LGBTをどう受け止めるか
「LGBTをどう受け止めるか」については、日本国内でも意見は分かれている。しかし、その答えを出す前に「そもそもなぜ、LGBTという人々が存在するのか」という点を考えるべきです。
この問いは、「DNAが性別を決定づける」という考え方だけでは説明できない。世界の宗教で伝えられる魂の存在こそが、LGBTを理解するカギとなる。
人間の本質は魂であり、永遠の生命を持って、この世とあの世を何度も転生輪廻しているとしたら。時代や環境、そして性別までも変えて生まれてくるなら、心と体の性が違ったり、同性を好きになったりする理由も納得できるのではないでしょうか。
性別の選択も含め全ては魂を磨く修行
性別は自分で選んで生まれてくることが多いが、前世のカルマの刈り取りの観点で性別が決まるケースも存在する。
幸福の科学大川隆法総裁が心と体の性の不一致で悩む女性のリーディングを行った際、前々世は明治維新の志士の一人で、過激派として名を馳せたため、前世では休息として、あえて女性として生まれたことが判明した。
さらに、今世も女性で生まれたほうが有利と判断したものの、性別への違和感が抑えきれなかったという。
本人の意にそぐわない性別に生まれることがあっても、その性別で人生修行を送るようにという「神仕組み」と言える。
現在の性に違和感があるのには、しっかりした理由がある。しかし、現在の性で生まれて来たことにもまた、しっかりした理由がある。LGBTは、この二つの面で理解することができるのではないでしょう。
各宗教界は「同性愛」「LGBT」をどう受け止めているのでしょうか。
近年、話題になっている「LGBT」の権利。特に欧米諸国などでは、カミングアウトして堂々と交際する同性愛カップルが増えています。
日本でも、LGBTの権利を保障する条例の整備が進んでおり、以前よりも市民権を得つつあります。海外では、同性愛者に比較的寛容な国もあれば、同性愛は容認しても同性婚は禁止している国や、同性愛者が処刑されてしまう国もあります。
こうした違いの背景には、宗教の影響が少なからずあるようです。今後LGBTの人々の増加とともに、宗教界が同性愛や同性婚をどう取り扱うかという議論も増えていくでしょう。
各宗教界でLGBTの人々がどう受け止められているのかについて、世界的な宗教を中心に見ていきます。
1 キリスト教: 教義上は「罪」でも個性は尊重
キリスト教の『新約聖書』では、イエスの言葉としては、「同性愛をした者は地獄へ堕ちる」とは書かれていません。しかし使徒パウロの言葉として、「男色をする者はみな、神の国を相続することができない」と書かれています。
『旧約聖書』にも、「同性愛者は地獄に行く」という教えが書かれています。こうした聖書の教えを守ることを重視する聖職者などは、同性愛や同性婚を否定しており、特にカトリック教会は、同性愛を「宗教上の罪」と見ています。
一方、プロテスタントは寛容な宗派と保守的な宗派があります。アメリカのメトロポリタン・コミュニティ教会など、同性愛者が同性愛者のために設立した教会もあります。近年、欧米のキリスト教国では、同性愛者であることを理由に不当に扱うことは許さないという考えが広まっています。
こうしたテーマについて、幸福の科学大川隆法総裁は、イエス・キリストの霊言を収録しました(『イエス・キリストに聞く「同性婚問題」 性と愛を巡って』所収)。霊は以下のように述べています。
「人にはそれぞれ考え方の違いや、趣味・趣向の違いは否定できないものがある。同性愛自体を完全に禁じられるかというと、難しい面はある」
「同性愛を、法解釈的に、キリスト教の教えのなかで吸収するとしたら、『隣人愛の考えのなかには、男女の区別はない』というところに求めるべきであろうと思いますね」
教義上は同性愛に否定的でも、個人の性的指向は尊重し、「同性愛も隣人愛のひとつ」という寛容な姿勢を示していました。
2 イスラム教: 同性愛は厳格に禁止 死刑になる国も
コーランでは、「同性愛は罰されるべき」としているといいます。ムハンマドやアリーが同性愛者を処刑したハーディス(伝承)に基づくイスラム法を国法としている国もあり、一部の国では、同性愛が重罪になります。
例えば、アラブ首長国連邦(UAE)では最高でむち打ちと懲役5年の刑、イランやナイジェリアなどでは死刑になる場合すらあります。
マレーシアでも、同性愛行為は最長で懲役20年の刑が科せられる重罪です。しかし、人権活動家などがこうした刑罰を「非人間的」だと非難するなど、揺り戻しも起きています。
3 仏教: 同性愛を戒めているが、比較的寛容
仏典の中には、同性愛を戒めるような記述や、「同性愛者は地獄に行く」などの記述があります。しかし、キリスト教やイスラム教に比べれば、仏教は同性愛に寛容と言えるでしょう。
チベット仏教は、同性愛自体は禁じてはいませんが、行為は戒めています。国民の95%が厳格な小乗仏教を信仰するタイでは、同性愛者や性転換をする人が非常に多いです。
この背景にある考え方について、大川隆法総裁は、著書『比較宗教学から観た「幸福の科学」学・入門』の中で次のように述べています。
「『異性を罪悪視する考え方』をとると、同性愛者が増える傾向があるのです。要するに、異性を罪悪視すれば、『同性だったら罪にならない』ということで、同性愛が流行ってくるわけです」
仏教では「道はずれな情欲を起こすべきではない」という「不邪淫戒」があり、男女関係が厳しく戒められているために、同性愛に走る仏教徒が少なからずいると言われています。
4 日本神道: 家族制度の崩壊、国家滅亡を危惧
日本神道では、同性愛を明確に禁止する規範は存在しないとされています。しかし、大川総裁が2013年に収録した日本神道の主宰神・天照大神の霊言では、同性婚を認める風潮に対し、こう警鐘が鳴らされています。(『天照大神の未来記』所収)
「それは、『家族を崩壊させようとするものが、国の法律として通ろうとしている、あるいは、憲法として通ろうとしている』ということですので、家族の維持ができない社会制度を推進する国家は、滅亡に至ります」
同性愛者が増え、従来の家族制度が崩壊すれば、国家の滅亡につながるという危機感がうかがえます。
5 ユダヤ教: 『旧約聖書』で同性愛は罪
キリスト教と同じく、『旧約聖書』は快楽的な生き方を許していないため、同性愛を禁止されています。この規律には、「男女の結婚」を神聖化し、子孫を残すという目的を重視する考え方が強いことも影響していると見られます。
6 ヒンドゥー教: 罰則・カースト追放も
ヒンドゥー教でも同性愛は罰則の対象であり、罰金やカーストの追放などの処置が取られることがあります。しかし、ヒンドゥー教徒が人口の8割近くを占めているインドでは昨年9月、最高裁判所が同性同士の性行為を違法としない判決を下しました。インドも現代的に変わってきています。
6 ゾロアスター教: 同性愛は認めていない
ロックバンド「クイーン」のボーカルで、最近のヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」のモデルでもあるフレディ・マーキュリーは、有名なゾロアスター教徒で、同性愛者でした。ゾロアスター教は同性愛に寛容かと思いきや、実は教義では同性愛は認められていません。
各宗教界は程度の違いはあっても、同性愛に対して批判的なスタンスを取っていることが分かります。
権利は認めてもブームにすべきではない
大川隆法総裁は、広島で行った講演『未来への希望』で、LGBTなどの「少数者の権利は守られるべき」と前置きしたうえで、次のように述べました。
「ただ、この地球では、基本的に女性と男性は分かれて生まれることによって、相対的に性を持つことによって、人生経験を豊富にするという目的を与えられておりますので、基本は、そういう考え方なのだということは申し上げておきたいと思います。例外はあるかもしれませんけれども、例外の方が当たり前で、そちらの方がブームなのだというかたちで、あまり後押しが強すぎるのは問題があるのではないかと思います」
幸福の科学は、人間の本質は肉体ではなく魂であり、あの世からこの世に何度も生まれ変わって魂を磨いている存在だと教えています。その転生輪廻の過程で、男性として生まれることもあれば、女性として生まれることもあります。どの性で生まれるかも人生計画の一つであり、自分の魂経験に必要な環境を自分で決めて生まれてきています。
過去世は男性だった魂が今回の転生では女性として生きることで、違和感を覚えることもあるかもしれませんが、それぞれ、持って生まれた性を受け入れて、果たすべき役割を果たすことを神は期待していると言えるでしょう。
「今回の人生、自分はどのような経験を積み、どんな役割を果たすべきなのか」という視点が大切なのではないでしょうか。
少数派の権利の拡大も大切だが性別は選んで生まれてくる
一人ひとりの多様性を尊重する社会の第一歩として、賛成する人も多いかもしれません。しかし、そのような形の「権利の拡大」が、社会全体の幸福へと結びつくのでしょうか。
もちろん、少数者の権利を守ることはとても大切です。しかし、男性と女性が、それぞれの性別を持って生まれてくることには、明確な意味や目的があります。
私たちは転生輪廻をくり返し、何度もこの地上に生まれ変わっています。そして、あるときは男性に、またあるときは女性にと、両方の性別を経験している魂がほとんどです。その性別でしかできない人生を経験することで、魂を磨いているのです。
両方の性別を経験するため、例えば前世や前々世で男性だった方が女性に生まれるなどした場合、男性的な意識が強い女性として生きることもあるでしょう。
LGBTには、そのように魂レベルでの理由もあります。人生を、魂を磨くための修行と捉えたら、性別への違和感を訴える人の権利を拡大することで、その人が生まれた性別による修行を放棄する形になる可能性もあると言えます。
心の性別を医者や裁判官が判断するのは無理がある
さらに、性別に違和感のある人は「ジェンダーフリー外来」にかかり、そこでLGBTなどの判定をされることも多くあります。また、戸籍上の性別を変更する場合、「肉体は男性だが心は女性」などの判断を下すのは、裁判官です。
しかし、LGBTに対しては、前世や魂といった神秘的な理由があります。専門知識や経験に基づいているとはいえ、「心の性別」を医者や裁判官が判断するのは、無理があると言えるのではないでしょうか。
さらに、宗教的な観点から見れば、LGBTには”憑依現象”も関わっている場合があります。
大川隆法総裁は、法話「未来への希望」の中で、「男性が女性霊に、あるいは女性が男性霊に憑依されて、自分がそうだと思い込んでいるような場合もある」という趣旨の指摘をしています。
LGBTの判定は、簡単にできるものではないと言えるでしょう。
自分の心と身体の性別に違和感を持ち、大変なつらさや生きづらさに直面している人に対し、手を差し伸べることは当然です。そして国家は、全ての人が生きやすい社会にするために、法整備などを行うことが義務です。
しかし、LGBTの問題は、魂や過去世なども密接に関わる問題です。今、必要なのは、画一的な権利の拡大による過度の保護ではなく、「なぜ、今世この性別で生まれたのか」を考え、それぞれが努力していくという生き方を伝えることではないでしょうか。