中東戦争

第一次中東戦争(1948年から49年)  

 最初の戦争ですが、いきさつは第二次大戦後の国連総会の決定にありました。つまり、第二次大戦はイギリス側が勝利したわけですが、その戦争に際して、イギリスはフランスにはパレスチナ地方の共同統治という約束での同盟、アラブ側には戦争後にはパレスチナ地方を返還するとの約束で味方として参戦させ、イスラエルには戦後にはパレスチナ地方にナショナル・ホームの建設という約束で資金を供出させていました。この三つは全く相容れない約束であり、戦後困ったイギリスはこの始末を国連に持ち込みます。当時の国連は欧米だけのサロンでしたから、欧米側だけの都合でパレスチナを分割し「イスラエルの建国」を決定してきました。こうして、1948年「イスラエル」は建国を宣言します。約束を破られたアラブ側はこれを拒否して戦闘状態になりましたが、イギリス・アメリカの支援でイスラエルが勝利ということになりました。

第二次中東戦争(1956年10月から1957年3月)  

 1956年のことになりますが、エジプトのナセル大統領はアスワン・ハイ・ダムの建設を巡り、その建設支援をイギリスとアメリカが拒否してきたため、スエズ運河の国有化を宣言していきます。これに対して、イスラエルがエジプトに侵略を開始し、イギリスは中東に勢力を築きたいフランスを巻き込んで、イスラエル支援軍を出兵させます。これに対して、ここを欧米支配下に置かれては大変なことになるということで、ソ連がエジプト支援を声明します。再び欧米を巻き込んだ世界大戦になってしまう様相に、国連は即時停戦決議をだして事態の収拾に乗り出します。こうして、イスラエル・イギリス・フランスはやむなく撤退していきました。

第三次中東戦争(1967年6月)  

 第二次中東戦争で勝利した格好のナセル大統領のエジプト(当時「アラブ連合共和国」)は、アラブ世界の中で勢力を拡大していきました。このエジプトによる全アラブの支配を怖れた他のアラブ諸国は、反エジプトの動きを強めていきます。これを見たアメリカは、勢力をここに伸ばす好機と見て介入を開始して、先兵としてのイスラエルを動かしてきます。そして、1967年、エジプトがアカバ湾を封鎖した時、イスラエルは、アメリカの供給する大量の近代兵器を持って突然大攻撃を仕掛けていきました。国連安保理事会は、これ以上の戦闘の危険性を察知して停戦決議をだしましたが、イスラエルはこれを無視して攻撃を止めず、3日後にはパレスチナからエジプトのシナイ半島までを勢力下においてしまいます。シナイ半島がエジプトに返還されるのは1982年になってからのことであり、この間に、イスラエルは当初の国連決議を大きく超えた領土を既成事実化してしまいます。2005年になってガザの撤退をはじめましたが、その見返りとして、この既成事実化したパレスチナ地方の領地の認知をさせようとしていることが大きな問題となっています。ともあれ、イスラエルの大勝利で停戦となりました。これを「六日間戦争」とも呼び、教義にはこれが第三次中東戦争ということになります。他方、これはイスラエルの一方的な侵略・占領であることから、国連はすぐさまシナイ半島からのイスラエル撤退を決議しました。しかし、イスラエルは、これも無視し、シナイ半島にはシャルムエル・シェイクを始めとしてイスラエル都市を建設し、ヨルダン領であったイエルサレム旧市街、さらにパレスチナのものであったヨルダン川西岸の侵略・占拠を続けていきます。また、スエズ運河は使用停止となってしまいます。こういう中で、多くのパレスチナ難民が生まれてしまい、アラファトに率いられたパレスチナ解放戦線が生まれていき、これに対するイスラエルの執拗な攻撃は止まず、パレスチナ地方を泥沼に落とし込んでいった。

第四次中東戦争(1973年)  

 エジプトのナセル大統領の死後を次いだサダト大統領は、当初はナセル路線を踏襲するとして、第三次中東戦争で痛めつけられた国内を整備していき、アメリカを警戒するソ連の援助によって軍備を整備していきます。そして、シナイ半島の奪回を名目に対イスラエル戦を開始していきます。当初、ユダヤ教の祭日で油断していたイスラエルを叩いて有利に戦いを進めますが、すぐさまイスラエルも反撃に移ってきました。しかし、事態の悪化を怖れたアメリカ・ソ連両国とも、武器の供給を控えることになり、大きな戦闘はなくなりました。こうして、アラブ側は石油の供給を停止するなどの作戦に切り替え、欧米側に「石油ショック」を起こさせていきます。しかし、かえって欧米を「イスラエル支援」に向けさせてしまい、イスラエル優位の中立地帯が設定されて、国連軍が駐留することとなって停戦となりました。1974年には兵力引き離し協定が成立し、こういう中で、サダト大統領は、1977年イスラエル訪問、1979年のキャンプデービット合意など妥協を繰り返して、親米・イスラエル派へと鞍替えしてしまいます。こうして、アラブからは裏切り者と見なされて、アラブ連合から除名されてしまうなど、アラブ世界の混乱を招いてしまいます。この混乱が、「イラン革命」「イラク・イラン戦争」「イラクのクゥエート侵攻」「湾岸戦争」「アメリカによるイラク侵攻」などといった、中東情勢の泥沼の背景となっています。

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