スピリチュアルと宗教と信仰

 「スピリチュアリズム」は、1848年に出された『共産党宣言』による唯物論運動に対するものとして、天上界の「大きな計画」によって始められたものであった。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『神秘の法』で次のように説かれました。

「実は、霊界通信などを使った、この世での真理の普及運動については、幸福の科学の活動が始まるよりもっと昔の、いまから150年余り前から、「大きな計画」がありました。具体的な年を挙げるとすれば、決定的な年は1848年です。この年に、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』が出されたため、「これから地上で唯物論運動が起きていくであろう。やがて、ソビエト連邦や中華人民共和国という大きな国家もできて、唯物主義の勢力が世界に広がり、地球の半分ぐらいまでを席巻するであろう」ということが、もうすでに予見されていました。そのため、ちょうど同じころ、一つの戦いが開始されました。アメリカにおいて、いろいろな心霊現象が起きはじめ、「心霊主義」などと訳される「スピリチュアリズム」が始まったのです(近代心霊主義)。その最初の年が1848年です。この年、ニューヨーク郊外のフォックス家で姉妹に心霊現象が起きました。まず、「ラップ現象」といって、「音が聞こえる」という物理現象が始まり、コツコツ、コツコツという昔が、天井など、いろいろな所から聞こえました。そして、不思議な現象なので、あれこれと調べはじめたところ、次々とポルターガイスト現象類似の事件が起きはじめたのです。(いわゆる「ハイズビル事件」。)フォックス家で、そういう霊現象が数多く起き、全米の関心が集まりました。それを喘矢(スタート)として、その後、あちこちで、さまざまな霊現象が起きるようになったのです。イギリスのロンドンなどでも霊現象が盛んになっていきました。十九世紀の後半から二十世紀の初めぐらいにかけて、有名な霊能者だけでも百人以上を地上に出したと思います。霊能者が各地に数多く輩出しました。  ちょうど科学が発達しはじめたころであり、その流れとも合いやすいので、最初は、そういう物理現象を数多く起こしました。当初の第一段階の計画は、「物理的な霊現象を起こし、『この世では分からない世界からの働きがあるのだ。この世の人には理解できないことがあるのだ』ということを人々に悟らせる」というものでした。そのために、何十年かのあいだ、そういう現象を起こしたのです。そのなかでも有名なのは次のようなものです。サー・ウィリアム・クルックスなどの科学者たちが、心霊現象を科学的に研究し、「エクトプラズム」という、一種の霊エネルギーを人間のなかから抽出し、現象化させたのです。それから、他の人の心霊実験ケースですが、「空中浮揚」といって、現実に、「空中に人が浮く」ということも、物理実験として行っています。また、「宝石など、そこには存在しないものを空中から出す」という、「物品引き寄せ」的なことも、かなり行いました。このように、霊界の証明を、あの手この手で徹底的に行ったのです。アメリカでもイギリスでも、大変な量の証明を行いました。こうして、そうとうの地ならしをしました。第一段階として、そのような物理現象を起こしたのです。」

 天上界の計画は、第一段階が一通り終わった20世紀の初頭ぐらいから、第二段階として、天上界の高級諸霊から通信を降ろし、自動書記のかたちで書いたり、霊能者に語らせて記録したりしたものを本にして出すことで、霊界思想の普及を始めた。その後、唯物論の流れのなかで、科学主義が進み、医学も進歩したことで、第三段階では、この世では不治と言われた病を心霊治療などで治す試みが始まった。これらは、20世紀後半に真理の普及運動が本格化するまでに行なわれた地ならしであった。

 大川隆法総裁は、『神秘の法』で次のように説かれました。

「第一段階が一通り終わったあたりで、次に、第二段階として、20世紀の初頭ぐらいから、自動書記や霊言現象というかたちで霊界思想の普及を始めました。「天上界の高級諸霊から通信を降ろし、自動書記のかたちで書いたり、霊能者に語らせて記録したりしたものを、本にして出す」ということをやりはじめたのです。イギリスでは、古代インディアンの名で、『シルバー・バーチの霊訓』というものを出しました。また、19世紀の後半に、ラテン系では、アラン・カーデックの『霊の書』という霊言も出しました。これらの淵源は同じものなのです。そのほかにも、洋の東西を問わず、霊界通信ものをかなりたくさん出しました。第二段階として、書かれたもののかたちで、霊界の様子や高級霊の考えなどを伝えたわけです。ちょうど、そのころは、第一次世界大戦と第二次世界大戦という、二つの大きな戦争が起きる時期だったので、「霊界思想の普及」の使命感に燃えていたのです。その後の流れのなかで、20世紀には、科学主義が進み、医学もかなり進歩してきました。これが、宗教や霊界をなかなか信じてくれない一つの牙城のようになってきたので、「これも何とかしなければいけない」という問題も出てきました。マルクス、それからダーウィンと来て、完全な唯物論が大きく流れてきたわけです。さらには、科学や医学の進歩、進化というものが、その後、ずっと続いてきたのです。心霊主義の第一段階では、霊媒等を使って、いろいろな物理現象を起こし、第二段階では、霊界通信を行いましたが、第三段階では、「霊界の力を使って病気を治す。この世では不治と言われた病を心霊治療などで治す」ということが、あちこちで起きるようになりました。第二次大戦後は、それが特に多くなってきました。「医者が見放して、『もうだめです』と言う病気を、心霊治療で治す」という試みが始まりました。これは唯物主義の医学との戦いなのです。こういう大きな三段階の文明実験を行いました。20世紀の後半になって、真理の普及運動がいよいよ本格化するまでに、いろいろと、下ならし、地ならしを、百年ぐらい行ったのです。  これには当初から私も関係しています。この計画を進めることを決めた19世紀の半ばぐらいから、実在界にいたときに関係しています。」

 スピリチュアリズムが流行った国では、まず、形骸化したキリスト教会と真正面からぶつかることになった。そして、その思想は、形骸化した仏教ともぶつかることとなった。

 大川隆法総裁は、『神秘の法』で次のように説かれました。

「特に、科学万能主義と唯物主義という敵もありましたが、もう一つ、宗教のなかにも敵があったのです。それは、キリスト教のなかの、「イエスの時代で、もう霊現象というものは止まっている」という考えです。 の背景には、「教会の歴代の代表者たちが霊能力を持っていなかった」ということがあることは事実です。彼らは霊能力を持っていなかったので、しかたがなかった面もありますが、教会においては、「二千年前のイエスの時代で、もう霊現象は止まっている」と考え、「その後に起きた霊現象については、原則、否定する」というスタイルなのです。キリスト教のなかにも、霊現象を使う宗派も出てきましたが、ほとんど、「異端」ということで弾圧されています。近代になり、スピリチュアリズム(心霊主義)が出てきたときも、それに対して真っ向から反対し、敵視したのがキリスト教会なのです。宗教の内部に「内なる敵」が出てきたため、それで、かなり苦労しています。いまも、教会は、心霊主義をほんとうは認めていないのかもしれません。「うすうすは認めているけれども、認めたくない」というのが、ほんとうのところでしょう。そこには同業者としての嫉妬もあるかと思います。スピリチュアリズムは、日本で言えば新宗教のようなものでしょうから、「流行っているものに対する、旧いものの防衛」という意味もあるのかもしれません。キリスト教の『聖書』自体から、霊現象的な部分がかなりカットされていることも、大きく影響していると思います。『聖書』に明確に書かれていれば、受け入れられたはずなのに、霊現象的な部分が、『聖書』の編集の過程でかなり削られてしまったために、後世の人たちは霊的なことが分からなくなったのです。それから、仏教のなかにも、やはり唯物主義は流れています。その流れは、釈尊の没後数百年たったインドにおいて、すでに始まっていました。インドは、もともと哲学的な国なのですが、仏教が哲学になってしまったのです。宗教であれば、霊的なものは当然あることなのにもかかわらず、それが分からない人たちの時代になると、哲学的に解釈するようになったのです。現代の日本では、仏教の大学にも、「仏教は霊魂を認めない」などと言うプロが数多くいて、ほんとうに困ります。仏教が霊魂を認めなかったら、大変なことです。肉体を去ったあとの精神エネルギーが残らないとしたら、仏教は、もう、ただの抜け殻にしかすぎません。したがって、数々の心霊現象を起こしてきた過程には、「科学や唯物論との戦い」と同時に、「宗教のなかにおける形骸化や化石化、姿かたちにとらわれて内容がなくなってきたものとの戦い」もあったのです。」

 大川隆法総裁は、なぜ、1956年に生まれたのか。なぜ、1981年に大悟したのか。幸福の科学の教えは、なぜ、「悟りの教え」と「愛の教え」が強く全面に出ているのか。

 総裁は、天上界で、仏陀(釈尊)入滅2500年にして、霊的な世紀の始まりの年に再誕し、仏教的な教えとキリスト教的な教えを全面に出すことで、東洋世界と西洋世界の両方を橋渡ししながら人類の魂を救済する計画をたてた。そして、150年にわたるスピリチュアリズムの運動によって露払いをした上で、現代日本において、予定どおり幸福の科学の運動を開始されました。

 現代心理学では、「霊性・宗教性」(Spirituality/Religiosity)は「『聖なる』(Sacred)ものを求める感情、思考、経験、行動」と広く定義され、特に「宗教性」は、集団的実践や教義に重きが置かれ、「霊性」は、個人の経験や信念が重視されます。

 総裁は、『神秘の法』で次のように説かれました。

「東南アジアの小乗仏教では、「釈尊入滅後二千五百年」という記念の年に当たる1956年に、盛大に法要を行いました。この時期あたりが一つの境目と考えてよいのです。占星術でも、一九五六年は「宝瓶宮の時代」(アクエリアスの時代)が始まる年なのですが、これは霊的な世紀の始まりを意味しているのです。かくして、1956年が一つの大きなターニングポイントだったので、この時期を選んで、私は地上に生まれてきました。霊的な普及活動の開始の年は1981年に定められていました。ただ、現実には、1980年代の後半になっても、まだまだ力が充分ではなかったので、非常に焦りもし、大変でもありました。しかし、何とか、20世紀中に、幸福の科学という存在を世の中に示し、新しい教えをかなりの人に普及することができました。私の教えの内容を見れば分かるように、今回の私の使命は幾つかありますが、大きく見ると、仏陀とキリストの両方を備えていることが明らかです。仏教の「悟りの教え」もあります。それから、イエスのほうの「愛の教え」も非常に強く出てきています。これも、予定してのことなのです。「エル・カンターレという存在を、どのように表現するか」と考えた場合、「要するに、仏陀とキリストを併せた存在である」と理解してもらえばよいわけです。「法、真理を指し示す存在」と、「イエス的な愛の教え、救済の教えを説く存在」という、この両方を強く打ち出してきています。これ以外にも、ギリシャのヘルメスの「発展・繁栄の思想」を、近現代的なものとして再現して出している面もあります。ヘルメス的な「発展・繁栄の法」も、当会では強い底力になっているでしょう。  ただ、おそらく、外から見ると、「悟りと愛」が非常に強く出ているように見えると思うのです。教えとしては、仏陀とキリストの両面を強く出してきています。これが何を意味しているかは明らかでしょう。キリスト教徒たちは、二十世紀末というものを、一つの「時代の境目」と捉えていました。ノストラダムス(1503~1566)の予言もあったので、「世紀末に、大きな危機の時代が来るだろう」と、キリスト教徒は強く思っていたはずです。この意味で、「メシア(救世主)降臨」を告げる宗教も、あちこちにありました。これはキリスト教系の宗教にもかなり多いのです。実は、キリスト教徒たちには、「救世主は、時代の終わり、人類の終わりのような局面でなければ出てこないから、それは大変なことだ」という意識があります。「『最後の審判』と一体化して、救世主の降臨があるのだろう」と見ている人は数多くいます。「最後の審判」は、実際には霊界での物語なのですが、それをこの世の問題だと思っている人は、かなり多いのです。そこで、今回は、「東洋世界と西洋世界の両方を橋渡ししながら救っていく」という救済計画、そういう時期を見計らっての計画だったのです。このような計画の下に、過去百五十年間のいろいろな積み重ねがあって、現在まで来ているのです。」

 大川隆法総裁は、『宗教の挑戦』で次のように説かれました。

「日本では、共産主義の代わりに、別な意味での一種の無神論的な唯物論が、数十年の間、知識人たちに信奉されていたのではないでしょうか。それに対して民衆の側には、「何かがおかしい」「そんなはずはないのではないか」という率直な気持ちがずっと滞っていた、あるいは伏流水のように流れていたのです。しかし、「知識人たちがそう言うなら、自分たちの考えはやはり迷信なのかな。古い時代の考えなのかな」というように、素朴な疑問を持ちつつも躊躇していたわけです。ところが、近年になって、「どうも知識人たちのほうが間違っていたのではないか」ということが次第しだいに明らかになってきました。そして、それにつれて、「では、自分たちが持っていた興味、関心というのは、いったい何だったのだろうか」「その問いに答えてくれるものはないのだろうか」という知的関心、欲求というものがでてきたわけです。それが今、新宗教ブームの背景にあるのではないでしょうか。こうした宗教的関心は、一時的なものではなく、人間性そのものに付随するものとして、人間が本来持っているものなのです。一部の人がそれを押さえつけようとしても、押さえつづけることはできないのです。なぜかは知らないけれども、お盆になれば郷里に帰って墓参りをしたくなる。周忌にはお坊さんを呼んで読経をしてもらいたくなる。また、お彼岸にも墓参りをしたくなる。お正月になれば神社に行きたくなる。口では「宗教は持っていない」とか「無神論者だ」と言いつつも、そういうことをするのが普通の人間です。このように矛盾した行動をとる理由は、根本的には信じているものがあるのに、それについて学校教育や世間では教えてくれなくなったので、それを説明する言葉が見つからないからなのです。それゆえに無意識のうちに本音と建前の使い分けがなされているのです。新宗教の最近の動きは、こうした本音に対して、言葉を与えてあげようとしているものなのです。 「あなた方が本当に思っていたこと、ずっと押さえられていて、伏流水のように流れていた思いとは、いったい何であったのか。それについて、知的に、他の人にわかるように、議論できるような言葉を与えてあげましょう」。それが新宗教のなかで流れている動きであり、そういった民衆の感情を代弁しているのが、新しい宗教の運動でもあるのです。  しかも、そのなかの中核的存在である「幸福の科学」の役割というのは、たとえようもなく大きなものであると思います。今まで口を封じられていた民衆たちに、真実の意味を言葉として与えただけではありません。知識人として振舞っていた人たちに対し、その知識が偽物であったということを、理論的に、かつ、非常に知性的に論証しているのです。」

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