宇宙の正体は「ホログラム」

 私たちの存在を基本にして宇宙空間を観測しようとすると、歪曲された距離を直線とみなしてしまう。直線を曲線に、本来の曲線を直線として認識してしまうのである。

 「ビッグバン宇宙論」でいう、遠方の銀河ほど等比例的に高まるという「宇宙の赤方偏移」という現象は、星団が離れ遠ざかるという運動状態ではない。宇宙空間は、望遠鏡を逆さに覗いているのと同じ錯覚を現出させていたのである。

 宇宙が本来の構造状態から逆転、裏返しになるという意味は、量子力学の「波束の収縮」に見られるような、「素粒子1個が、時間・空間的に宇宙全体非局在的に広がっている」と関係している。

「波束の収縮」

 量子力学では、「素粒子1個が、時間・空間的に宇宙全体に非局所的に広がっている」という結論に集約される。たった1個の粒子が宇宙の隅々にまで存在を拡げて、宇宙全体が1個の粒子へ向けて収斂されていることになる。

 私たちの存在を基本にして宇宙空間を観測すると、本来の宇宙の外側がミクロの素粒子へと収斂され、ミクロの素粒子が宇宙全体へ非局所的に広がってしまうことになる。

 本来の構造状態から逆転、裏返しになって観測され、「どこまで行っても果てがない」のといわれる無限宇宙の素顔なのである。それが摩訶不思議といわれる「時間の正体」にも通じてくる。

 

 「宇宙に果てはあるのか」という疑問は誰しもが思い浮かべることであるが、考えただけで答えの出るものでもない。ニュートン重力理論に基づく宇宙論では我々の住む宇宙(空間)は、平坦なユークリッド空間と考えられる。ユークリッド空間は無限に広い。では、我々の住むこの宇宙はどこまで行っても存在する無限に広い世界なのか。もちろん、これを実際に確かめる術はないが、現実の世界では「無限」というものは存在しないとするのが常識的な考え方である。「無限」というのは、あくまで非常に大きな「量」の数学的 近似表現である。ところが、宇宙が有限なユークリッド空間だと考えると、境界が必要となる。つまり、宇宙には「果て」があることになる。

 曲がった空間の導入は、そのような困難を解決する。簡単な2次元の例を考えてみる。2次元ユークリッド空間(平面)は無限に広く、有限にするにはどこかで切り取って境界を作らなくてはならない、しかしながら、2次元球面は どこも同じで、かつ、有限である。あるところから出発してまっすぐ行くと、そのうちに元のところに戻ってくる。境界は存在しない。3次元空間で同じようなことを考えると、有限でかつ境界のない宇宙が実現可能なのである、そして、重要なことは、アインシュタインの一般相対性理論は、その時空の曲がり方がどうなるかを決定する理論なのである。アインシュタインの理論を用いると、宇宙が「科学」として議論できるのである。

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