日本神道にもあった転生輪廻の教え

 『ホツマツタヱ』には、人間(神)があの世とこの世を生まれ変わっているという「転生輪廻」の死生観が盛り込まれていた。心身ともに清らかだった人の魂は、死を迎えると天御祖神のいる安らぎに満ちた天上界に還るという価値観です。それが700年代初めの記紀からは削除されてしまっている。仏教が500年代に入って来て以降、転生輪廻をより明確に説く仏教にその役割を譲ったと考えてよいでしょう。

 同じく記紀では、創造神である天御祖神とその創世神話も姿を消してしまった。仏教伝来後、「久遠実成の仏陀」(根本仏)の存在を説く法華経などが熱心に学ばれた。聖徳太子自身が法華経の講義をしているぐらいである。創造神(根本仏)を説くことに関しても、日本神道は仏教に役割を譲ったと理解できる。

 古事記、日本書紀の編纂を命じた天武天皇は、神道と仏教の信仰を同時に奨励した天皇です。それぞれの「教え」の役割分担についても、何らかの判断をした可能性がある。

 日本神道は「教え」がなかったわけではなく、より明確に転生輪廻や創造神(根本仏)について説く仏教によって教義を補完したということです。

 日本神道と仏教が転生輪廻や創造神についての教えで共通しているならば、その後、「神仏習合」の思想が広まったのは自然の流れであった。神仏習合は、「インド仏教の如来・菩薩が日本の八百万の神々として現れた」と考え、神も仏もどちらを拝んでもよいという思想です。この考え方は、仏教信仰を勧めるための方便ではなかったということになる。

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