仏性

 地上に存在が許されているすべてのものには、創られたものとしての痕跡がある。その生き物をあらしめようとする力であり、「仏性」という言葉で呼んでもよいが、それは「心の法則」として表れている。

 すべての人のなかに、仏の世界、如来の世界、菩薩の世界、あるいは地獄の世界など、さまざまな世界に通じる心の働きがあって、どのようにチャンネルを合わせていくかという点に自由性が与えられている。

 この自由性が与えられていることを知り、それを自分の手中に置いてコントロールできるのが悟った人の特徴である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『大悟の法』で以下のように説かれました。

「このように、自分の内のほうへ深く入っていくと、実はそのなかに、無限の宇宙へと伸びている道があるのです。無限の宇宙から各人のなかへとつながっているものがあるのです。それは結局、人間以外のものも含めて、この地上に存在が許されているすべてのものには、被造物、すなわち創られたものとしての痕跡があるということです。人間であれ、動物であれ、植物であれ、みな、創られたものとしての痕跡があるのです。創られたものとしての痕跡とは、その生き物をあらしめようとする力が宿っているということです。犬であろうと猫であろうと人間であろうと、男であろうと女であろうと、存在にはすべて、それをそのようにあらしめようとする力が宿っているのです。そのあらしめようとする力は、「仏性」という言葉で呼んでもよいのですが、表れ方においては、心の法則として表れています。すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則って生きているということが、創られたものとしての痕跡なのです。かつて、中国仏教形成の第一人者といわれる天台智顗(538~597)も説いたことですが、人間は、さまざまな心の状態を出すことができます(『一念三千』)。たとえば、人間の性格について、「穏やかな人である」「寛容な人である」「知的な人である」「熱心な人である」など、いろいろな定義の仕方があり、それぞれの人について、いちばん特徴的な性格というものがあります。しかし、「ある人には備わっているが、別の人には完全に欠けている」という性格はないのです。その量の多少や傾向性の違いはあっても、どのような人も、さまざまな素質を同時に兼ね備えています。おとなしい人だからといって、絶対に怒らないかといえば、そんなことはありません。おとなしい人でも、どんどん問い詰められたりすれば、怒り出すことはあります。また、怒りっぽい人だからといって、いつも怒っているかといえば、そんなことはありません。穏やかで優しいときも、やはりあります。そのように、表れ方にでこぼこはあり、優劣はありますが、「十界互具」といわれるように、すべての人のなかに、仏の世界、如来の世界、菩薩の世界、あるいは地獄の世界など、さまざまな世界に通じるような、心の働きがあるのです。そういう心の可能性があり、どのように“チャンネル”を合わせていくかという点に自由性が与えられているわけです。この自由性が与えられていることを知り、それを見事に自分の手中に置いて、コントロールすることのできる境地が、悟った人の特徴です。したがって、「いま、自分の心はこういう状態にある。こういう原因によって、こういう結果になっているのだ。そして、今後、このように考えれば、こうなるであろう」ということが自己認識できるようになること、さらに、「自分の心の作用が、他の人にどのような影響を与えているか。世界にどのような影響を与えているか。また、霊界にどのような影響を与えているか。あるいは、自分や世界の未来にどのような影響を与えていくか」というところまで認識していくことが大事です。ほんとうの意味で、心の法則をつかみ、心の自由性を獲得することが、悟りたる者であることの第一条件なのです。」

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