表されているだけで年間約26万件。しかし、実態は100万件とも言われている。里親や養子縁組制度を充実させることにより、これらの大切な生命を生かすことができる。

 日本では、子育て支援というと保育所ということになるが、もし ベビーシッターを安く頼めるとしたらどうでしょうか。

幼児教育と大学などの高等教育の授業料を無料にすると約5兆円かかる

 子育てに苦労されている家庭には、一見優しいように見える「幼時教育の無償化」であるが、それは無償化の財源を確保するために行われる「消費増税」です。これは、景気を悪くし、給料を下げてしまうため、回りまわって厳しい子育て事情を生み出しているのです。

 子育て世代のために消費増税しても、所得減という形で子育て世代の首を絞めることになります。その意味で、「減税こそ最大の福祉」なのです。

 教育無償化の行きつく先は何か。「質の低下」です。教育の質がどんどん低下していきます。そして、起こることは「ダブルスクール」です。学校教育で十分な学びを得られないと、塾に行くしかないのです。

 政府の仕事は、本来は教育費を無償にすることでなく、良い教師と良い教材を揃えることです。

 大学まで無償にして良い教師が育つわけがありません。授業を受ける学生も、勉強の姿勢が杜撰になります。

 自民党が打ち出している政策が、本当に少子化の解決につながるのかは甚だ疑問です。

 その主なものが、「幼児教育・保育の無償化」「大学教育の無償化」「私立高校まで含めた無償化」です。無償化を進めることで、教育費を心配する親世代の不安を軽減させ、出生率を上げる狙いがあると見られます。

 この無償化、一見、子育て世代には「救いの手」にも見えるかもしれません。しかし、そこには大きな「副作用」があることを知らなければなりません。それが「増税」です。

 自民党は、争点としてはあまり言及しないようにしていますが、無償化の前提として「消費税率を10%にまで上げる」ことを主張しています。しかし、この消費税の増税こそ、これまで子育て世代の給料を減らし、将来への不安を高め、日本の少子化を加速させてきたのです。

 この国は1997年に消費税率を5%に上げてより、長らく長期不況に苦しんできました。その間に何が起きたのか。一家の大黒柱である夫の給料が下がっていき、共働き世帯の数が、2014年までに2割も増えているのです。これで、若い世帯は子育てをする余裕を失い、子供を生んでも、保育園に預けなければいけなくなりました。さらには、「共働き化」が進めば、夫婦合わせての所得が増えるのが自然なのにも関わらず、共働き世帯の所得も、年に74万円も減ってしまいました。こうした中で、「子供を保育所に預け、塾に通わせ、よい学校に入れ、大学を卒業させる」ということが非常に難しくなってしまった。少子化が進んで当然なわけです。

 「自分の子供は一生懸命稼いで育てる」という姿が、大変ではあるけれども、人間として大事なことなのではないでしょうか。

 「教育費のバラマキ→増税→不況→少子化→教育費のバラマキ」といった いたちごっこ を続けてはなりません。

 日本経済新聞社の調査によると、幼児教育の無償化に「賛成」と答えた人は73%、「反対」と答えた人は18%。高等教育の無償化においても、「賛成」の人は44%、「反対」の人は46%と拮抗しています(2017年9月24日付日本経済新聞電子版)。

 「教育無償化の代わりに増税する」というのは、私有財産の侵害です。私有財産が制限されれば、様々な自由が失われます。本来、国民の私有財産を守るのが政府の仕事なのです。

 政府の仕事の1番目は、国民の生命・財産・安全を守ること。これは国にしかできません。アダム・スミスも、国防は税金を集めてでもやる仕事だと指摘しています。

 政府が「私有財産」を守るためにできる2つ目が、国民が一生自分で食べていけるような社会システムを作ること。その方法の一つが教育なのです。社会に出ても、基礎知識を学んで自力で生きていく力をつくるために、教育があるわけです。

教育を充実させることが本来の政府の仕事です

 教育で一番大事なのは、その中身であり質です。学力の向上や社会の進歩につながらないものであれば、税金を投じる意味が薄れる。さらに言えば、学ぶ意欲がないのに、「どうせタダだし」という安易な気持ちで進学する学生たちが増えれば、他の学生にも悪影響を及ぼす。

 実際、「義務教育」として無償で提供されている公立の小中学校の授業の質は必ずしも高いとはいえず、都市部では、塾に通わなければ進学に必要な学力が得られないケースも多い。

都市部では授業料が高くても学力を伸ばしてくれる私立学校に多くの学生が集まります。公立の小・中学校は授業料を取りませんが、学力が伸びず塾通いを余儀なくされている児童や生徒がたくさんいます。結果的に、金銭的、時間的にも子供や保護者の負担を増やしています。

平等主義で競争原理が働かないため、教育の質を高めようという学校や教師たちの意欲が低い。これによって、経済的に余裕のある家庭の子は塾に通えるが、そうでない家庭の子は十分な学力を得られない。これこそ「格差」を生み、子供たちの心身への負担を増やす。

 このような状況にあるのに、高等教育まで無償にした場合、どれだけの付加価値が生まれるのかは疑わしい。

 成績優秀で学ぶ意欲も高いのに、家庭の事情で進学できない学生を税金でサポートするなら理解できるが、すべて無償化となれば、教育の質を低下させる懸念がある。

 日本も大学教育の未来を考えるにあたって、飛び級制度を普及させてはどうでしょうか。

 高等教育の無償化を検討する前に、現状の教育制度を見直す方が先決です。

 正しく見える教育無償化は地獄への道

政府がすべきなのは無償化ではなく「多様化」

 待機児童を減らすために政府がすべきなのは、「すべての子どもたちの幼稚園や保育園の費用の無償化」ではなく、政府が認可を与える仕組みをやめ、企業や団体が届けを出せば、自由に保育所をつくれるように規制緩和することです。

 もちろん、保育をする人や施設、安全面などの情報開示を義務化するなどの対策は必要になる。それをクリアしたうえで、企業の保育所やベビーシッター、地域コミュニティのサポート、NPO法人など、さまざまな預け場所の選択肢が広がれば、待機児童問題の解決にもつながるでしょう。

 教育費の無償化は、教育を受ける側である生徒や保護者のニーズには必ずしも合っていません。無償にするよりも、既に税金をつぎ込んでいる公立学校の質の向上を考えるべきです。

 本気で教育の所得格差を是正するつもりであれば、日本全体の学校教育の質を高め、教育力を底上げすることから始めなければならない。

 根本的な問題は教師の質にあります。塾や予備校に「カリスマ講師」がいて、授業が全国に中継されることを考えれば理解できるでしょう。この教師の質を改善しない限り、少人数であっても学力向上やクラス運営の改善にはつながりません。

 

 2019年10月から始まる幼児教育の無償化は、「無料なら預けたい」というニーズを掘り起こし、待機児童問題を悪化させる可能性が高い。多額の税金もつぎ込まれ、さらなる増税が必要になるのは想像に難くない。

 「働き方改革」による長時間労働の是正や男性の育休習得の促進なども、「少子化対策の大綱」に盛り込まれている。だが、政府が残業を規制しても、仕事量は変わらないところもあり、余裕を持って子育てができるようになるかは疑問です。

 残業規制や有休取得の義務化など、労働環境に対する規制が経営悪化を招けば、中小企業を中心に、「子供を安心して産み・育てやすい環境」をつくることは難しくなる。さらに、消費増税によって家計が冷え込み、ますます出産をためらう人が増えてしまう。

 

規制緩和と減税で出産・子育てしやすい環境を

 働き方改革のように、政府が企業活動を締めつけるのではなく、規制緩和と減税を行うことこそが「最大の育児支援」となる。

 例えば、規制緩和が進んでいるとはいえ、幼児教育・保育の分野では未だに規制が多く、民間企業の参入障壁が高い分野だ。規制緩和によって、子供を預けられる場所を増やし、待機児童の解消を図りたい。

 また、バウチャー(クーポン、または引換券)制度を導入し、補助金が保育所ではなく、直接保護者に届く形にする。そうなれば、今よりも希望する保育所などに預けられる確率が高くなり、競争の原理が働くことで、「保育の質」も向上する。バウチャーを一時保育などにも使えるようにすれば、普段は自宅で子育てをし、必要なときに預けるというニーズにも応えられるだろう。

 そして10月に予定されている消費税10%への増税は即刻中止すべきだ。増税のたびに、個人消費は落ち込み、経済は悪化の一途をたどっている。その財源は「子育て世代や子供の教育に投入される」とされているが、景気が悪化し、家計に大打撃を与える増税を行っていては、元も子もない。消費減税で、景気をよくし、所得を増やす方が、子育て支援につながる。

 少子化対策の費用対効果を検証し、本当に「子供を安心して産み・育てやすい環境」を実現する政策を示してほしいものです。

 

「教育無償化」より「稼げる教育」が子供のためになる

 単純に無償化するよりも、規制緩和で教育における自由競争を行わせ、社会で役立つ「実学」を教えることこそが、日本の教育を変えていくでしょう。

 

消費増税で教育無償化の財源を確保するのはおかしい

 安倍政権は、教育無償化によって必要になる財源を、消費増税で確保しようとしています。しかし、正しくは「政府の借金」であって、「国の借金」でも「国民の借金」でもありません。率直に言えば、長年にわたって選挙で勝つために、補助金などの形で国民にばら撒き続けてつくった「自民党の借金」です。これを消費増税という形で、国民に返済させることも、やはり本末転倒です。

 

消費増税をしての保育所の無償化は

 増税につながる上、無償化の恩恵が得られる人と得られない人で、不公平感が増すからです。

 すでに認可保育所には多額の税金が入っています。

 例えば、公立の認可保育所には0歳児1人あたり、毎月40~50万円もの補助金が入っているといいます。つまり、公立の認可に預けることのできた家庭は、現時点でも毎月50万円の”子ども手当て”を受け取っていることになります。

 今回の無償化は認可保育所や幼稚園が対象で、「認可外保育所」は5年間一定額の費用が補助されます。つまり、5年後は無償化の対象から外されるかもしれません。

 つまり、認可保育所に入れた家庭は現時点でもトクをしているのにさらに保育料を払わなくてよくなり(0~2歳児は低所得者世帯のみ)、入れなかった家庭の負担は変わらず、さらに不公平な状態が加速するわけです。

 「では、認可保育所を増やせばいいのでは」となれば、もっと税金が必要になり、さらなる増税につながってしまいます。

 保育所が増えても子供は増えません。減税して手元に残るお金が増えた方が少子化対策になります。

 確かに、「本当はこのくらいの数の子供がほしい」という夫婦の願いを実現できない理由として、最も多く挙げられるのは「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」です。

 その意味で、保育所や保育園が無償化されることは子育て世代には確かにありがたいことでしょう。

 ただ、戦後保育所や幼稚園など子育てをサポートする施設は増えてきましたが、出生率は減少傾向にあります。価値観が多様化していますので、保育所や幼稚園だけではなく、習い事や塾などにもお金をかけたいという家庭も増えています。

 そのため、減税して手元に残るお金が増えた方が、少子化対策にはプラスといえます。

 お父さんの手取りが増えれば、「2歳までは家庭で育てたい」というお母さんも増えるかもしれません。各家庭の選択肢が広がるのです。

 もちろん、普段は家庭で子育てをしたとしても「時には子供を預けてリフレッシュしたい」ということもあるでしょう。

 しかし、無償化すると「お金がかかるなら家庭で育てるけど、タダなら預けたい」という人が出てきて、どうしても必要な時にお金を出しても預けられなくなってしまいます。

 民間企業が、多様なニーズに応える保育所や一時預かりの託児所などを設立しやすくするためにも、無償化よりも自由化を進めるべきです。

 

教育無償化は「チャンスの平等」?

 「チャンスの平等」という観点からは、すでに民間や各大学のさまざまな奨学金制度があります。無償化による増税で、逆に多くの方のチャンスを奪います。

 確かに、今回の高等教育の無償化で、大学に進学できる低所得者層は増えるかもしれません。

 しかし、高等教育無償化の対象から外れた世帯にとっては不公平感が募ります。

 今回は、年収380万円未満世帯の学生が対象ですが、次第に「年収400万円でも、子供を大学に行かせるのは楽ではない」「わずかな収入の差で対象外になるのはおかしい」という話になり、対象者が拡大していく可能性が高いでしょう。

 無償化対象世帯でも、「豊かな家庭の子は、一切アルバイトをしないで学業に打ち込める。もっと奨学金を充実してほしい」などという要求が出るかもしれません。

 税金による無償化は、「誰がその費用を負担しているか見えない」ため、「もらって当然」「あの人がもらっているなら私ももらわないとおかしい」という気持ちになりやすいのです。

 そうなると、無償化関連の予算が増え、無限の増税への道を開くことになります。増税は景気を冷え込ませ、収入を減らすという悪循環を招きます。

 高等学校への進学だけが唯一の進路ではありません。例えば、高校卒業後に調理師などとして就職し、「いつか自分の店を持とう」と志している若者が、別の人の大学進学を支えるために重い税金を負担することは、正当性が薄いといえます。

 「チャンスの平等」という観点からは、現在ではさまざまなかたちの奨学金制度が用意されています。

 成績優秀者を対象とした大学による奨学金や、篤志家による返済不要の奨学金もあります。

 支給者の「顔が見える」奨学金の方が、いただいていることへの感謝が沸き、「将来、世の中に役に立つ人材になりたい」という恩返しの気持ちも強く沸いてきます。

 

 大学は、社会に出て「稼げる」質の高い教育を提供するために力を注ぐべきです。無償化で発生するさまざまな実務は、大学側の負担を増やします。 

 大学に進学する目的のひとつは、高度な学問を学び、将来、付加価値の高い仕事をするためです。ですから、奨学金を返せるレベルの収入が得られるようなスキルを身につけることが基本といえます。

 学生の側はそうした高いモチベーションを維持して学ぶことが必要ですし、大学も授業料を受け取っているプロとして、学生たちに質の高い教育を提供する責任があります。

 実際、現在では司法試験や公認会計士試験などの、難関の資格試験に通るために、予備校に通うことは「常識」となっています。それは高い偏差値の大学でも例外ではありません。また、授業だけで仕事に使える語学力を身につけられる大学も、ほとんどないと言えます。

 「大学は資格試験の勉強をするところではない」という主張もあるでしょうが、高い授業料を払って、社会で稼げる能力が身につかないのでは困ります。

 本来、大学は教育の質を上げ、社会に貢献できる学生を育てることに、時間と労力を注ぐべきです。

 しかし、高等教育無償化により、大学は実務にある程度の時間とコストが奪われます。

 授業料や奨学金を受け取った学生は、標準の6割以上の単位修得、8割以上の出席が求められ、平均成績が下位4分の1なら支援が打ち切られることになります。こうした無償化の対象となる学生の学業姿勢を確認し、適格性を判断する仕事は大学が行います。

 税金を投じるわけですから、ある程度の条件はつくのは理解できますが、この「条件」が拡大したり、恣意的な判断でゆがめられたりすれば、大学は振り回されることになります。

 教育無償化は、国立大のみならず、私立大も政府の管理下に置くことにつながりかねないのです。

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