「超ひも理論」とは「超対称性を持ったひも」の理論である

ひも

 ひも ですが、基本的にこれは円を描いています。つまり閉じたり開いたりしている。この ひも の色々なパターンの振動により、素粒子が生成されます。

 なぜ粒子のように点ではなく、一次元上にひろがった ひも なのか。ひも だと、同じ質量ゼロでも波うったり、形を歪めたり、回転したりと、色々な動きが考えられ、その振動に対応する素粒子も無限に現われると考えられるのです。

 この ひも ですが、とてつもなく小さいのです。10-35m。原子核を構成する陽子の大きさが10-13cm。この陽子と超ひも理論の ひも の比は、ちょうど太陽系と陽子の大きさに匹敵するのです。今までで最高の 加速力を持つはずだったSSC(超伝導大型加速器)の円周は54マイルという見積もりでしたが、超ひも が存在すると考えられる世界を検証するためには、物理学者は円周1000光年の素粒子加速器を建造しなければならないのです(太陽系全体の周りはおよそ1光日)。

 なお、同じ ひも には「宇宙ひも」というものがあります。これはビッグバン理論により導き出された宇宙 の相転移時に生成されたとする糸状の欠陥のことで、「超ひも理論」とは区別されます。

 

超対称性

 超対称性とは、フェルミオンとボソンとの間の対称性のことです。自然界のすべての粒子は、整数あるいは半整数の「スピン」という属性(自転角運動量)を持ちます。このスピン半整数の粒子をフェルミオン(フェルミ粒子)、スピン整数の粒子をボソン(ボース粒子)といい、通常の量子力学ではこれらは厳密に区別されます。光子をはじめとする力の媒介粒子は前者に、クォーク(陽子や中性子などを形成する基本粒子)やレプトン(基本粒子のうち、電磁相互作用と弱い相互作用しか起こさない粒子)は後者に含まれます。

 「超対称性」考える以前は、フェルミオンとボソンはまったく性格が異なり、互いに水と油の関係にあると考えられていました。フェルミオンとボソンの違いは、同じ種類のフェルミオンあるいはボソンが多数集まったときに、もっとも顕著に現われます。たとえば、ある一つの状態にフェルミオンである電子を2個以上つめ込むことは許されません。これは「パウリの排他律」として知られます。これに対して、ボソンは、何個でもつめ込むことができるのです。スピンの性質が違うだけで、この2つのグループは非常に異なる振る舞いを見せるのです。

 ある種のフェルミオンとボソンとは、もっと高いレベルをもった粒子が対称性の崩れのために違った現われ方をしたものにすぎない、と考えるのが「超対称性」です。

 

理論の概要

 まず、この理論は前提として、この世界の次元を10次元とします。われわれは3次元空間に時間の1次元を プラスした4次元時空に住んでいます。座標はx、y、z、ict(i=虚数、c=光速度、t=時間)。なぜ t だけではならないのかについてですが、光速度不変の法則に破綻を生じてしまうからです。2乗すると-1になる虚数 の存在が、われわれにictの方向が見えない理由となっているのです。

 宇宙初期には10次元時空であったこの世界が、なぜ現在4次元時空なのか(もしくはそう見えるのか)? これを説明するのが時空のコンパクト化です。まず、円筒を思い浮かべてください。これが宇宙 です。これを横に4分割します。4段の重箱のように。これで4次元。今度は縦に6分割します。ショートケーキのように。次元のコンパクト化は、円筒がどんどん細くなり、宇宙初期には存在した6次元がプランク長さ(10-35m)にまで縮まってしまい、円筒が4分割された線になってしまったように考えるのです。

 この10次元の世界で、ひも はいろいろな動きをします。開いたり、閉じたり、2つに分離したり、逆に1つに合体したりします。つまり、「超ひも理論」では、素粒子の多様な世界は、1つの基本的な ひも の異なるモードとして統一的にとらえられているのです。振動のモードは無限にあるので、対応する素粒子も無限です。そして、エネルギーのもっとも低い振動のモードに対応するのがクォークやレプトンであり、また、グラビトン(重力を媒介する)や光子などの媒介粒子だといいます。

 究極の理論は、あと一歩の地点にまでたどりついています。強い力、弱い力、電磁気力の三つ は、「大統一理論」によって統一されました。重力を残すのみ。この一歩が、途方もなく大きな一歩 なのです。その理由は二つあります。

 第一の理由は、量子力学はミクロな領域をうまく説明する理論であるのに対して、重力理論はあまりに大域的な理論であり、両者の守備範囲に大きなギャップがあることにあります。量子力学は巨視的世界で無効になるわけではありませんが、ただ、その本領を発揮する領域が異なるのです。

 第二のより本質的な理由は、量子力学は時間的理論であるのに対して、一般相対性理論は空間的(幾何学的)で、本来時間を含まないことにあります。このような事情から、「場の量子論」(ゲージ場の理論)に沿った「電弱統一理論」→「大統一理論」の延長上における理論は、極めて困難なのではと考えられています。

 また、自然界のもっとも基本的な構成要素は、拡がりをもたない点状の粒子である、という古来からの物理学者の間に深く根を張る通念に、具体的に理論をもって挑戦状をつきつけたことにも意義があります。素粒子物理の問題は、素粒子が点であるという定義から生じる。ゼロという数で割ると無限大になるように、点状の素粒子が関わる計算は最終的には意味がないものになることが多いのです。

科学と霊界へ

「仏法真理」へ戻る