幸福の科学の基本教義とは

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 立宗当初の幸福の科学は、「「人生の大学院」と銘打って、学習を中心に活動をしていたが、会員が増えるのにあわせて、教えも裾野を広げつつあって、現在では、たとえば、「病気平癒祈願祭」を行なっているなど、「貧・病・争」にも対応した教えを説き、活動を繰り広げている。

 そして、たとえば、「自殺者を減らそうキャンペーン」のように、宗教として本来、取り組むべき活動について、余力がある場合には積極的に参加しているし、その動きは、今後、もっともっと進展していくでしょう。

 大川隆法総裁は、『幸福の科学の基本教義とは何か』で以下のように説かれました。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように教えておられます。

「幸福の科学が活動を始めた時期は、ちょうど日本の高成長期に当たり、景気の良い時代でしたので、当会を外側から見ていた人から、幸福の科学は、「『貧・病・争』についての教えを説かない宗教だ」「『豊かな時代』の宗教だ」と言われていました。「貧・病・争」とは何でしょうか。「貧」は貧しさ、「病」は病気、「争」は人間関係の争いのことです。この「貧・病・争の解決をする」ということが、戦前から活動を続けてきている宗教の基本的なスタイルなのです。ところが、その後、1990年代になると、日本の経済は下降しましたし、幸福の科学の運営スタイルも、教団が大きくなるにつれて、それ以前とは、かなり変わったものになってきました。今、幸福の科学は、宗教として、これまでの数倍、十倍、そして、さらに大きくなろうとしています。今後、従来型の宗教に人々が集まっていった理由でもある、「貧・病・争」についての問題解決能力の部分を、完全に無視することはできないと思っています。新たに当会に集まってくる人々のなかにも、「貧」で苦しんでいる人、「病」で苦しんでいる人、「争」で苦しんでいる人は増えてくるでしょうから、そういう人たちのためにも、法の裾野を広げていく必要があると考えています。これは伝道活動の広げ方とまったく同じであり、対象が広がれば、教えのほうも、それに合わせて裾野を広げていく必要があるのです。伝道によって大きく発展する前の幸福の科学には、どちらかというと、高学歴で、ある程度、高収入であり、精神的に、もう一段の高みを求めているような人が多く集まっていました。そういう人たちには、社会人としての生涯学習の一環のような気持ちで、当会の教えを学ぶ傾向があり、当時の幸福の科学は、「人生の大学院」という看板を掲げてもいたのです。当会は、日本の階層で言うと、「中の上」から「上の下」や「上の中」あたりまでの人が多い宗教でしょう。「上の上」ぐらいの人になると数としては少なくなります。彼らは用心していて、宗教にはなかなか入ってこないので、この人たちが当会に大挙して入ってくるのは一世代ほど遅れるかもしれません。幸福の科学は、だいたい「中の上」から「上の中」あたりの層の人が多い宗教であろうと思います。ただ、そういうかたちだけでは、やはり、「世界の人々を救う」というところまでは行かずに、「気が合う人たちが集まって勉強を続ける」というスタイルになる可能性が高いのです。  そこで、私は、今、このスタイルを破りにかかっており、「幸福の科学は、宗教としての本来のミッション、使命、任務というものを果たさなければいけない」と説き、そのための活動も開始しています。宗教として、本来、取り組むべき活動に関しては、当会に余力があると見た場合には積極的に参加していますし、その動きは、今後、もっともっと裾野が広がっていくでしょう。」

「幸福の科学の基本教義」とは 「神仏から頂いたミッションを遂行すること」

 

「幸福の科学の基本的な教えとして、「四正道」がありますし、『仏説・正心法語』では、さまざまなことが説かれています。また、『太陽の法』に説かれている教えも、いろいろとあります。そうしたものに書いてあることを要約し、それを学んでいただくことも、もちろん、大事なことだと思います。しかし、改めて、言葉を換えて言うとするならば、です。これが「基本教義」ということになります。」

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